橋下ワクチン開発室

橋下徹の扇動手法とそれへの対抗手段

ここでは佐藤裕の「差別論」の視点にもとづき、大阪府知事であり大阪維新の会代表である橋下徹の扇動手法の分析、ならびにそれへの対抗手段を考えたい(参考文献は佐藤裕『差別論 偏見理論批判』明石書店、2005年)。

1. 差別行為の三者関係モデル

まず、佐藤裕の「差別論」がどんなものなのかを紹介しよう。佐藤は差別を三者関係の中で起こる排除行為としてとらえる。


差別(排除)は「差別者」「被差別者」そして「共犯者」の三者関係のなかで起こる。ポイントは「共犯者」の役割だ。「差別者」は「共犯者」を仲間に引き入れ「被差別者」を仲間はずれにする。ここで行われているのはどのようなことか。

排除の現場では「同化」と「他者化」「見下し」という3つのことが行われている。

差別者は共犯者にメッセージを送る。これは「われわれ」を形成する呼びかけだ(同化)。「われわれ」の形成は同時に被差別者の排除(他者化)になる。このメッセージは被差別者に対する負の価値づけを含んでいる(見下し)。

メッセージは被差別者を名指しで貶めるものではない。被差別者にあって差別者と共犯者にはない社会的カテゴリーとの関連で貶める。例えば差別者と共犯者が男性で被差別者が女性である場合、送られるのは「女はバカだ」「女は感情的だ」というメッセージであり「あいつはバカだ」という個人攻撃にはならない。

メッセージに含まれる負の価値は事実とは関係ない言いがかりのようなものだ。しかし共犯者が差別者からのメッセージを受け入れると二者の間では主観的な事実となる。

「われわれ」というまとまりは排除される存在があって初めて成り立つ。「われわれ」には何らかの共通する属性はなく、「○○ではない」という点でまとまっているにすぎない。先の例でいえば、男性である「われわれ」ではなく、「女性ではないわれわれ」なのだ。

「われわれ」に実体はない。様々な特徴を持つ雑多な人びとの集まりであるにもかかわらず、被差別者を排除する限りにおいて一枚岩となるのである。

2. 差別の目的

佐藤は差別を「利害関係主導型差別」と「同化主導型差別」の2種類に大別する。利害関係主導型差別は差別者と被差別者の間に利害関係があり、具体的な権限や利益などを奪うために行なわれるものだ。

本稿の文脈で重要なのは同化主導型差別の方だ。これは「われわれ」同士の結束を強めたり、「われわれ」の間に何らかのルールを持ち込んだりするために行なわれる。

「女はバカだ」という場合、「われわれはバカなことをしない優れた存在だ」という満足感をもたらしたり、「われわれは女ではないのだから、バカなことをするな」とルールを持ち込んだりする。

3. 橋下徹が用いる排除の手法

橋下が大勢に向けて発するメッセージをこの三者関係の排除モデルに沿って分析してみよう。

三者関係のなかで、橋下は無論差別者の位置にある。被差別者の代表的なものは公務員だろう。共犯者には有権者が相当する。

橋下は、公務員は「不正を行なう」「怠慢だ」「不当に高額な給料を得ている」などのメッセージを発信する。これらを「事実」だと感じる人もいるかもしれない。しかし、公務員が全てそうであるわけではない。橋下自身も「一部に問題がある公務員がいる」などとよく口にする。ここで重要なのは負のイメージを「例外はあるがこれは公務員の根本的な問題だ」と一般化して語ることだ。

橋下が発するメッセージは基本的に彼個人の感情的なものなので「庶民感覚」に近いと受け止められやすい。有権者の中には彼の感情的なメッセージに単純に共感してしまう人も多い。こうなると「庶民感覚の橋下府知事」と「庶民である私」は仲間であり、橋下府知事は「われわれ」の味方だということになる。

実際に橋下がやってきたことを見ると「われわれ」の不利益になることが多い。しかし、彼を「われわれ」の理解者であり、味方だと信じ込んでしまった人びとにはもはやそういった具体的な違いが見えない。そういった違いを見えなくして結束力を強めるのが排除の機能だという点に注意して欲しい。

4. マスメディアの役割

ところで、この三者関係のモデルに当てはまらない人々も多くいる。橋下や大阪維新の会を支持しない人々だ。これらの人々も三者関係のモデルでは共犯者の位置にくる。しかし、橋下のメッセージのうさんくささに気付き、拒否するため共犯者にならず、排除に加担しない。これらの人々の姿が見えにくいのはマスメディアの影響がある。

現在のマスメディアは批判力が弱く、橋下のメッセージをそのまま流してしまうとよく問題視されている。マスメディアが一面的な情報を流すと、それが支配的な考え方のような錯覚を情報の受け手に与えてしまう。反対意見が報道されないために橋下の意見が社会一般に受け入れられているかのような雰囲気ができあがってしまう。

