T・Wさんの2007年2月5日のレポート

2007年2月5日(月)

4時45分にレポ(※1)に行く。記録班を中心に、そのまま記録活動(※2)も始める。メンバーはEさん、Fさん、Tさん、B、Jくん、Lさん、Sさん、Uくん(※3)で、3組に分かれて、スポットに分かれた。僕とJくんとLさんが駐車場のチームで、Jくんがビデオカメラを担当した。

人通りのない駐車場の入り口、寒くて暗い中、ついに行政代執行に向けた一日が始まる感じがする。

ハコトラックが1台、駐車場の入り口前まで来て停車する。これは代執行に関係があるのだろうか。1台、2台と立ち寄っては去っていく乗用車、Uターンだけする車など、関係があるのかないのか見ていてもよくわからない。公園事務所では職員が準備を始めたという連絡が、EさんからLさんの携帯に入る。代執行のために出勤してくるガードマンと思われる人がぞろぞろと通り過ぎる場面もあった。明るくなるにつれ、徐々に人通りが増えていく。駐車場の入り口が閉まったまま、停車中のトラックも増えていき、これも代執行のためのトラックだとわかる。業者もトラックの種類もさまざまだ。7時になると入り口が開き、認証を受けながら入場していった。駐車場に停車するかと思ったが、スタジアムの奥のほうへ走り去っていった。報道の車も入場していった。

途中でEさんが自転車でやってきた。全体の見回りと連絡係をすることにしたらしい。向こうでは市職員やガードマンの朝礼が始まっているという。明るくなってからもしばらく駐車場入り口をはっていたが、もうここの動きはないだろうということでEさんに連れられて第2陸上競技場へ向かう。道路沿いのフェンスからJくんとBが記録し、僕とLさん、Fさん、Tさん、Uくんが裏口へ回った。非常勤に行く前のVさん(※4)が来ていた。

裏口から出勤してきたガードマンが入場する。緑色の制服のガードマンが出入り口を管理している。格子状のシャッターの隙間からガードマンたちが準備するのが見える。近くに停車したトラックから降りてくる人たちを、顔を隠したUくんがものすごい近距離で撮るのでびびった。本人いわく「音声がとれるように」とのことだが、すごい。

途中でBと場所を代わって欲しいとEさんに言われて交代しにいく。広い陸上競技場の遠くのメインスタンドのところにガードマンとヘルメットをかぶった市職員が大勢整列しているのが見える。すごい人数だ。

巡回してきたEさんの「後ろ後ろ!」という声に振り返ると、後ろを警官隊の行列が通り過ぎていくところだった。しばらく陸上競技場の中を監視していたが、Eさんの指示で裏口に移動する。ほどなく、ガードマンと市職員が陸上競技場の中から出てくる。

市職員はトラックに積まれた資材を降ろし、抱えて進む。オレンジの車止めを2つずつ算木で固定したものを2人で2つ運んでいく。基本的にビデオカメラを守り、一人にならないようにという方針をEさんが強調する。Uくんについて動きながら、デジカメで記録をとる。警備員の中で一人だけ、こちらにカメラをむけてきたやつがいた(※5)。

いったい現場ではどうなっているのか。作業員の流れに沿って、少しずつ近づいていく。トイレの辺りまで来てようやく様子が窺えるようになる。道路の外側に大きく進入禁止の車止めが張られ、そのさらに外側に迂回路を作るカラーコーンとカラーバーが並べられていく。車止めは市職員が張り、カラーコーンとカラーバーは警備員が並べていた。車止めは端に出ている算木部分をさらに番線で括り付けて固定する。固定された車止めの内側に警備員が立ち並ぶ。

もとからテント村を囲っていた二重フェンスの中にもガードマンと市職員が入っていく。

車止めの柵は二重に張られ、柵と柵の間は報道陣のスペースになっていた。最初そのことに気づかず、二重に柵をはって人を遠ざけるなんて、周到で嫌らしいやり方だと腹が立った。ところが、Uくんが物怖じせずに柵を乗り越えていく。ビデオカメラのフォローをしなければという思いがあって、ためらいつつも僕も柵を越えた。

