過去ログ
2019年8月


2019年8月31日(土)

■原稿1 #9

 Wordの文字カウントの表示が文字数だと思ってたら単語数だった。1,000字弱オーバーしてる。どうしよう……。

 訊いてみよう。

 しかし、書き上げるまでは必死だったから内容を顧みなかったが、完成して読み直してみると最初の依頼内容とほとんど関係ないものにしてしまったような気がしてきた。

2019年8月30日(金)

 疲れた。疲れてもひとり。

2019年8月29日(木)

■原稿1 #8

 長い1日だ。

 昨夜眠れずにビール飲んで、その流れでちょっとファイルを見直していたら、そのまま酔いが醒めるまで修正作業を進めてしまったので、あとは結論部分を詰めれば完成だ。土日に勢いつけて完成させるしかないと思っていたが、もう余裕じゃないか。よかったー。

 面白かったけど、めちゃくちゃ疲れた。少し休んでから帰ろう。

 夜回り。やること多いな。

 もう行かないと。

 しんどい……。

2019年8月28日(水)

■原稿1 #7

 いくつかのテキストファイルからWordにコピペして並べ直し、見出しをつけて成形した。見出しをつけながら論点を整理していったら理論的な枠組みもバシッとはまりそう。これで本当にいける見通しが立った。

 夕食時にビール飲んだら全然美味しくなかった。体調悪すぎ。

2019年8月27日(火)

■原稿1 #6

 うーん、これはあかん……。

 絶望的な気持ちに囚われたと思ったら、その一瞬後に冷静になって考えが整理できたり、僕の未来はどっちなのか。

 奇跡的にまとめ方が固まってきたが、これ締め切り期間内に完成させられるんだろうか。完成にこぎつけられるまでメンタルを良好に保てるだろうか……。

 昨夜は「研究者というのが何なのかすらもうよくわからない」とまで思って、しかし研究の基本は「目的、対象、方法」の三位一体だろうと考えた。ならば目的に立ち返って考えるべきで、目的につながる部分は僕にとってはフィールドの違和感であることが基本になっている。また、大体のところ僕の関心は排除に関連しているのだが、そうやって考えていくとここ最近の僕のフィールドでの気づきは、排除というより包摂的な側面を重視していることに気づいた。排除を論じるのはお手の物だという自負があるが、包摂というのはどっちかというとあまり扱いたくないテーマで、排除の対概念として語られること自体に疑問を抱いているくらいだ。

 しかし、ここでの包摂というのは、マクロな構造的な排除に対し、まったく別の根拠を用いて構成される包摂であり、そうである以上、対抗的な可能性を秘めたものとして位置付けられる。そして、ここでの「対抗的可能性」というのが、野宿者運動としての対抗可能性というよりも、現代的な都市空間の統治のなかで、野宿者運動を介して初めて見えてくるものだというところが重要なのではないかと思った。

 その流れでこっちの原稿についても考えていった。考えていった、というか、そもそも自分は何を思ってこんな面倒くさいことをはじめたんだったか、フィールドにおいて何に面白さを感じたのかを見つめなおしてみようと思った。

 忘れていたのはフィールドにおける気づきを理解に変えていくための内省の部分だった。エピソード記述の言葉を使えばメタ観察なわけだが、自分にとっての唯一最大の武器すら見失っていたことに気づいた。

 どん底にいる気分で「ああ、これは対象との距離が取れなくなっているというやつだな」と思った。あえて距離をつめることを戦略的にやってきたつもりで、実際にはまんまと対象に取り込まれてしまったのかとひどく悲観的な気持ちになった。一体ここからどうやって距離を取れるんだろうと途方にくれそうな思いだった。このやり方では、一定期間フィールドワークにどっぷり取り組まなければならなくなるから、「はまりすぎ」が起きること自体は必ずしも失敗というわけではないはずだが、これまで自分が獲得してきたと思ったスキルやセンスは全部錯覚ないし、単なる過信だったのかと思うと、全てが無駄だったような気持ちになった。

 こんなことを書きつつ、またすぐに見えなくなってしまって、同じような苦しみに陥るのではないかという不安はある。ぶざまだなあ。

 そう、まともに休んだり気晴らししたりする余裕のないスケジュール進行だから、必ず揺り戻しがあるのだ。一喜一憂せずにやり過ごすのが賢いのだろうが、なかなかそうもいかない。ずーっと気を張っているわけにはいかないし、気を張って思考を高めるからこそ疲れて飲まれてしまうのだから。

