過去ログ
2015-2017

2017年6月3日(土)

■渡辺拓也『飯場へ──暮らしと仕事を記録する』洛北出版、2017年

 「飯場記」から始まり、「日雇い労働者のつくりかた」、「怠け者の社会学」と書き連ねてきた僕の研究が、ようやく出版されることになりました。

 洛北出版から『飯場へ──暮らしと仕事を記録する』と題して、6月25日に発売されます。

 「毎日更新」と称してこのサイトを更新していたのも随分昔のことになりました。「飯場日記」を読んでいただいた感想を多くの方が掲示板に書き込んで下さいました。

 まだこのページをチェックしてくれている方がどれくらいいらっしゃるかわかりませんが、ここでも報告させていただきたいと思います。インターネットも様変わりし、世界も日本社会も変わりましたが、あの頃、ここで、皆さんと交流した経験があってこそ、今の僕があります。

 「飯場日記」や「日雇い労働者のつくりかた」を面白いと感じてくれた人たちにはきっと楽しんでもらえる本になっていると思います。買う買わないはともかく、本屋さんで実物を手にとっていただけると嬉しいです。



2017年1月18日(水)

■日雇い労働者のつくりかた

 「Webマガジンfactree」がリンク切れになっているので、管理人の伊藤さんに頼んで「日雇い労働者のつくりかた」だけコピーさせていただきました。右のバナーからどうぞ。



2016年5月26日(木)

 おい、忙しいじゃないか。



2016年4月21日(木)

 ちょうど一週間経ってた。



2016年4月14日(木)

■しょぼい

 言ってることがあんまりに小市民的でうんざり。



2016年3月5日(土)

■iMac

 10日以上経ったがやはりRetinaディスプレイ美しい。

 吐く息で白く曇りそうなくらい美しい。化粧板のようだ。

 それ以外は特にいいことのない日々だ。何一ついいことはない。むしろ悪い。



2016年2月21日(日)

■iMac

 うおー。Retinaディスプレイ美しい!



2016年2月19日(金)

 うおー。イレギュラーなことが起こりすぎて身動き取れーん。



2016年2月2日(火)

 もはやどれくらいすれば更新していないことに気づくかの記録。

 Macで使える便利なホームページ作成ツールが欲しい。



2016年1月11日(月)

■水村美苗『本格小説 上』(新潮文庫、2005年)_

 昨日はほとんど寝倒して、この小説を読み始めてから、少しずつ気持ちが上向きになれた。



2016年1月10日(日)

 仕事のメールの返信をするのがもう苦痛。



2016年1月6日(水)

■体調

 ようやく風邪が治ってきた。

 4日の夜寝る時に咳がひどくなっていた。



2015年12月29日(火)

 案外時間がない。



2015年12月13日(日)

 昔と比べて更新しにくくなったように感じる。

 ファイルマネージャーの更新用ウィンドウが別に開かないからかな。



2015年12月12日(土)

■風邪

 まず風邪を治さないことには始まらない。



2015年12月8日(火)

■川端幹人、 2011年、『タブーの正体!──マスコミが「あのこと」に触れない理由』筑摩書房。

 まず知ることから出口を探さなければ仕方ない。



2015年12月3日(木)

■伊藤守、 2013、『情動の権力──メディアと共振する身体』せりか書房。



2015年11月26日(木)

 何から手をつければいいものやら。



2015年11月22日(日)

 この10日。更新も忘れ去るほどの。



2015年11月12日(木)

 落ち着かない日々。



2015年11月9日(月)

 しんどすぎた。

 ようやく一息。



2015年11月5日(木)

■モヤモヤ

 何だかな。



2015年11月3日(火)

■文化の日

 文化の日は晴れが多いそうだ。

 そろそろハッピーマンデーを見直す頃じゃない?