代執行が行われる中、果たして芝居を見せることがどこまで可能なのか。試みの意義は認めるまでも、その実現可能性についてはまったく想像がつかなかった。丸太で組んだ舞台があるということは3日の記録班会議まで知らなかったし、どれだけしっかりした舞台なのかも僕は知らなかった。また、舞台を守るために、どれだけの人がいるのか、どれだけの人が最終的に集まったのかを僕たちは見ていない。

櫓のような舞台の上でGさん(※6)が呼びかけているのが見える。騒然とした雰囲気の中で、まだ芝居をはじめようという感じではない。大阪市の職員もメガホンで叫んでいる。いったいどうなるのか。はたして終るんだろうか。とにかく、「外から見た記録」をとることに徹しようと思う。

騒ぎは収まるところを知らないが、そのまま芝居が始まった。前もって芝居をやることを知らなかったら芝居をやっているとわからないんじゃないだろうか。今まで何度となく見た漫談師が登場する場面だ。明るい色の衣装で、大きな身振りで声を張り上げているのだが、初めて聞く人にはとても何を言っているのかは聞き取れないだろう。このまま続けても、ギャラリーが芝居のストーリーを把握するのは難しいと思う。写真をとるにしても、フェンスで区切られて舞台が遠い。

「必死で伝えようとしている」という感じはしない。きちんと演技をして、芝居を当たり前に上演している。支援者側、大阪市側と入り混じる叫び声と騒音の中、予定通りに芝居を上演しているのを見るとものすごく泣けてしまった。これが何ヶ月も前から準備されてきたものなのだということを見る人にはわかって欲しい。単に当日になって集まった支援者が騒いでいるようなものではないのだ。どんな騒ぎになっていようとも、彼/彼女らのやっていることにはかけがえのない価値がある。めちゃくちゃ尊いものを見ている気分になった。

カメラを守ることを自分の仕事と考えていればいいかと油断していたら、Uくんは木の上に登って映像を撮り始め、わざわざ守るほどのこともなくなってしまった。

ずっとリュックをかるって立ちっぱなしだったせいで腰が痛くて仕方なくなった。

時間が過ぎると、当初の予測どおり、舞台から遠い小屋から壊されていった。ブルーシートを広げ、その上に荷物が集められて、ひとかたまりになる。ガシャーンというガラスの割れる音もする。行政代執行における撤去物件の損壊は禁じられているはずなんじゃないのか。とても配慮しての作業とは思えない。

トラックの入場口だけ柵が取り払われて、ハコトラックが入ってくる。バイトで雇われているのだろう若者たちがブルーシートのかたまりをトラックに載せていく。特になんでもないような表情もあるが、柵の向こうに立っている警備員たちの表情の中にはしんどそうなものもある。そうしたバイトの若者たちや警備員たちに支援者から呼びかける言葉もあった。若者たちは飄々としているように見えたが、白髪混じりの警備員はさすがにつらそうだった。こんな仕事、どんなに金を積まれても割に合わない。

しかし、そのつらそうな表情は、野宿者を排除する側にいるつらさが表れたものなのか、事を荒立ててこんな状況を作り出した「支援者」への恨みがこもったものなのか。そう考えると、単純に同情する気にはなれなかった。この人たちの中では野宿者や支援者に対する反感がこの場で強烈に育っているかもしれない。

たまに中の人たちが帰れコールをする。「帰れ」「帰れ」という叫びを上げる場面はあまり印象がよくないように僕には見えた。帰れといわれて帰るわけはないし、駄々をこねているだけのように見えてしまう(※7)。

同じことの繰り返しで、少し飽きてきたので、公園の外からの写真をとりにいくことにする。少し離れたところで、Aちゃん(※8)がハンドマイクをつかって集まった人たちに呼びかけている。中に入れない事情があるとはいえ、一人で行動している様子はなかなか格好良かったので写真をとっておいた。

