2019年6月30日(日)
本を読んでいて、読み飛ばすのはどんな時かなと思って、読み飛ばした時に読み返してみてたら、要するに何が書いているか
予測がつく時で、大体予測の通りのことが書いてある。
しかし、よくそんな判断ができるものだ。
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風邪の引き始めっぽい。
2019年6月29日(土)
1時間くらい早くついてどうする。
2019年6月28日(金)
明日のことなど分かったものではない。
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本当は抱え込まなくてはならないようなことではないはずだとも思う。抱え込まなければここまで負担にもならない。
一息ついて休めばいいのだが、その一息がうまくつけない。
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やるべきことをやったら、残りは飄々としてやりたいことを好きなようにやって、好きなことを考えていればいいような気も
する。
しかし、問題はやるべきことをやるために切り替えられるだけのエネルギーのストックができるかどうかというところにある
のかもしれない。そうしたエネルギーのストックが常に不足していて、直前にじっとして苦しんでいるのがそういう時間なのかもしれない。
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ちょっとした空き時間に読める本など限られてくるし、読める量も知れているのだから、その時間にそういうことをしようと
するのはやめるべきか。し
かし、本を読みたいという気持ちは強いので、本をじっくり読める時間はどこかで確保しておかねばならない。そうは言ってもそんな時間は常に不足していると
感じられるだろうなあ。割り切るとしたら実はここなのかもしれない。
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面倒くさいノルマを終えて、さて少しゆっくりしようか、本でも読めるかなと思った瞬間に忘れていた雑事を思い出す。雑事
はいくらでも埋もれている。
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だめだ、やっぱりつらい(笑)。
2019年6月27日(木)
だるい……。
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自分を苦しめているものが何なのかわからない。
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問題設定って何だろう。
2019年6月25日(火)
何をおそれ、ひるむことがあろうか。
そのような気持ちで行くしかないし、それが最善だろう。
2019年6月24日(月)
日曜日更新し忘れていたか。もう今月も一週間切ったんだな〜。
2019年6月22日(土)
身体がガタガタ。
2019年6月21日(金)
昨夜はお酒は控えたけど、睡眠時間3時間、4時間ではやはりしんどい。最近フィールド日記がおざなりになっているので、
時間がかかるのを承知で意識的に網羅的かつ綿密な書き方を昨夜はしてみたが、最後の集約の辺りのまとめはもう、体力の限界で思い出し切れない。
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空間と場所の対比は社会学での社会と相互行為の扱いと被るような感じが一瞬するのだが、全然違いそう。
場所には固有の経験やアイデンティティが関係してくるし、「構築される」という点で相互行為は自ずとからんでくるもので
はあるんだろうけど、空間
を社会と重ねようとするとグダグダになってしまう。しかし、僕が相互行為と意味づけの分析の中で社会との接点を探ろうとするときの感覚は、場所と空間の接
点を探ろうとするときの感覚と近いのではないだろうか。違うのかな。
空間というのを場所との対比でその都度定義されるもののように僕はイメージしているのだろうか。相互行為と意味づけとの
接点を探るものとして想定
される社会というのは、「構造」といった方が良くて、どの程度のスケールの「構造」なのかは、そこで展開したい議論によって異なる。
これが場所と空間だとすれば、空間というのは場所の構築とは違った経路で構築される、ないし存在する摂理のようなイメー
ジじゃないのかなあ。
まあそれは違ったとしても、僕がこだわろうとする「場所性」や「空間」というのは、地理学的な議論と切り離したところで
うまく使えばいいのではな
いだろうか。特に、ここでの空間は「公共空間」であり、都市の統治の原理が注入されて影響を及ぼす現象面をまずは問題化しようとしている。
2019年6月20日(木)
また数日は休めないと思うとつらい。
2019年6月19日(水)
昨日よりはマシだが、いくらでもやることが出てくる。
2019年6月18日(火)
やる準備は常にしているのにやる気が出ないというか、やりはじめても頭に入ってこない。
なら逆に頭に入ってくるものをやればいいとも思うが、何だったら頭に入ってくるのか。
頭を使わずにできることをやるとか?
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10時半くらいになったら落ち着いてくるのかな。それとも飲み物で糖分を補給したから?