2015年11月2日(月)

■文章の原資

 文章はどこから生まれるのか。何を原資として作られるのだろうか。

 想像力は可能性としては無限大だとしてもいくらでも湧き出てくるものではない。



2015年11月1日(日)

■やはり

 どこかイラついてしまっている。



2015年10月30日(金)

■がっくり

 あと何回こんな思いをさせられるのだろう。

 僕にはまだ大阪でなすべきことがあるということだ。



2015年10月29日(木)

■牛歩の歩み

 ちゃちゃっとやってしまえばいいんだろうが。

 何かが何やらためらわれて。



2015年10 月28日(水)

 いい話を聞いた。

 少しずつ進めていけそうだ。



2015年10 月27日(火)

■ああ

 頭痛い。今日はほとんど何もしなかった。



2015年10 月26日(月)

■アドレナリン

 やる前はしんどいのにやり終えた直後は意欲的になっているのはアドレナリンが出ているからなんだろうなと思った。

 そしてその反動で結局その後はしんどさに捕まるのだろうなと。

 アドレナリンの無駄遣い。



2015年10 月25日(日)

 ほらまた忘れた。



2015年10 月23日(金)

■『要塞都市 LA』

 プロローグ意味わからん。これ読まんとあかんの?



2015年10月22日(木)

 明日の準備しないといけないのに全くエンジンがかからない。ノープラン。



2015年10 月21日(水)

■隔日

 なんか、1日忘れるなあ。



2015年10 月19日(月)

 この半年ずっと締め切りに追いかけられていたので、ひと段落して気を抜くとうつになりそう。



2015年10月18日(日)

 なかなか疲れが取れない。



2015年10月17日(土)

■なんとか

 原稿提出できた。よかった。

 なかなかスリリングな2ヶ月だった。



2015年10月15日(木)

■でーきーたー

 でーきーたーでーきーたー、なんとかでーきーたー。



2015年10月14日(水)

 言ってる先から更新忘れる。



2015年10月12日(月)

■ふー

 わりと更新忘れるなあ。



2015年10月10日(土)

■ダメだこりゃ

 もうあきらめるか。



2015年10月8日(木)

■「怠け者の社会学」

 「怠け者の社会学のログがトップページ以外すべて消えていた。何かの拍子にフォルダーごと消してしまっていたらしい。ログをサーチエンジンのキャッシュから回収して、ハイライトされた検索ワードのhtmlを削除 して少しずつ復旧を目指す。

 ようやく本当に論文なんとかなりそう。死ぬ。何か一つでも歯車が狂うような事件が起きたらこの原稿は落ちると思う。



2015年10 月7日(水)

■うーん

 やばい……。



2015年10 月5日(月)

■エルナ

 《すべてのものに答えがあるわけではない あるのは越える道だけだ。》



2015年10 月4日(日)

■はー

 飛行機乗るの5年ぶりくらい?



2015年10 月3日(土)

■ふー

 息つく間もないな。



2015年10 月2日(金)

■El Capitan

 いいのかこれ?



2015年10月1日(木)

 昨日は恒例の広島日帰り研究会だった。

 論文はこの流れで書けそうだ。あとは時間との戦い。



2015年9月29日(火)

■そろそろ

 腹をくくって書き始めるとしますよ。

 iOS9のバグ凄まじい。

 Yosemiteの変換の酷さも凄い。数字は一発で半角に変換してくれないと困るし、単語の区切りとしてありえないような誤変換をする。

 わかった。ことえりの設定で入力ソースの「数字を全角入力」のチェックを外せば数字の変換の問題は解決した。



2015年9月28日(月)

 仕事のあと14時に帰宅して17時まで仕事というのはちょっと無理だった。

 結局夜なべしてやるしかない。



2015年9月 26日(土)

■連休ぼけ

 誰も見ちゃいないが4日も更新し忘れていた。

 プリンターのインクカートリッジ届いた。

 大辞泉によれば、ゆすりとたかりはほとんど意味は変わらないようだ。

 ゆすりは弱みを握って脅して金品をまきあげることで、たかりは暴力的な手段で脅して金品をまきあげること──のようなニュアンスの違いを感じていたのだが思い込みだったか。



2015年9月 22日(火)

 インクジェットプリンターの黒カートリッジ切れた。



2015年9月21日(月)

 新しい非常勤スタート。

 帰宅したらいつものように疲れていた。



2015年9月20日(日)