迂回路を抜け出して、トイレに行って、南西側入り口へ向かう。フェンス沿いにずっと警備員が立っているのも写真にとる。長居公園通り沿いの歩道から、目隠しに張られたブルーシートをとった。ブルーシートの外側は当たり前の風景があって、いったい今この中で起きていることはなんなんだろうかと思う。職員がシートの隙間から中をのぞき見ているので、真似をしてのぞいてみるとすぐに職員がかけよってくる気配がしたので離れた。いやらしいなあと思う。

ぐるっと回って、芝生の上に設けられた休憩コーナーみたいなところへ行く(Rさん(※9) が一回抜け出してここにいたのを見た)。腰掛けて一息つく。Aちゃんもやってきた。Aちゃんは自分で作ったビラをまいていた。声をかけ一枚もらう。

休んでいても退屈なので、再び柵と柵の間に入った。入るとき、「すみませんけど」といって手で制してくる男がいた。報道の人間だろうか。一瞬、なんだろうかと思ったが、無視して中に入る。何様のつもりなのか。こっちは野次馬じゃないんだよ。ちゃんと撮るべきものを撮ってなかったらあんたらが野次馬だ。

Lさんに言われて見ると、W(※10)が舞台の上に登っている。TさんとFさんも中に入っているという。二人は記録班じゃないのか(よく考えるとこの2人は記録班会議に出ていないのだから、そういう意識はなかったのかもしれない)。Lさんも中に入りたがっていた。

少しずつ、外に連れ出される人も出てくる。一度外に出されたCくんがいつの間にか中に戻っていた。中に入ろうとして職員と問答する人もちらほら出てくる。ああいうのってあんまり好きになれない。面白がってやっているだけのように見えてしまう。

外からスピーカーマイクでメッセージを送る人がいる。こう着状態が続いて、少し静かになって、交代交代にメッセージを送る場面になった。Eさんが研究者声明(※11)を読み上げるといって、近くのネットカフェにプリントアウトしに行った。

メッセージが途切れたところで、芝居が再開された。3回目の上演になるのだろうか。今度はちゃんと台詞が聞こえるし、聴衆の目も舞台に集まっている。まさかちゃんと芝居を見てもらえるシチュエーションになるなんて。あまり大きくはないが拍手が起こる。これで伝わる人には伝わるはず。伝わる人に伝わればいい。これで報われるなあとほっとする(※12)。

ところが、何の前触れもなく、いきなり人間の排除が始まった。舞台の上で何をやろうとしているのか、見ていてわかったであろうに、なんて無神経なことをするんだろうか。なんてもったいないことをするのか。どれだけすごいことをやっていていても、この人たちには関係ないのだ(※13)。

もうデジカメの電池とメモリを気にする必要もないので、最後は動画を目いっぱいとった。これでもう終っちゃうんだなーと思った。こうなってしまったらもう終わりに向かうだけだ。これがマスコミが一番とりたいシーンだったのかなと思う。

東側に押しやられてからも、「わっしょい、わっしょい」という掛け声とともに、しばらく引いたり戻ったりがある。どうするのだろう。Rさんの振る花丸の旗が見える。

見ていて、こういうのって茶番だよなあと思う。一人の女性の悲鳴がずっと聞こえる。そんなに酷いことをされているのだろうか。こういうふうに考えると中にいる人に怒られたり、顰蹙をかったりするのかもしれないが、悲鳴すらも計画的であるように感じられてしまう。

「扇町公園の仲間も戦うぞ!」「西成公園の仲間も戦うぞ!」「寿の仲間も戦うぞ!」と連続してあげる掛け声に少し感じ入ってしまいそうになるところもあるが、その「仲間」というのは誰のことなんだろうかと思ってしまう。それは僕の「仲間」なのか。僕も「仲間」なのか。

やがて、潮時と考えたのか(誰が?)、東側の広場のところに支援者と当事者が集まる。何か、誰か総括でもするのかと思ったがそういうわけでもなさそうだ。見知らぬ人たちが大勢いる。僕たちが張り込みに出た後に来た人たちが結構いるんだろう。