 昨日の深夜から明け方にかけてと、2時間程度の睡眠の後に、洗濯物を干しながら思いついたことを鍵アカでツイートした。

 このツイートの内容でだいたい行けそうな気がするところまでまとめたものの、本当にこれでいけるのか、文字数的にはどうなのだろうかと負担だったが、ツイートを全てテキストファイルにコピペしてみたところ、これだけで7000字はあるので文字数的には余裕でいけそうでほっとした。

 ツイートも積もれば山となるわなあ。

2019年8月26日(月)

■原稿1 #6

 まだ燃やすものは残っているのか。

 燃やせるものが溜まるまでの時間も必要だろう。

 汲めども尽きぬように降り注いでくる苦しみに耐えることが燃やせるものを残すのかもしれない。

 フィールドでものを考えるのがフィールドワーカーであるなら、ここもまたフィールドの中にある。境界を越えて思考する振幅にフィールドワーカーの魂が宿るのだ。

 帰りの電車でうたた寝した。

 何だかんだ言っても、今の段階では論文が書けないのは確か。まだ分析まで着手できていないというところと、しっかりした理論的枠組みを作れない後ろめたさはあるのではないか。

 しかしまあ、それも仕方ないといえば仕方ない。ないものはない。とにかくデータを集めなければならなかったんだし、データを集めてみなければ見通しが立たないようなやり方を覚悟の上でやってきたんだから、今は何とか乗り切るしかない。

 うわ、書いたやつ保存前に全部消えた。

 発作のように波が来るなあ。

 フィールドワークにはそろそろ区切りをつけて、まとめに入るタイミングに来たのかなと思う。

 この波を何とかやり過ごしながら泳ぎ切ることを考えなければ。しばらく苦しい時期が続く。

 勉強不足の自責感が強すぎるなら、原稿をいったん置いて勉強を始めてしまうことで精神安定剤にする。

2019年8月25日(日)

■原稿1 #5

 がんばれー。

 体系化して語るのが難しい……。

 結局、毎度毎度の枕を使って書きはじめてみる。もうわかりきったことではあるが、理解の共通項を示しておかないと話を進めようがないし、「この範囲で語る」という射程を絞っておかないと、何をどう書いていいかわからない。

 何がこんなにつらいんだろう。そんなに大変な原稿とも思えないのだが……。

 考えてみれば、この報われない感はこの数日の話ではない。

 そうだな。なんか、批判とか告発をしようというエネルギーが湧いてこない。それは研究者としての尊厳を踏みにじられているせいで、というか、僕がやってきていることを軽々しく全否定されているようで、どうにも気乗りしないということなのかもしれない。基本的なもの信頼感のようなものが毀損されているような気持ち。

 しかし、そのことに気づいてしまえば、どうせこの道はそんなもんだと、自分の本来のあり方に立ち返るしかないようにも思う。この繰り返しだ。

 もう研究者共同体の都合などどうでもいい。たとえ低い評価しか得られなかったとしても、低評価を越えてたどり着かなければならないところがある。泥をかぶるのが嫌で歩みを止めることなんてできない。もうそんなところまで来てしまっているんだ。

 夕飯の買い出しをしている時に気持ちを切り替えないとどうしようもないと思った。帰宅してスーパーで買ってきた飲み物と音楽を聴きながら溜まった新聞を読んでいたら、どこの業界の誰が何を言おうとこれはこれでやり遂げないといけないと思ってやってきた仕事なんだから、そう思えばやりきるだけのことだと思った。

2019年8月24日(土)

■原稿1 #4

 相変わらずつらいけどつらいことをしているんだから当たり前。フィールドノートにもそう書いてあった。

 しんどい。

 だいぶ駆け足で「センターの日」を振り返ってきた。あと2回分だけど、重たいのは疲れのせいか、最近すぎるからなのか。

 けじめとして一応目を通して、データとしては今回用いないようにした方がいいかもしれない。結果としてターニングポイントになっている第14回目あたりが山場か。

 何でこんなつらい思いをしているのかわからない。

 一通り目を通して一寝入りした。3日か4日かかった? もりだくさんだった。さて、どうまとめるか……。

 去年書いたやつをベースにするしかないやん。「センターの日」で得られた問題の構造的な把握はあれにまとめてあるんだから、今度はあれを出発点にして「センターの日」の事例をもとに労働者が置かれた状況をとらえ直さないといけない。そのなかで「西成特区構想」の議論を通してセンターの建て替えが焦点化されていったことも指摘する。