2019年6月17日(月)
財布を家に忘れた。カバンに入れっぱなしのはずなのになぜ。
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レジリエンスなんてあるのか。
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財布あった。なぜこっちのカバンに……。
2019年6月14日(金)
「何が正解かわからないから片っ端から全部やっていく」というのも一つの方法。「わからないという方法」みたいなものだ
ろう。
2019年6月13日(木)
多分もともと下降気味のところに重なっていてしんどい部分もあるんだろうけど、とにかくつらい。
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何かを得ようと努力した分だけ、得られたとしても失われるものがあるのだとすれば、努力とは何なのか。
2019年6月12日(水)
もう無理。
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レジリエンス。
時が経てば回復する。ずっとこのままということはない。今はただ苦しいだけ。
回復するまで生きてないといけないのか……。
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運命には抗えない。運任せと思って気楽に生きるしかないのかもしれない。
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明日の予定。税金の支払い?
文房具屋に原稿を預ける、図書館で複写資料を受け取る(本を返却)、授業資料のコピー、かき氷機受け取り、原稿の回収、耳鼻科受診。
2019年6月11日(火)
毎日眠い。
多読がんばる。
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2、3分でも座りたい。
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マイナスを力に変える。
2019年6月10日(月)
『なんて素敵にジャパネスク』読んだ。これは面白い。
2019年6月9日(日)
昨夜は風邪引きかけのような悪寒の予感がしたので夜更かしをあきらめてさっさと寝て、朝はマシになっていのでやはり寝て
良かったのだと思ったが、頭痛い。
2019年6月8日(土)
多読やり直し。基本からみっちりやり直そう。
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いろいろ失敗した。致命的なケアレスミスもあり、作業を中断せざるをえない。
2019年6月7日(金)
もう毎日しんどい。
2019年6月6日(木)
基本的に生きるということは眠いと思って生きるといいのかもしれない。
野生の獣は常に飢えているなどというが、高度に文明化された人間は常に眠い、みたいな。
生き物だから仕方ない。
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今日はいろいろ用事を済ませて図書館で本を借りることもできたが、これを読む時間ができるのは何日か後だと思うとつら
い。
2019年6月5日(水)
更新し忘れていたか。まだ宵の口だからまだ4日ということにしてもいいのだが。
■文献探し
いつまで経っても文献の探し方がうまくならないなと思う。ついつい面白くもない本を眠くなりながら読み続けてしまい、時
間だけが無駄に過ぎる。
こんなこと迂闊に言わなくていいようなことだと思うが、本を一冊読むというのは割りに合わない。情報収集なら、論文を何
本も読み飛ばしていったほうが効率がいい。大体、本一冊なんて使わない、使えない部分が大半に決まっているではないか。
複数の著者による編著を読むときも、目的の章だけ読んでいればいいものを、その章が面白いと、他の章も何かいいことが書
いてあるのではないかと虫
のいいことを期待して最初から読み始めてしまったりするが、大概そんなことはない。一部を読むだけだから図書館で借りればいいと思った本についてそのよう
な錯覚をしてしまい、古本で購入してしまった後に2章、3章と読み進めていくとすぐに「これは違うな」とわかる。そうやっていらん本が増えていく。コピー
で十分じゃ。
もちろん、新しいことを調べ始める時の取っ掛かりとして、どうしても一冊まるまる目を通して参考文献を拾っていくという
作業が必要になる場合はあ
るが、それもまあせいぜい2、3冊にとどめておいて、あとは拾い上げた参考文献のリストから個別の論文を渉猟していった方がいい。
「こいつこんな本の読み方してんのか」と信用を失いかねないようなことをわざわざ書くリスクを冒すメリットがどこにある
んだという感じだが、こう
やって自分の限界をさらけ出してしまった方がたぶん僕は頭が良く回るようになるので、名より実をとるからそれでいいのだ。ああ、バカだと大変だなあ。バカ
であることをさらけ出さないといけないんだから。
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ほんま書かんでもええことやな。
2019年6月3日(月)
休んでも休んでもしんどい。むしろ悪化した気すらする。平常業務をこなすのもギリギリになりそう。
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矛盾したところから語りはじめねばならない。この矛盾を逆手にとって論拠とするような問題提起が試みられねばならない。
「なぜ?」「ほんとう?」「とても信じられない……」
無神経な問いの数々。そうとも、それは信じられないのだ。信じられない出来事が引き起こされたのだ。彼ら、彼女らはその信じられない出来事の犠牲者なの
だ。あなたがたを信じさせる義務が、犠牲者に課されねばならないというのだろうか。(徐京植『プレーモ・レーヴィへの旅』1999年、朝日新聞社、
p.203)
2019年6月2日(日)
ノートパソコンのバッテリーがへたって2時間くらいしかもたないが、僕のバッテリーも同じくらいしかもたない。
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午前4時前、ファミレス。だるい。
2019年6月1日(土)
現在進行形の事態を扱うには、自己をうまくデータに入れてく必要があるのかなあ。
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