過去ログ
2021年2月・3月


2021年3月31日(水)

 昨夜からフロムの『愛するということ』の愛の習練の中で言及されていた瞑想をはじめてみた。

 自分の中の不安と向き合った。

2021年3月30日(火)

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #29

 階級的支配の水平的対立への変換は実際、工場全体に当てはまる一般的な現象である。

 うーん、よくわからん。滑車のバランスを取る機械が事態をややこしくする事例?

2021年3月29日(月)

 何も気に病むことなどないはずなのに、ただ憂鬱だ。

2021年3月28日(日)

 あー。

 つらい。きっと力が高まれば高まったで、つらいのだろう。

 僕はつらい。つらいよ。誰かこの思いを知ってくれ。

2021年3月26日(金)

 逃れられない。

 振り回され、執着して、揺れ動く弱さこそ、僕たちに気づきをもたらす強みともなる。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #28

The Dispersion of Conflict

 あー、そういうことか。2勤の作業員の人数が、1勤とほぼ同数に増やされたけど、補助業務を行う担当者は増やされなかったと。

2021年3月25日(木)

 スキャンにこんな時間かかるとは。

 だいぶ進んだ気がするけど……。

2021年3月24日(水)

 ●●さんの死について、僕は「苦しみと抗い」を「悔い」と言い換えた。

 ●●さんにとっては「苦しみと抗い」であっても、僕がそれを受け取る時には「苦しみと抗い」とは違ったものになっているはずで、「悔い」と呼んだ方が適切だと思う。

 もっとも、これは●●さんの中ではまた別の言葉で呼ばれるものだったのかもしれないし、そもそも本人は名前をつけていなかったかもしれない。●●さんの中に「あったもの」として僕が事後的に見出したものであり、僕は、もしかしたら勝手に見出したものを勝手に受け取っていて、しかも、受け取ることで形が変わったと解釈しているにすぎないのかもしれない。

 「思いを受け継ぐ」と言ってしまえば、何かわかったような気になってしまうが、これを交換のプロセスとして分析すれば、事例の持つ意味はかなり豊富になるはずだ。

 表現が微妙にこなれたものにならないのはなぜだ。

 わからない。いくつもの気づきがあるにもかかわらず、僕にはこれらを言語化する力がない。これらの表現を可能にする文体を身につけられていないのだと感じる。

 そして、この文体とは、文章と文章を輻輳させ、共鳴させるようなテクニックによって可能になるものであるように思われる。

2021年3月23日(火)

 とりあえず仕事がんばろう。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #27

 多読もしたい。

The Organization of a Shop-Floor Culture

 多読用の本も借りてきた。

 久しぶりに読むと頭に入って来ないな。英語を英語のまま理解する読み方は辞書引きながらでは無理だから、しばらくやらずにいて衰えてしまっている感じ。両方やった方がいいわなあ。辞書引きながら読むのは、その分野の単語力をつけるためにやるのは仕方ないけど、読むトレーニングにはならなさそう。

 うん、やっぱりそうだ。多読用の本の場合、基本的にパッと見て意味のわかるレベルの単語がペースだから、そう思って読むと読める。

2021年3月22日(月)

 ようやくあるべき場所に帰って来れた。これを幸せと言わずに何と言うのだろう。

2021年3月20日(土)

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #26

 うーん、その日その日読んだ文章の意味はわかっても、最初から読み直さないと何の話やらよくわからん。1945年時点では、監督者は結構厳しかったけど、1975年時点では、監督者の役割がスケジュール担当者に切り分けられて変わっていて、無理な割り当てに対して寛容になっている?