 うーん、分析がまだ浅すぎて、風呂敷を広げられない……。

 細かな事例を提示しながらの類型化は無理だ。「センターの日」の長めの概要のような形でまとめるしかない。この後に続く報告を「読みたい」「知りたい」と思わせるような壮大な予告編として組み立てよう。

 ならば書き出すためのみそぎが必要か……。

 もうゼロから一気に書き上げるつもりで書き出せる入口を探ろう。

 あるいは問いを絞るか……。

 あまり方法論の議論に深入りすべきではない。それは別に機会を設けてしっかり論じなければならないほどの大きなテーマになるはずだ。

 どういう展開にしたら面白いかな。

 西成特区構想の説明は必要だろうけど。

 今夜は肩の力を抜いて寝るか。

2019年8月23日(金)

 もう勘弁してくれ……。

 でも耐えて何とかやり過ごすしかないのか。

 コメントは正しいのだとしても、帰納的な方法論に対する無理解、敬意の無さがありありと伝わってきてうんざりする。信頼できないんだな。

 結局、ジェントリフィケーションというワードを持ってきて、そこで対抗的な主体(コミュニティ)が立ち上がる条件を探る──といったところか。

 研究業界における業績主義はあるべき規範のようなところがある。しかし、業績主義が前面に出るとき、実は背後にあるべき当たり前の関係のあり方は抑圧されているのかもしれない。研究者は新自由主義に親和的で、学者が学者の顔をして、まったく学者の本分とかかわりのない仕事に手を染めるのはそういった入り口が用意されているためかもしれないなあ。

 自分の経験の中に分け入っていかなければならない。苦しみの先に見えてくるものがあるのだとすれば、相当の時間を苦しみ抜かなければならない。

 苦しみの形は決まっていない。苦しみの道筋がゴールへと繋がっているわけでもない。

 答えを求める者の前にしか答えは見えてこない。しかし、答えを見つけるためのこれという手段がわかっているわけでもない。答えを求めるとは、問い続けること、向き合い続けることである。向き合い続ける手段はある。しかし、答えはその手段によって直接もたらされるものではない。

 力んだところで苦しみが無くなるわけではないんだよね……。

 やるべきことをやり終えていないのだから苦しいのは当たり前だ。

2019年8月22日(木)

 しんどいことだ。

■原稿1 #3

 どうまとめたものか。アイデアはいくつかあるものの、形を成さない。

 だいぶ後ろ向きな気持ち。

 センターにまつわる語りをいくつかタイプ分けしないといけないのかもしれない。センターにまつわる語りの重層性を明らかにする。

 いつもいつも「もうダメなんじゃないか」と苦しみながら自分の中に意味を掘り当てている。このやり方をしなければ可視化できないことだからと腹をくくってやっている。このやり方をする限り心無い言葉を投げつけられる。それは仕方ない。底へと降りていくプロセスにおいて必要なこと、必ず起こりうることなのだから。そうまでして意味を掘り当てるのはただそこにある排除の構造を可視化するためだ。誰かがそうした思いをしてでも試みなければ排除にさらされる人たちの苦境を理解してもらえる日は来ない。

 しかし、排除を読み解くとはそうしたことだという理解を反排除を語る人間が理解していないとしたら、げんなりするなあ。それでも、それだけ理解されづらいこと、自明視されていることだと割り切るしかない。

2019年8月21日(水)

 昨日も更新忘れたなあ。

 介護初任者研修って、受講料にめちゃくちゃ幅がある。僕の生活リズムで取ろうと思ったらめちゃくちゃ高いコースになってしまう。

■原稿1 #2

 「センターの日」の記録を読み返す。初回から面白い。やってる時は必死すぎて消耗感が勝るようなところがあったけど、センターという場所の豊かさが感じ取れるようだ。

 なぜ「センターの日」のようなアプローチになるのかを手がかりに主題を掘り下げるのがこの原稿の方向性だろうか。

 基本的人権のあり方にかかわる話なのかもしれない。人権を条文ではなく、関係のあり方としてとらえる視点を提示する。

 もしかすると路上の権利は議論を拡張する可能性があるのか?