 ある教会であったバイオリンとビオラとパイプオルガンのコンサートが良かった。

 「ああ、こういうものならオケも聴きに行ってもいいかもしれない」と思った。



2015年9月19日(土)

 更新忘れた。疲れ果てていた。



2015年9月 17日(木)

■カウンター

 カウンターを再設置。

 サイトをほったらかしにしているあいだにジオカウンターが消えてしまったので元の数字がわからない。カウント0から再スタートする。



2015年9月 16日(水)

 そろそろお勉強をやめて論点を絞り込んでいかなければならないか。

 しかしまあ、まだ何か不安なんだろう。この不安と向き合う覚悟を決めねばなるまい。



2015年9月 15日(火)

■花田達朗、1996『公共圏という名の社会空間──公共圏、メディア、市民社会』木鐸社_

 書誌情報へのリンクはアンダーバーに貼っていたことを思い出した。

 第1章を読んでみた。「公共圏は空間概念として捉えられる」というのが著者の視点のオリジナリティのようなのだが、何のために空間概念として捉えようとしているのかよくわからない。第2章までは読む予定。

 1996年の本のはずだが、2009年に再版されたんだろうか。



2015年9月 14日(月)

■光熱費

 更新し忘れた。

 ガス代去年より安くなっている。使用量は同じだけど、今年の方が100円ちょっと安い。



2015年9月12日(土)

 辺野古の埋め立て再開ひどいよ。

 なんという野蛮な国。



2015年9月11日(金)

 さすがに何か疲れがたまったのか、夕方の仮眠をとったらしんどかった。



2015年9月10日(木)

■消費

 文房具はハンズとかロフトで買うより、町の文房具屋さんで買ったほうがいくらか安いっぽい。

 ハンズだと120円の油性ペンが文房具屋だと100円だっ た。

 B5のノートとかも文房具屋で買うほうが安い。

 商店街や個人商店で買えるものは量販店やチェーン店でなく、できるだけ近所の店で買おうと試みている。

 ちょっとぐらい高くても意識的に近所の店で買おうとしているのだが、個人商店の方が安い場合もあるのだなとちょっと発見した気分だった。

 ボールペンひとつ買うのでも、いろんなものを見比べてから買いたいと思ってハンズとかロフトに行ってしまう。そういう消費の仕方を楽しむようになっているし、ハンズとかロフトとかいった店はそういう消費に合わせた 作りになっているのだと思う。

 ハンズやロフトのような店は量販店とはちょっと違うのかもしれない。店の規模は大きいけど、同じものを大量に仕入れて安く売りさばこうとしているのではなく、できるだけ商品のバリエーションを増やして多様な消費需 要に応えようとしている。

 もちろん、多様な消費需要に応えるといっても限界はあるし、実際に買い求められて収益につながっているのは定番商品なのかもしれない。「多様な消費需要」なんて実は存在しなくて、「多様な消費需要」の幻を自分の中で膨らませたあげく、最大公約数的な商品を僕たちは選ばされているのかもしれない。

 期待感を膨らませている。「イメージを消費している」と言われると、その通りだなと思うけど、イメージの消費に費やしているエネルギーって実はすごく無駄なんじゃないだろうか。イメージが消費されるのは、消費がアイデンティティに結びついた行為になっているからだと説明されると、それもまあその通りなんだろうなと思うけど、その同一性欲求みたいなものの何か別の持って行きようもあるはずだ。

 少しずつ距離を置いていけば自ずと見えてくる部分もあるのではないか。

 例えば、3足1000円くらいの靴下を、商店街にある「テーラーなんとか」みたいな店で買った時、店主の白髪頭のおじいさんが「兄ちゃん男前やな!」と意味不明なお世辞を飛ばしてくるのとか、面白いできごとではある。

 いつもくぐっているのとは別のドアを叩いてみる身軽さがもっと欲しい。



2015年9月 9日(水)

 エンジンかかるかな。



2015年9月 8日(火)

 うーん、行きづまった。何が何やら。

 そうでもないか。



2015年9月 7日(月)