2021年3月19日(金)

 書き順のまちがいを見つけるのにはまっている。

2021年3月18日(木)

 お腹が空いた……。

2021年3月17日(水)

 火曜日も更新し忘れていたのか。火曜日は何をしていたのか。

 今日はわりと幸せだったのかもしれない。勘違いかもしれない、その兆しによって。

2021年3月15日(月)

 この悔しさ。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #25

 なかなか進まない……。単語わからなさすぎ。それでも一応意味がわかるところまではたどり着けた。監督者は作業員とあれこれ交渉したり、手助けしたりするものらしい。

 Make out、うまくやる。

2021年3月14日(日)

 耐えられない。風邪が治ってきたらやはり元のつらい気持ちも戻ってくるのか。

 でも、この気持ちだけが理由になるのかもしれない。

 今月中に論文2本分くらいの見通しを立ててしまおう。そういうことにしてしまえ。

 全体像をつかむ。そのために本を読む。相互行為のメカニズムを読み解くためには、そういうふうに網を張り巡らせていく作業が必要なんだ。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #24

 何言ってるかまったくわからん。

 単語と構文から訳すというより、理解した意味に合わせて単語と構文を理解すると考えたほうがいいのかな。なぜそれができるのかは分からないけど。

これらすべての活動の監督者の役割は何だろうか。彼は、上位のプラント管理者以外からは、メーキングアウトのゲームを促し、審査するものとして見られる。[60]
彼らの役割として、監督者は、関係する作業者が一生懸命働いており、やり終えていることを指摘することによって、ある作業が終わっていないことについての彼ら自身の上司の不満から彼ら自身を守る。
したがって、われわれは、監督者が、彼らが作業者だった時に学んだごまかし方を作業者に見せ、より効率的な仕上げ方を示し、特別な道具を作って彼らを助け、図面の指示に正確には合わない部品を検査官に納得させることなどによって、作業者を積極的に助けることを発見する。
しかし、監督者はメソッド部門(?)と共謀しないし、彼らが持っている様々な仕事と作業者に対するこれらのレートについての情報を用いる。なぜなら、レートの増加は敵意をかきたてるだろうし、ごまかしを招き、離職を増やし、総じて監督者の仕事をより難しくするからだ。[60-61]

 牛歩のごとし。しかし、意味が分からないまま先に進んでもダメだろうから、地道に読解力をつけるしかないか。本当は多読をしっかりやった方がいいんだろうけど。どこかで多読の時間を作れないものか。

2021年3月13日(土)

 風邪は治る方向に向かってるけど、もういい加減うんざりだなー。

2021年3月12日(金)

 がんばり方をまちがえていたな。

 ふー。ようやく風邪は治りそう。メンタルの問題であったように思えてならない。

2021年3月11日(木)

 もっとがんばらないといけないのだから、さっさとこの風邪は治ってくれよ。

 ちょっとやそっとのことで、あきらめたり、へこたれたりしない。そういうふうに生きていこう。そうすればそれが習慣になる。

2021年3月10日(水)

 この期に及んで他人のやり方を気にする必要はない。もっと自由自在に自分の力をふるえることを目指そう。

 新しいものを見つけ出さなければ、この先の道など見えてこない。完成度や知識量で評価されるような研究は目指さない。ギリギリのところで見て、考えて、明らかにしなければならないことを明らかにしよう。

 そうか、他人の研究に対して見る場合には常にそういう目を向けている。それなら、同じ目を自分の研究に対しても向けて、活路を開くことに力を注げばいい。力は僕の中にある。見出す力とつかむ力とを同じ方向に使っていけばいいだけの話なんだ。

 何もとらわれることはない。自分の感じることを常に手がかりにして方向を探っていく。そこに正解はなくても間違いもない。正解はどこかにあるものを探り当てることではなく、自分のなかに作り上げていく営みだから、そもそも探すものではない。

 これまでどうだったかなんてことは関係ない。今始めなければ悔いの残るこれまでが増えるだけだ。残された時間がどれくらいあるのかも関係ない。今始めることが残された時間を最大限に活用する唯一の方法なのだから。

2021年3月9日(火)

 だるい。だるいけど本を読む。

 真実とほど遠いところで寝言を言っているより、真実を見据えながら判断できることに価値を置こう。

2021年3月8日(月)

 なかなか風邪が治らない。

 あの頃のつらさと今のつらさは違うものだけど、今もやはりつらい。

2021年3月7日(日)

 つらい。

2021年3月6日(土)

 つらい。このつらさが何なのか、誰にも語ることはできない。ただ、乗り越えていくだけだ。

 進んでいくべきなのはわかる。しかし、望むものの形は見えない。

 そんな悲壮な話ではない。

2021年3月5日(金)

 苦しいことが正解に向かう証であることもあろう。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #23

 うーん、ごくごく単純な単語のニュアンスがよくわからない。turn inってどういう意味?