 査読めんどくさ。趣味やん。

 ふふ、うんざり。

■ 鈴木亘『経済学者日本の最貧困地域に挑む──あいりん改革3年8ヵ月の全記録』東洋経済、2016年

 いろいろおかしなところがあるが、しっかり文章としてまとめあげる気力がないので、備忘録的に書いておこう。

 たいそうなタイトルのわりに、その西成特区構想のために特別顧問になった鈴木亘は5年間の特区構想の期限が切れる前に道半ば顧問を辞めている。なせか。単に橋下徹が市長を辞めたからだ。辞めるタイミングとして好都合だったのだろうし、橋下個人との人間関係でやっていただけだったからだろう。本文中で自分が維新の政策顧問でもあることを堂々と書いているし、橋下の「大阪都構想」に向けた政治的動きや国会議員出馬について鈴木は橋下の立場を大いに慮っている。はっきり言ってこんなことは書く必要がないし、本音はどうあれ書かない方がいいし、書いてはいけないことだ。そういう自覚がまったくないことに驚く。

 鈴木は自分がいかに大きな仕事を成し遂げたのか、いかに苦労をしたかを書きつづりたいようだが、実際に何を成し遂げたのかを読み進めながら冷静に把握していくと、別に大したことは成し遂げていないことがわかってくる。「8分野56項目にも及ぶ」という計画は、もともと釜ヶ崎で様々な団体が取り組んで形にしてきたことがベースになっているし、屋台村がどうとか、大学寮の誘致とか、確かに実現すれば何らかの副次的効果は認められるだろうが、それを釜ヶ崎に対して提案する必然性がどこにもない。思いつきレベルの夢物語が豊かに詰め込まれているにすぎない。

 「西成特区構想」以前に地域の努力ですでに形になっているものを「西成特区構想」の事業として位置付けて「着手」するのは、話をまとめ上げるプロセスにおける調整は大変なことかもしれないが、「西成特区構想」の中で何かを新しく生み出したわけではない。

 バウチャー制度だとか、今宮小中一貫校、不法投棄の取り締まりなどが、わかりやすい「成果」として報道ではアピールされる。これらは「西成特区構想」によるテコ入れがあって実現したと言えなくもない。しかし、「西成特区構想によるテコ入れがあって実現した」と言えそうな事業について見てみると、どれもこれも橋下個人が肝いりでやりたがっていたことなので、実現までの過程で橋下が直接的に介入していたり、鈴木の相談に橋下が快く応えている。また、不法投棄対策については当時の知事だった松井一郎に維新ルートで相談して、口をきいてもらっている。「維新のご威光」がなければ何も動いていない。

 ツイッターでも触れたが、「西成特区構想」などと大仰な名前をつけ、「西成が変われば大阪が変わる」「西成をえこひいきする」などと、ものすごく力を入れているようなイメージを発信しているのに、「西成特区構想に」には特別な予算が何もついておらず、西成区役所内の予算を工面して初年度の事業に着手しているし、橋下自身が金は自分でどこかの部局から取って来いと丸投げしている。つまり、西成区はまったくえこひいきされていない。

 自分の苦労話を飾り立てるために、最初から最後まで活動家を悪者に仕立て上げている。うまくいった部分については地域の人びとや運動団体の協力を持ち上げ、うまくいかず、強引に煙に巻いてごまかした場面では、自分がいかに我慢したかを語る出汁にしている。

 つまり、うまく協力が得られた部分は民主的な手続きの賜物とし、うまくいかなかった部分は改革にともなう痛みとして美化している。一部が民主的に見えたとしても、別の部分が民主的でないなら、総体として民主的であるとはいえないし、民主的に見えた部分も欺瞞でしかない。

 そもそも鈴木自身が「特別顧問の私的諮問機関でしかない」と述べる「有識者会議」が、最初に恣意的に作り上げたプランが実質的な実行計画として特権的な位置付けを与えられてしまっている。

 鈴木自身も自分のごまかしをよくわかっているから、その裏返しとして、アゴラだなんだとやたらと言って民主主義的なイメージにこじつけて印象付けたいのだろう。

 「七人の侍」とか、「アゴラ」とか、やたら格好をつけた比喩を使いたがるナルチシズムにも辟易する。やたら「経済学」をアピールするのだが、自分に都合のいい物語に箔をつけるために「経済学」を散りばめているとしか思えない。コラムはどれも薄っぺらい。はっきりいって要らないと思う。

