引越し屋の選び方II
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その6 引越し当日(2007年10月30日) 引っ越し当日からだいぶ日が経ってしまった(この項を書いたのは2007年11月10日)。引っ越し荷物の片付け具合は9割弱といったところだ。 これを機に合理的かつきれいに物を整理しようと考えながら作業を進めていたが、合理的かつきれいに整理するためには、そのためのインフラの構想が固めねばならず、その構想が固まるまでは物が片付かないという自体に陥った。仕方ないので、結局はとにかく物を詰め込むしかないということになってしまう。残念なことだ。 さて、引っ越し当日を思い出そう。 いや、その前に、当日以前の数日間についても書き留めておきたい。10月24日の夜は研究会で報告、翌日の25日はゼミで報告、そして、26日は飛行機で北海道に行き、27日の学会で報告、28日に学会のシンポジウムを聞いたあとで帰阪という具合に、怒濤の日程を引っ越し前に過ごした。 25 日の朝に最後の粗大ゴミの回収があり、そのために24日の夜には粗大ゴミ4点を4階からゴミ捨て場まで降ろした(既にファンシーケース、食器棚、ワゴン、布団などを粗大ゴミとして出していたが、引っ越し先を行ったり来たりしているうちに、もっと捨てないと物が入り切らないのではないかと思い、処分品を増やした。衣装ケース、丸イス×2、座椅子)。箱詰めが終わっていない荷物が結構あったが、これくらいなら一日かければなんとかなるだろうと見切りをつけた。 そして、28日の夜遅くに学会から戻って、29日に最後の梱包をした。梱包というのは「9割がた終わった」あとからが長い。最後に残るのは細々したもので、こういったものはあちこちに分散しており、一つの箱にまとめづらい。悩ましいものなのだ。 しかし、悩ましいとかいっていても、一つの箱にまとめるしかない。例えば、風呂、トイレ、台所用品などは、一つにするにはためらわれるのだが、とにかく梱包しなければ引っ越し荷物が運べないし、タイムリミットがあるので最後の最後には一緒に詰めてしまうのだ。 自分の引っ越しで大変なのは何をどう詰めるのかを悩みすぎてしまう点にあると思う。バイトで引っ越しをしていて、他人の荷物を詰めるのにはあまりためらいはない。他人の荷物はただの「モノ」であり、自分にとっての意味がないのでちゃっちゃと詰められる。 大量の本を箱に詰めながら、引っ越し屋はこれをちゃんと運んでくれるだろうかと不安が絶えなかった。箱が安っぽいので運んでいる間に破れるのではないかと不安になる。4階から4階へという嫌がらせのような引っ越しに、作業員のテンションが下がるのは必至ではないかとか。作業員2人でこれをやると、夕方までかかるのではないかとか。安いところに頼んだのはいかんかったかなあと思う。 さて、引っ越し当日に話を戻そう。 9時に来るということだったが、9時ちょっと前にインターホンが鳴った。見積もりの時もこの会社は早く来た。出ると、私服っぽい作業服姿の30代半ばくらいの男性が立っていた。挨拶もそこそこに早速作業に取りかかられた。代金は作業に入る前にいただくと言われていたのだが、営業の人と現場の人とでは思惑とやり方と違うのかもしれない。 結構早いペースで荷物が運び出されていく。これならかなり早い時間で終わるのではないか。しかし、2人でこんな早いペースで出していたら、上げる時にはバテてしまっているのではないだろうか。 自分がバイトで引っ越しをする時とは逆の立場だが、荷物を運び出してもらっている間の依頼主は手持ち無沙汰になる。作業員の立場から考えると、依頼主には余計な手を出してもらわない方がよい。運び出す側は運び出す側で、どういう順番で運び出すか考えながらやっているし、素人に荷物を手渡されるのは実は逆に面倒に感じるからだ。 しかし、重い箱が多いということと、4階から4階の引っ越しということの2点に不安があり、作業員の体力とモチベーションを損なわせないようにしたいと思った(自分の荷物を守るために)。そこで、奥の方にある荷物を玄関の側まで運ぶ程度のフォローを、目に見えない範囲でやった。目に見える範囲でやると、作業員の側は気を遣って「すみません」などといちいち言わなければならないからだ。 