2021年3月4日(木)

 何故だかつらくて哀しい。

 しかしまあ、やることは変わらない。

 わが身のふがいなさ。

 万全の体勢だったとしても結果は何も変わらなかったかもしれない。変わらないかもしれない。それでも、全力で挑めずに時間を無駄にした。このわが身のふがいなさを誰がわかってくれるのか。

2021年3月3日(水)

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #22

 分かってしまえば大して難しくもない英文の意味が取れないのはなぜだろう。意味がわからなかったり、勘違いしている単語が多すぎるのか。文章の構文を把握することすら怪しくなる。

2021年3月2日(火)

 同じだけの力を持たない相手に対して本気を出すのは反則だな。

 おかしいな。こんなに道が開けてきているのに僕にはまだ哀しもうとする気持ちがある。

2021年3月1日(月)

 子どもに対しても望んでいることは、よろずでやっていることと同じなのか。

 つまりは心地良いように肯定してくれることが好意の形で表現されるのかな。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #21

I told Harry that I couldn't be borhered picking mine up from the union hall and that he could have it for himself.[52]

 クリスマスのハムの配布、自分は要らんからハリーにあげるよって言ったら喜ばれて、それ以後の関係が良くなったって話?

 なるほど、この辺の職種間の関係を扱っているところが面白いんだな。

2021年2月28日(日)

 何も間違っていなくてもうまくはいかないんだな。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #20

 やっぱり辞書引かずに読んだ方が面白いな。

Making Out―A Game Workers Play

 おお、ようやく仕事の中のゲームの話になるんだな。

 making outって何だろうな。

2021年2月27日(土)

 おそらくは何も悪いことなどないのに、苦しさだけがある。

 少しマシに。やはりリハビリ中であることを思い出して何とかやっていこう。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #19

Technology

 あー。なんか、辞書引かずに読んだ方が読めるな。多読の効果が出ているのか。

The Piece-Rate System

2021年2月26日(金)

 なんとか読み原稿できた……。

2021年2月25日(木)

 赦せない思い、やり切れない思いが湧き上がる。しかし、これらはそれぞれ全く違うところから来ているはずだ。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #18

Conclusion

 うーん、意味がわからん。

Four
Thirty Years of Making Out

 労働過程の変化の研究は産業社会学のもっとも疎かにされてきた領域の一つである。

 労働者の態度やふるまいへの技術的変化の影響を検討する試みはあるが、それらは技術的変化自体に導く力を扱わない。

2021年2月24日(水)

 たとえどんな運命のなかにあろうとも、自分の生き方が変わるわけではない。その時その場で知恵と力の限りを尽くすだけだ。

 

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #17

 消費者から起こされた訴訟ってなんの訴訟なんだ。

 なんのことやらさっぱりわからん。

 Allied社自体買収の危機にあったこともあるようだ。

 経営のことがよくわからんと訳せない。

 文章の区切りがどこにあるのかがわからないと訳せない。逆に、単語の意味がわからなくても、文章の区切りがわかると何となく意味は推測できる。そのためには、いちいち訳さずに、文頭から順番に単語を頭に入れていくのがいいようで、これは多読の妙技でもあるのだが、できる時とできない時があるなあ。スイッチが入る時と入らない時があるというか。

The Fortunes of the Engine Division

 1953年、Gear社がAllied社の一部門になった時、何が起こったのだろうか。多くはない。合併の協定では、少なくとも向こう3年はギア社の経営権を完全に残されていた。この時期のGeer社とAllied本社の間には、生産の優先事項と販売についての問題をめぐって継続的な不一致が報告されている。[44]

2021年2月23日(火)

 胸が張り裂けそうに痛む。

 すべてが道になる。越え方はさまざまにある。

2021年2月22日(月)