 それでも鈴木が「活躍」できたのは、結局橋下徹という「何をしでかすかわからない」と恐れられ、大阪市長という強力な権力を持つ人物にダイレクトに「西成特区構想の特別顧問」に任命されているからだろう。もちろん、鈴木自身があちこち出向いて調整したのは確かだし、それなりに苦労したのも本当だと思う。しかし、先に述べたように、実質的な成果を「西成特区構想」というテコ入れによって作り出せたとは思えない。橋下が意図した部分だけが実現しているところを見ても、「西成特区構想」は大騒ぎしたわりに何も革新的なところがない。

 そして、鈴木が用いるキーワードの一つ「センターピン」にからめて語られるあいりん総合センターの建て替えはこの「西成特区構想」騒動の最大の成果であり、最初から標的として念頭にあったものだと思う。結局、釜ヶ崎潰しの部分だけが形になっていっている。

 鈴木の記述を見ていると、労働者や野宿者、生活保護受給者はただただ地域の課題として語られるだけであり、この人たちの声が真剣に検討されたことがあるとは思えない。釜ヶ崎のまちづくりで労働者や野宿者、生活保護受給者のことがまともに意識されることがない。ここにぽっかり穴が空いていることは、「西成特区構想」とはつまり何だったのか、当事者の説明はともかく、実際にはどのように形成されていったかを、はっきりと物語っている。

 鈴木は自分がいかに特別顧問として奮闘し、苦労したのかを面白おかしく書き起こしている。自分がいかに重責に耐え、我慢に我慢を重ねて難行をやり遂げたのかを語る。うまくいったのはひとえに鈴木本人の孤軍奮闘たるがんばりと、それに共感して助けてくれた皆様のおかげというわけだ。では、なぜ鈴木は特別顧問を辞任するのか。自分個人で築いた信頼関係によって、何とか動き出した「西成特区構想」を、事業の年限も終わらぬうちに抜ける理由がわからない。

 その理由として鈴木本人の口から語られるのは、住民投票で敗れた橋下が市長を辞め、政治家を引退したことだ。結局、橋下に直接頼まれるような形で特別顧問についたものの、ろくな権限を与えられなかった。誰かを動かそうと思ったら、あちこち動き回ってかき回し、橋下の影をちらつかせ、時に橋下の手を借りて脅しをかけるしかなかった。そう考えると橋下自身の「本気度」も怪しい。「西成特区構想」騒動のなかで橋下個人の肝いり事業をねじ込んでいく、センターをどうにかする道筋をつけられればよかったのではないか。

 「西成特区構想」の特別顧問の実態が、橋下頼み、橋下の道化でしかないとしたら、橋下が退場した後にまで付き合う義理はないだろう。留まり続けたとしても「8分野56項目」とやらを進展させられる見込みも限りなく薄い。計算高い「経済学者」にそのことがわからないはずもない。

 残された地域の人びとはいい面の皮だろう。橋下と鈴木によってさんざん引っかき回され、こう着状態で粘る余地のあったものの改変を軌道に乗せられてしまったようなところもある。ここからどう巻き返し、釜ヶ崎の街を守れのか。本当の意味での街づくりがここから始まるのかもしれない。

2019年8月19日(月)

 土曜日「センターの日」、日曜日寄り合いで更新飛ばしてしまった。

 どうしようもなく気持ちが落ち込んでいる。

 つらい。所詮どぶさらいの部分だけが重宝がられているだけ。

 ネガティブな言葉を吐き出しながらがんばる。

 なんかおかしい。またつらくなっている。なぜ? 単なる二日酔いや疲労ではなさそう……。

2019年8月16日(金)

 記録集を相互行為を意識したテキストとして読み解くことができるだろうか。これまでは自明なものとして確固たるものを掘り起こそうとしていた節があった。そうではなく、もはや10年以上前の野宿者運動における出来事として読み解くことができるるかもしれないし、どちらかというとそうあるべきかもしれない。また、その時には僕自身が見ていたもの、受け止めていたものの評価を再帰的に組み込んでいくやり方が可能だろう。

 というか、僕がやるならそうするのが当たり前かもしれない。単なる記録集のテキスト分析なら誰にでもできる。

2019年8月15日(木)

