2025年5月23日(金)
どうしてこんなにやる気が出ないのかな。
*
僕たちはどちらも答えを持っていない。どちらも不十分なのだと思う。僕らのどちらも、今持っているものでは正しい答えを出せない。
2025年5月19日(月)
自分で納得できるようになるまでの時間がかかるんだな。
2025年5月13日(火)
心配するほどでもないことを心配しすぎない。不安になっても、思い悩まずに必要な範囲での準備をすればいい。むずかしいことはない。
2025年5月10日(土)
心配しなくてもすべてのことはうまくいく。気に病めば気に病んだだけ苦しみが増えるだけのこと。
避けられない苦しみもある。しかしそれは息切れほどのものだ。
*
無理をしなくても力は引き寄せられる。道の上に用意されているものを先取りすることはできない。
2025年5月8日(木)
最先端のものを追っていなければ評価されないのであれば、研究の蓄積には何の意味もないだろう。
2025年5月5日(月)
まずはやるべきことを整理しよう。
2025年5月3日(土)
社会で起きていることへの自然な関心の高まりなんてなかったよな。
新聞の読み方、ニュース番組の見方なんて分からない。身近なことに感じられない。
今でこそ、ある程度の距離感を持って受け止めてはいるものの、それは十分な把握は不可能だと見限った上でのことだ。
*
道は選べないのかもしれない。
道が人を選んでいるのだとしたら、問われるのはそこに意志を示されるか。
2025年5月1日(木)
相変わらず何もやる気がしない。
少し落ち着いてどうしたいのか考えてみよう。
2025年4月29日(火)
やばいくらい何もやる気がしない。
現実逃避して本を読みたくもならない。
2025年4月27日(日)
昨夜は何か更新しようとしてし忘れてしまった。
*
そうか、日記形式の物語があるなら、フィールド日記を元にした論文もすでに物語なのか。
2025年4月26日(土)
2025年4月21日(月)
このタイミングで虚しさに囚われるのは必然だろうか。
どちらにせよ、受け止めつつやり過ごすしかないのだろうけど。
*
花粉症じゃないなと思い切ったのは、まだ先週の話だった。
まだまだ新学期でもある。
2025年4月17日(木)
これは疲れる。
2025年4月15日(火)
もう花粉症ではないなあ。まだ一週間しか経っていない。しばらくしんどい時期が続くのかな。
*
意識魂というのは、後でも説明しますが、一口で言うと、「人間は努力する限り迷うものだ」というゲーテの『ファウスト』の言葉に代表されるように、努力し、迷って生きていることに生きがいを感じる魂のことです。[高橋巌、1990『シュタイナー教育を語る――気質と年齢に応じた教育』角川選書: p.153]
2025年4月14日(月)
なんだろう、この気持ち悪さ。
*
まだ何か苦しんでいることがあるのか。
2025年4月12日(土)
これまで踏み間違えて無理をしてきたことがあるなら、取り戻していくにもしばらく痛みがともなうこともあるか。
*
マスコミは出来事を伝えなければならない。発信された以上扱わないわけにもいかない。そこに付け込んで世論を操作しようという企みを避けられない。
であれば、マスメディアとはそのような道具だし、マスコミはその縛りを避けられないと受け手が心得ておかねばならない。しかし、この単純なことが理解されていないわけだ。そこにまた付け込まれているというのに。
2025年4月6日(日)
疲れるとネガティブになるから、疲れないようにしたい。
2025年4月4日(金)
つまり、人柱として殺されるための時間だったのか。
2025年4月3日(木)
うーん、ようやくとっかかりを見つけたというところか。
自己を分析対象にするためには、状況の変化の中に位置付ける必要があるというわけだ。
*
人柱だなこれは。フィールドワーカーが自らを人柱にして記述を可能にしている。
*
2、3日前に考えていたことは完全に的外れだったなあ。
僕はやっぱりフィールドワーカーとして妥協できないんだな。
2025年4月2日(水)
ああ、そうか。研究会で報告しておきたかったのは、嫌な思いをするためだったのか。
すんなり受け入れられることはない、理解されることはない。それでもそれを呈示する姿勢を問題としている。
|