「それは違う、世論調査や選挙の結果で実際に支持率が高いことが証明されているではないか」という反論が予想される。マスメディアが実施した世論調査では確かに橋下府知事への高い支持率が出ている。2010年末に読売新聞が実施した世論調査でもそうだった。しかし、この調査結果では「橋下府政になって生活がよくなった」と回答した割合は数%に過ぎなかった。

排除図式の中で作られたかりそめの「われわれ」感覚が橋下府知事への高い支持率につながっていても、政策面では実質的な生活改善が見られないことをほとんどの人々が感覚的に理解している。

大阪維新の会の高い得票数も「われわれ」感覚の擬似的な仲間意識と目隠し効果が功を奏しているに過ぎない。差別の根絶が難しいのは、差別を生み出す過程が一見して分かりづらく、一度差別の構図か成立すると集団的な力となること、そして、差別当事者には具体的な事実が見えなくなる効果があるためだ。橋下支持者が論理破綻した主張を自信満々に繰り出し続けるのはこのような図式にはまってしまっているからだ。

世論調査の設計と分析にも問題がある。表面的な支持率と具体的な政策との関係が分析されていない。橋下は表面的な支持率や得票数を「大阪都構想」のような具体的な政策への支持に勝手に読み替える。支持率や得票数は「われわれ」意識による漠然とした期待感を反映しているに過ぎない。世論調査では、個別の政策の支持率やその理由を含めた調査項目を設定し、具体的に何がどうして支持されているのか/いないのかという実態を明らかにしなければ意味がない。

現状のマスメディアは、表面的な事実をそのまま流すことが偏向のない報道だと勘違いしているようなところがある。そして、このような不用意な報道姿勢が具体的な事実や問題を深めず、気分だけで物事を決めてしまう危険な風潮を作ることに大きな役割を果たしている。

したがって、マスメディアへの対策が重要になってくる。だが、その前に差別者たちが異論を排除していく手法についても確認しておきたい。

5. 不当性を告発する者を排除する手法

差別とは不当なものである。不当性を告発していくために差別という言葉があると言ってもいい。差別問題には差別の当事者だけでなく、差別の不当性を告発する者がいる。橋下府政との関係では橋下を支持しない人たちがこれに当たる。

差別者、あるいは「われわれ」意識に浸っていたい者たちにとって告発者は目障りな存在だ。そこで告発者たちも排除の圧力にさらされる。ここでの排除の手法も基本的に差別の場合と同様だ。次に引用するある橋下支持者のツイートを見て欲しい。

【橋下知事を批判する人々】 生理的に嫌悪感を催し、感情的な反感を持つ人。 自治労の関係者。 既得権を侵されそうな業界関係者。政治被れの学生または若年者。 一部の識者。

これはあるTwitterユーザーが「橋下知事を批判する人々」を類型化したものだ。この類型は何の意味も持たない。例えば「政治被れの学生または若年者」など、橋下支持者の中にも大勢含まれているだろう。また既得権益を持つものが批判するような書き方をしているが、批判する理由が既得権益から来ている根拠はどこにもない。何らかの社会的カテゴリーを取り上げ、負の価値づけ(見下し)をすることにより他者化と同化を行ない、「われわれ」意識を喚起して、「敵」(告発者)を排除し、反対意見を封殺しようとしている。

橋下自身もよく有識者やマスコミ、官僚を槍玉に挙げる。なぜなら、これらの人々は批判能力が高く、橋下の政策の問題点を論理的に指摘できる人々だからだ。橋下はこれらの人々を貶め、排除することで批判を封じている。

6. 差別者に対抗するにはどうすればよいか

排除のきっかけとなるのは差別者が発するメッセージだ。このメッセージに気づき、無効化する必要がある。

差別者が用いる「同化メッセージ」はあいまいさを特徴とする。あいまいなメッセージをあいまいなままで「理解できる」ことが、「われわれ」が仲間であることを裏付ける根拠にもなっているからだ。メッセージがあからさまなものだと「それは違うでしょ」と拒否される危険も高くなる。差別者にはそもそも不当な働きかけをしている自覚がある。だから「全部言わなくてもわかるだろ?」というあいまいな言葉が持ちかけられる。

排除を無効化するには同化メッセージを相対化し、しらけさせる取り組みが必要だ。この際、メッセージを具体的に批判してはならない。差別者はメッセージのあいまいさを利用し、「そんなつもりで言ったのではない」とのらりくらり言い訳を繰り返すだけだ。同化メッセージを無効化するためには、メッセージの「あいまいさそのもの」を問題としなければならない。

筆者は「橋下ツイッターを読み解くコツ」で「腹を立てずに、その都度おかしなところに立ち返る」必要性を指摘した。読んでいて腹が立つポイントで橋下は必ず論理を飛躍させる。これはつまり、あいまいな言い方をして議論の前提をすりかえようとしているということだ。議論の前提をすりかえ、根拠のない妄想の中に相手を巻き込む話術に過ぎない。差別者の論理にいったん乗っかってしまうとそれ以降の議論が全ておかしな方向に転がってしまう。だから「腹が立ったらその都度おかしなところに立ち返る」ことが橋下ツイッターを読み解くコツの一番最初に来ているのだ。