 ろくに仕事もせずに『うしおととら』を読み返してしまった。

 もう一つわからないといえば秋葉流のことがあった。

 最後の流の裏切りがよくわからない。そんなに何もかもできる天才にしては登場するたびに苦戦して脇役に甘んじてきたイメージがある。読み返していると、獣の槍伝承候補者のなかでは杜綱悟が婢妖に取り憑かれて、みんなに助けられるというエピソードがわりと早い段階である。その少し前には同じ伝承候補者の関守日輪が潮にからんでくる。キリオはキリオでやはり伝承候補者という立場で関わってくる。そう考えれば、獣の槍の伝承に執着のない流にも何らかの山場が用意されていてもおかしくはない。

 一つ考えられるとすれば、流が自称する「天才」云々は実は本人もそこまで本気で思っていたわけではないのかもしれない。流は潮に惹かれつつも、その潮からの信頼に応えられない自分が耐えられなかった。

 とらへの執着は何だったのだろう。死に際に流はとらに手加減したかどうかを尋ねる。とらは手加減などするわけがないと答えるが、実際はどうだったのかよくわからないし、流がそれをどう受け止めたのかも今ひとつわからない。

 最後に霊魂として助太刀する際に流は「お前のせいじゃねぇさ…オレはお前らと会えてやっと自分が取り戻せたんだ…ちっと遅かったがな…」と述べている。

 ここで流もかつての紫暮のように使命にかかわるジレンマを抱えていたと考えるのは安易に思える。流は白面と戦って果てても構わないと考えていたのかもしれない。自分が白面を倒せると思うほど自惚れてはいなかっただろう。しかし、白面から寝返りを誘われて、とらを打ち倒すことを勧められた時に、流は自分に素直になれたのかもしれない。愚かなことだと思いつつも、自分にとっての執着はそこにしかないと思えたのではないか。

 それにしても流の動機はちょっと荒い気がする。潮の信頼に応えて、その役割をはたしていくことは流には重すぎたのかもしれない。だから裏切り者とののしられる方向へ逃げてしまった。逃げた先で、裏切り者としてとらに葬ってもらえたことで、ようやく自分の身の丈にあった役割をはたせたように感じられたのかもしれない。役割から逃げた者として罰を与えられたことでようやく自分を許せたといった方が良いだろうか。

 浄眼がついに開いたのは辛い復讐の戦いを生きる覚悟を決められたからだったのだろうか。

 妻子の仇討ちだけを生きる支えに厳しい修行に耐えてきた。しかし、その彼にしても最後の踏ん切りがつかなかった。浄眼は戦いに向かうのを留めようとしてくれていた。しかし、大切な人を守るためにその身を投げ出す覚悟を決めた時に、とうとう右眼は開かれたのではないか。そのように思われる。

 「人は最初から使命や目標を持って生まれて来たわけではありません。生きてゆく上で各々が心に持つようになるものだし、その形も人それぞれです。楽しく健康に暮らす…一生懸命家族を幸せにする…そういうことが本当の人間の使命であり、目標かもしれません。おのれのような使命や目標がほかの方にないからといって、他者をおとしめることは、あなたにはできませんよ。」

 蒼月の家に生まれた紫暮は生まれながらに使命があった。その使命に忠実であろうとするほど、槍に選ばれないことが辛かった。一方の須磨子も、ジエメイの血筋ではあったものの、三代目お役目に選ばれたのは先代に限界が訪れる巡り合わせだったに過ぎない。

 生まれながらに使命を持たされていた紫暮にしても、その使命を我がこととして引き受けるためには自分なりの生き方を見出す必要があった。人は因果のなかでもがくことでしか生きられないし、その因果に逆らおうともする。しかし、そうしてその因果を引き受けることで使命を見出していくのだろう。

2019年8月14日(水)

 Free Wi-Fiにつながるまでが長い。

■原稿1 #1

 関連書籍2冊のうち1冊を読もうと思ったところで関連記事も一覧しておこうと検索すると山ほど出てきた。読めないほどではないが結構な作業になりそう……。

 帰省するたびに繰り返される祖母の昔話に吐きそう。

 『うしおととら』の外伝に収められた紫暮と須磨子の出会いを描いた「里に降る雨」という話が当時もこれまでもよくわからなかった。

 ずいぶん久しぶりに読んでみると、須磨子のお役目としての使命の重さと紫暮自身の驕りとが対になっていることの意味を僕はよくわかっていなかったようだ。

 「人間とは…哀しいものですねえ。いつも、使命と自分の心の間で…ゆれている…………ゆくことが…あなたの…使命ですよ。」

 紫暮はこの時まで本当の意味で使命を背負ってはいなかったんだろう。

2019年8月13日(火)