2回の休憩を挟んだだけで運び出しは終わった。休憩中の作業員たちを窓から見下ろすと、作業人員は3人であることがわかった。道理で早く出せたわけだと納得する。また、2人ではないことに安堵する。 最後に自転車を乗せてもらう。先に転居先に行っておいてくれと言われる。彼らは一休みしてから追いかけてくるつもりなのだろう。 新居に着いて、程なくして彼らがやってきた。 荷物のほとんどは玄関先に置いてもらうか、玄関先で受け取って自分で運んだ。一つ一つ、これはどこ、これはどこと指示を出して運んでもらうより、自分で運んでしまった方が効率がよいと思った。部屋の奥の方まで入って戻ることに時間をかけるより、下から上に運ぶ作業に集中して、さっさと済ませて欲しかったからだ。 荷物を受け渡すとき、やはり「すみません」とその都度言われた。 運び込むのもちゃっちゃと終わった。荷物を出すより入れる方が時間がかからない。これは自分の経験からも言える。荷物を出す時はトラックにきれいに積んでいくことに時間をとられるからだろうか。また、出す時はそれぞれの荷物への配慮が必要となってやはり時間がかかるということかもしれない。 この引っ越し屋の作業は僕の不安を良い意味で裏切ってくれた。午前中で余裕で作業が完了した。すばらしいと思った。支払いは44100円だったが、心付けとして一人1000円×3人分をそれぞれ封筒に入れて渡した。結果としてかかったお金は47100円だが、それでも他の2社より断然安かったし、作業にも満足した。 思うに、やはり引っ越しというのは大変な作業だし、いろいろわからなくて不安なことも多い。だから、この不安を拭ってくれるようなスマートな仕事をしてくれると、すごくありがたいのだ。自分でもバイトで引っ越しを日常的にこなしている僕であっても、自分の引っ越しとなるといろいろわからないことが多い。 大抵の人にとって、引っ越しをすることなど数えるほどしかないはずだ。引っ越しとは非日常である。この「引っ越し屋の選び方」の続編を作りながら僕は、「引っ越し屋の上手な選び方」のフォーマットなど自分の体験記からは作れるはずもないのだと気づいた。「上手な選び方」を確立するには、「引っ越しがうまくいく」とはどういうことなのかをまず定義しなければならない。次に、その定義に従ってその成立条件を定め、その条件を満たすための「選び方」を考えなければならない。 そして、その「選び方」を確かなものとするには、自分個人の体験記ではとても足りない多くのデータとその分析が必要となる。そのデータは量的なデータが望ましいかもしれない。そうしてデータを集め、分析を進め、「引っ越し屋の上手な選び方」を確立し、そのノウハウに従って引っ越し屋を選びにかかったとしても、引っ越しがうまくいく成立条件を100%満たすことなど到底無理な話である。 また、成立条件を100%に近づけようと努力する労力はいかばかりのものになるだろう。引っ越し屋を選ぶ以外にも手間のかかる作業が引っ越しには多くあるのだ。だから、引っ越し屋の選び方は、いくつかの不安を残しながらそこそこのところで妥協するしかないと思う。 つまり、この「引っ越し屋の選び方」シリーズは、その「『いくつかの不安』と『そこそこのところで妥協する』ということの2点が引っ越しにおける主観的な問題なのだ」という立場をとる(のだなあと今書きながら思った)。引っ越しの過程において、どのような不安がおこるのか。うまくいった場合、その不安がどのように解消するのか(あるいは折り合いがつくのか)。悪くなった場合、その不安がどのような形で現実化してしまうのか。 不安があることは大前提であり、この不安に納得を取り付けられるということが主観的に「引っ越しがうまくいく」ことである。不安を抱えることと、妥協することと、納得する(あるいは後悔する)ことまでの揺れ幅を描くことが本稿の目的であるということになる。引っ越しに得体のしれない不安を感じる人のために、その不安はあなただけが抱えるものではないし、消し去れるものではないという認識を与え、その納得と妥協点の模索のよすがとなることができれば本望である(ということになるのではないだろうか。うん)。 ■はみだしメモ おわり |
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