■消費

 生活が良くなる、便利になるというイメージを買っている? しかし、その良さや便利さを実感できることは少ないので、必要もないのに同じようなものを買い足してしまう。買い換えてしまう。新しいものを手に入れるプロセスと手に入る瞬間にその商品なりサービスなりの効用を一番感じられる。それは実際には効用を実感しているわけではなく、期待感を味わっているのだろう けど。

 右端の改行位置がおかしい。どうしてテーブルの端ではなく、こんなにスペースを残して改行してしまうのか。



■『地域から生まれる共同性』

 本書は、これまで国家によって独占されてきた公共性のあり方が大きく転換し、「地域的な公共性が生まれる土壌が用意された」ことを明らかにしてきた。しかし、議論は「地域的な公共性が生まれる」という可能性を獲得した。そして、こうした可能性をどう実証研究において捉えるのかについてモデルを提示したというところまでたどりついたが、まだ、「地域から公共性が生まれている」という具体例を提示するところまでは達してない。どういう意味で、どういう形で「地域から公共性が生まれている」のかを、地域社会の場から具体的に示し、さらに、その形成過程での困難や試行錯誤の過程を描くことは、本書の次の課題である。[田中 2010: 260]
 地域社会において共同性から公共性が創造されるプロセスを実証的に捉えるための概念枠組みを、「大きな公共性」と「小さな公共性」、「大文字の公共性」と「小文字の公共性」という用語で整理した。[前掲: 263]
 本書では、制度化された公共性を「大文字の公共性」と呼び、言説としての公共性を「小文字の公共性」と呼ぶことにする。小文字の公共性とは、形成途上の公共性であり、大文字の公共性ほど構成員に対する確固とした強制力を確立していない。それにもかかわらず、なぜここで、未完成の公共性に対して「小文字の公共性」と呼ぶのかといえば、たとえばまちづくりの当事者からはそれが公共性と同じように見なされて、活動の理念となっているからである。[前掲: 173]


2015年9月6日(日)

■『消費社会の魔術的体系』

 3章からはようやく理論的な話になるようだ。

 消費って何? お金を払って楽しむこと?

 そういうわけではなさそうだ。お金を払って商品やサービスを購入すること?

 マルクスは個人消費を扶養と贅沢消費に分けたというから、生活必需品を購入したり、医療を受けたりすることも消費には含まれるのだろう。

 しかし、この本ではそういうことを掘り下げて語られる雰囲気ではなさそう。



2015年9月5日(土)

■ジョージ・リッツア、2005(=2009、山本徹夫・坂田恵美訳)『消費社会の魔術的体系──ディズニーワールドからサイバーモールまで』明石書店

 何これ注釈多すぎ。



■田中重好『地域から生まれる公共性』(2010年、ミネルヴァ書房)

田中重好『地域から生まれる公共性』(2010年、ミネルヴァ書房)読んでる。めちゃくちゃ面白い。

 ハイパーリンクにすると文字が潰れて読みづらいな。



2015年9月4日(金)

■無題

 毎日更新といっても書こうと思うと書けない。書こうと思った時にさらっと書けばいいのだが、書いてしまわないと毎日更新にならないという思いに取り憑かれてしまうともう書けない。

 HTMLを直接いじっているからファイルを開いて更新という手続きが思考の邪魔をするんだよね。保存して編集を継続するような機能があったらいいんだけど、そういう使い方はそもそも想定されていないのだろう。

 うぎゃー! 『リキッド・ライフ』持ってたー! 買わんでよかったー!(笑)

 ツイッターと違ってここは本当に独り言だ。

 ずいぶん前に新しくなったらしいファイルマネージャーのアイコンわかりづらいよ。



2015年9月3日(木)

■園部雅久、2014『再魔術化する都市の社会学──空間概念・公共性・消費主義』ミネルヴァ書房

 事例研究としてはともかく、理論的な整理としてはとても勉強になった。

 10年遅れくらいで空間論の意義を理解した。何だったんだろうかこの10年って。

 昔のフォントサイズに戻せた!やった!



2015年3月26日(木)

■飯場日記

 未だに飯場日記へのアクセスが月に200くらいあるよ。驚くよ。



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