同化メッセージのあいまいさをとらえるには独特の姿勢がいる。同化メッセージを無効化する試みを佐藤は「ワクチン」と呼んでいる。全ての差別(病原体)にオールマイティに効くワクチンはない。橋下や大阪維新の会の議員・候補者、その支持者がおかしなことを言いはじめたら、一つ一つをその都度引っくり返す工夫が必要だ。もちろん、続けていればある程度パターンが分かってくるだろうが、新しいパターンを繰り出してくる可能性も高い。

7. 橋下府政への対抗手段としてのマスコミ対策

現在のマスメディアの無批判な報道姿勢は非支持者の存在を見えなくする。橋下はよく「民意」という言葉を口にする。彼のいう「民意」とは「われわれ」を形成する共犯者の意識しか含んでいない。多様な意見を提示しないマスメディアがこのおかしな認識を一枚岩の「民意」に見せかけてしまうことはすでに指摘したとおりだ。

結局、マスメディアをなんとかしなければ、いつまで経っても病原体がまん延する。ワクチンを開発したとしても、ワクチンを接種する速度を上回って感染が広がるようでは意味がない。

そこでマスコミ対策が必要になるが、どのような働きかけが可能だろうか。個人の力でマスメディアを動かそうと考えると途方に暮れてしまいそうだ。しかし、個人個人の取り組みが案外力を持つのではないかと筆者は考えている。その根拠はTwitterの中で積極的に反橋下・反大阪維新の会のつぶやきを発する人々が多く見られることだ。

筆者はマスメディアの自浄能力を活性化することを主張したい。マスメディアの中にもたまに批判的な視点が提示される。特に新聞記事にはそういったものが多い。橋下ツイッターが特定の記事を槍玉にあげるケースは少なくない。マスメディアの中にも多様な意見を反映していかなければという問題意識はある。こうした問題意識を持つ記者や番組製作者をエンパワメントしていった方がいい。

具体的にはよい記事、よい番組を見かけたら新聞社や放送局に直接意見を送ることだ。マスメディアが報道の方針を決める際、読者・視聴者の意見は一定の影響力を持つはずだ。選挙に行かない人の問題が指摘されるように、届かない意見は「ない」ことになってしまう。もちろん、インターネットを見れば多様な意見がある。しかし、探して見つかるのと、特定の記事・特定の番組に対して直接意見が届けられるのとでは天と地ほどの差があるはずだ。

8. 弱いつながりの強い力

特定の記事・特定の番組に対して支持する意見が届けば確実に影響力を持つ。もちろん、1件2件ではあまり意味がないが、1000件2000件も必要だとは思えない。どれくらいあれば充分だとは言えないが、例えば50件100件でも力を持つのではないだろうか。

基本的にマジョリティはわざわざ意見を送らない。問題意識を持つ者が少しずつでも意見を送れば全体の割合としては多数派になる。50%前後の投票率で資質に問題のある候補者が当選してしまう昨今の選挙を考えて欲しい。マスメディアに対してはこれを逆手に取れるのではないだろうか。

一日に10、20つぶやくうちの1つでいいから、マスメディア宛の意見として発信するよう心がければかなり情勢は変わるのではないだろうか。メールフォームから一言メッセージを送るだけでも1票は1票だ。意見を送り慣れてきたら、1票の質を高めることも考えていきたい。Twitterの中に流してしまうとそれで終わってしまうが、同じものをマスメディア宛に送れば大きな力につながる。

バラバラな個人は力を待たない。とはいえ、大きな集団を組織して権力に対抗していくのもそう簡単ではない。しかし、この方法はバラバラの個人がバラバラのまま、小さな意見を一ヶ所にまとめていくからこそ大きな力を持つ。「弱いつながりの強い力」とでもいうような可能性がある。

Twitterに費やされているエネルギーのうち、ほんの少しだけ出口を変えてみる。試してみる価値はあるのではないだろうか。

運動の経験があるわけでもなく、メディアの研究者でもない筆者の言うことがどこまで確かかは分からない。それでも、大きな流れに逆らってジタバタして、小さな動きを大きな力に変えていく道はあると思う。個人個人は決して無力ではない。

追記

マスメディアへの意見送り先のリンク集構築を始めました。随時追加していきます(110702)。


解題(2019年3月4日)

 これこんなに早い段階でまとめていたのか。ワクチン1.5を書いたところで書いていたことになる。

 佐藤裕『差別論』の枠組みを当てはめているだけなので、さほどオリジナリティは感じないなあ。無効化の戦略もそのままだし。

 「差別行為の三者関係モデル」への関心があって、この理解を深めるために橋下ワクチンに取り組んでみたという実験的なところがあった。

 この記事が早い段階でまとめられ、その後20を越すワクチンが作り出されていくのだから、理論的な枠組みが予め用意されているというのはなるほど重要なのかもしれない。

 最後のオチがグラノヴェッターのアレンジなのが気恥ずかしい。もっともらしいことを言うためにベタなもの引っ張り出してきた来た感が。




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