X先生(※14)と市大の先輩たちが集まって話しているのに加わる。WとLさんもいた。

報道の人間が取材をしているところもあった。Yさん(※15)が記者に囲まれてしゃべっていた。

X先生がみんなでコーヒーでも飲みに行こうというので公園を出ることになった。自転車をとりに走ると、芝居に出ていたDさんが反対側から歩いてくるところだった。「おつかれさま」といって軽く肩をたたいてそのまますれ違った。

知らない人間もわらわらいる場で、当事者や当事者に近いところにいた人たちに対して、どんな対応をすればいいのかわからなかった。僕も有象無象のうちの一人だし、別に僕がいうことなんて何もないんだろうと思う。「僕たち」が何か経験を共有したのだとすれば、いったい何が起きて、それはどのようなことだったのだろうか。僕は誰と何をどこまで共有したことになるのだろうか。

喫茶店でしばらく休んだあと、研究者声明のページに速報として載せるための動画と写真の加工作業をしに、Zくん(※16)のオフィスに研究者仲間で行く。作業を終えて家に帰りついたのは22時ごろだった。36時間くらい起きていたことになる。焚き火で煤だらけになった衣服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びて寝た。

翌日、体重を量ると2キロ減っていた。

※1
スタジアムにある公園事務所と会議室、駐車場を警戒するパトロールを「レポ」と言っていた。前日4日の20時から、有志で1時間交代で朝まで行った。筆者は5日の1時台と5時台に割り当てられていた。

※2
代執行の一部始終を記録するための「記録班」の会議が事前に持たれていた。大きく分けて、中から記録する者と外から記録する者とに分かれた。筆者は外から記録する側になった。

※3
Eさん、Fさん、Tさんの3人は筆者と同じ大学院の先輩。B、Jくんの2人は筆者と同じ大学院の後輩。Lさんは筆者とは別の大学院の先輩。Sさんは研究会で付き合いのある先輩研究者。UくんはEさんの後輩で、名前はよく聞いていたものの筆者とはこの時が初対面だった。

※4
筆者の大学院の先輩。仕事に行く前に立ち寄っていた。

 

 

※5
無視するよう指示が出ているのか、警備員にしても市職員にしても、こちらが向けているカメラに反応する者はいなかった。その中で、警備員がこちらにカメラを向けるのは、われわれに対する数少ない「反応」であるように感じられた。

 

※6
長居公園のテント村に住み込んでいる支援者。

※7
また、芝居を見せるためには帰ってもらっては困るのではないか。

 

※8
夜回りやフリーペーパー作成などで親しくしている筆者の友人。

 

 

※9
長居公園のテント村の住人。芝居に出演していた。

 

※10
筆者とは別の大学院に在籍する筆者の同級生。

※11
野宿や寄せ場の問題を研究する関西の若手研究者有志で呼びかけた長居公園行政代執行に反対する声明のこと。ウェブページを設置し、メールフォームを利用して賛同を募った。

※12
不思議なことに、こんな重要な出来事なのに、書き忘れていたということを思い出した。行政代執行のさなか、長居公園仲間の会宛に郵便物が届いた。ただならぬ騒ぎの中、郵便配達員はきちんと職務を果たすのだから、日本の郵便配達員は本当に偉い。配達物は長居公園のテント村の行政代執行に反対する署名の束だった。Gさんが「郵便局から手紙が届きました!」とマイクで叫んだとき、よく聞こえなくて、松任谷由実(ユーミン)から行政代執行に反対する手紙が届いたのかと思った。ユーミンからのメッセージではなかったが、芝居の声が届く時間があったことと並んで、これは素敵な出来事だった。

※13
この時、静かになったのは、単に次の行動の機会を窺っていただけだったわけだ。

※14
筆者は直接指導を受けていないが、先輩たちにとっては関わりの深い先生。中に入っていた。

※15
長居公園のテント村の住人の一人。

 

※16
Eさんの後輩。記録の技術面で協力してもらっていた。