 高浜行った。

 耐えられてしまう程度の耐えがたい日々。

2019年8月10日(土)

 ようやく夏休みっぽい。しかし解放感はもう一つ。

 基本的に理論的な強度を見たいのかな。

 乗り慣れない電車の路線は危険だ。乗り継ぎの仕方がわからない。

 無法地帯というのはチンピラがのさばる場所ではなく、権力者が法に従わない場所のことだったか。

2019年8月9日(金)

 このタイミングで風邪を引く間抜けさ。

2019年8月8日(木)

 そして左古輝人『畏怖する近代──社会学入門』(2006年、法政大学出版局)面白いなー。

2019年8月7日(水)

 昨日は更新を忘れた。

 佐藤守弘・八木正『産業社会学』(アカデミア出版会、1987年)面白い。こんな古いの今さら読んでも仕方ないかなと思いつつ、八木先生が編者ならと手元において、しかし放置していた。最近の産業・労働社会学の教科書のつまらなさにうんざりしていたところで読んでみると、まさにこういうものを求めていたという気持ちになる。すごいな。

 ああ、しかし、全体としては現在の教科書的な各論に落ち着いていくようだ。第1部はフランス、イギリス、ドイツ、アメリカと各国の産業社会学の学説史的なまとめになっているようだが、ドイツのまとめは社会学のまとめという感じではなくなっている。

 アンゲシュテルテ? アルバイターとアンゲシュテルテ。

 参考文献も未訳の原典にあたっているわけではなさそう。

2019年8月5日(月)

 暑さのせいかiMacの調子が悪い。

 修正稿を提出した。

 風邪ひいて病み上がりで何とか仕上げたのだから一休みしても良さそうなものだが……。

2019年8月4日(日)

■論文 #22

 ようやく本当に完成に近づいたようだ。あとは文字を埋めていくだけのある意味機械的な作業で、時間的な問題でしかない。ここから新たな難題が顔を出すということはもうないだろう。

 こうやって一喜一憂を書き残すことに何の意味があるのだろうと行き詰まるたびに思う。しょせん勘違いではないかと。しかし、記録をつけること、やり続けることで確実に問題は解決に向かっていく。意味があるとかないとかではなく、行為によって意味を錬成していくプラグマティズムがそうさせているのだ。

 #21で書いた経験則についての気づきは案外重要なことのように思える。矛盾や対立を越えていくためには、ただ行為の先に答えを見出すしかない。ここでの行為とは論文の記述そのものを指す。問いは陳腐で愚かなものに思われるかもしれない。しかし、その陳腐で愚かな問いを立てて歩み通すことでしか語りえぬものがある。ならば、これを戦略として意識的に実行することは、単なる技術を超えた処世訓だろう。

 採点を二つ終わらせた。論文の修正箇所一覧も作成した。あとは要約と要約の英訳を作成すれば再提出できる。しかしもうそれは明日の宿題ということで……。

2019年8月3日(土)

 うーん、やっぱりまだしんどい。

2019年8月2日(金)

 風邪が治りきらない。

■論文 #21

 なかなかうまくまとまらない論文について、ああでもないこうでもないと頭を悩ませていると、こういう時に何度となく立ち返る経験則がある。今思い返されたのは「問いはシンプルで平凡なものにしておいて、読み進めていくとめちゃくちゃ面白い」という展開の仕方にすること。問いをひねればひねるほど結論が陳腐になってしまうから、問いをシンプルにしておいてシンプルな答えを出し、答えを出す過程の中で見えてきた副産物の方で盛り上げる、みたいな。

2019年8月1日(木)

■論文 #20

 支援者と当事者のズレ。

 矛盾を抱えつつも関係を構築していくためには、場所に依拠した取り組みが重要である?

 路上にいるからこそ見えてくる統治の論理。

 課題を前進させていくことができる?

 午前3時までああでもないこうでもないと頭をひねって、寝起きする直前に閃いた(ほんまかいな)。思いついてみればそんな大したことではなかった。

 油断して昼の薬を持たずに出かけてしまった。しんどい。

 きちんと着地できるかなあ。できそうだけど不安だなあ。どうしても焦るし。

 病み上がりで夜回りはやはりしんどかった。早めに終わってよかった。

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