 落ち着かない日々だ。

 なんだかおかしい。今僕はどんな気持ちなのか。

 次から次にいろんなことが起こってくる。昨日の気づきも明日になれば別の気づきに置き換えられている。

 文体の問題については少し理解が得られた。これは文体というより、どこから何を語り始めるのかという問題だ。もちろん、そこに文体もかかわってくる。これまでとはまた違った書き方が求められる。文体、書き方という以上の実践上の課題がここにはあるようだ。

2021年2月21日(日)

 悲しみを探り当てる作業は打算的ですらある。

 たとえ打算的でも、感情を手繰り寄せるところからしか、つかめないことがある。僕は感情を鈍らせていたのだろうか。

 いや、そうではないだろう。複雑な状況の中で抱かれる感情を、複雑な状況の中で手繰り寄せなければならなかった。一瞬を切り取れば、型にはまらないようにすることは感情を麻痺させることと同じものとして観測されるのかもしれない。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #16

 Geer CompanyとAllied Companyは別の会社らしい……。ロイが仮名で書いてて同じ会社と気づかなかったという話かと思ってた。Alliedが後にGeerの工場を買収したという話なのかな。

2021年2月20日(土)

 たまらなくしんどい気持ちにもなるけど、やはり僕は幸せを感じている。

 浮き沈みはあるけど、もう揺らいではいない。

2021年2月19日(金)

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #15

 今日は英文が頭に入って来ないな。

The Decline of Allied Corporation

2021年2月18日(木)

 悩みながら進むのでなければ何も見えてこない。

 やはり『葬送のフリーレン』泣ける。電子書籍買ってしまった。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #14

 あ、"at the time of the writer's employment in Jack Shop"って、「筆者が雇用されていた当時のジャック工場では」ってことか。なんでライターが出てくるのかと思ったら。

2021年2月17日(水)

 力というものは、もどかしく苦しい揺れ動きの中から生まれてくる。それなら力を引き出した上でその先に繋げられる力量が必要だ。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #13

Geer Company in 1944

 ロイは工場という閉じられたシステムの単位でしか現象を分析していないと。

2021年2月16日(火)

 これかな。

 えーい、なんでも乗り越えてなんぼじゃ! いつでもここから始めりゃいいだろう。やせがまんしながら、その先を確かめに行くんだよ。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #12

 剰余価値は、どのようにして労働者にわかりにくいものであり続けるのか。労働過程の進化と階級闘争が利益の元を暴くことができないのはどのようにしてなのか。労働者が彼ら自身を、資本とは関心を一致させられない階級として構築できないのはどのようにしてなのか。[29]

 変な訳……。

Conclusion

 したがって、労働過程は、利益の追求のなかの協同を引き出す、強制と同意の特有の組み合わせという観点から理解されねばならない。[30]

 ……最後の段落、何言ってるのかわかんねぇよ。

2 Changes in the Labor Process

Three

From Geer Company to Allied Corporation

2021年2月15日(月)

 うーん、失敗したな。失敗は次に生かせばいいんだろうけど、すぐにそうは思えない。

 もー、マヌケだ。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #11

 労働過程において、労働者は管理者を支配の代理人として経験するのは確かだが、訓練と専門知識のおかげで、労働者たち自身より多くの報酬を受け取る労働力の売り手でもある。剰余価値の一部を受け取る管理者もまた、労働過程のなかでは見えにくい。[29]

2021年2月14日(日)

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #10

 したがって、剰余価値の獲得は、強制と同意のさまざまな組み合わせの結果として理解されなければならない。

 しかし、不払い労働の獲得は剰余価値の実現と同じものではなく、資本家にとってのさらなる問題をもたらすのはこれらの分離である。

28> したがって、不払い労働の利益の出所は、いくつかの方法で隠されている。

2021年2月13日(土)

 まっったく……。

 扱いにくい。

 でも、そうあることが僕にとっての幸せであることに何のまちがいもない。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #9

 マルクスの労働過程の理論には同意の組織化、労働力を労働へ変換する協働に誘導する必要性が存在しない。

 "Marx had no place in his theory of labor process for..." というのをどう訳したらいいのか分からない。

 意味的には「マルクスの労働過程の理論には同意の組織化、労働力を労働へ変換する協働に誘導する必要性への言及がない」くらいの表現が自然に思えるが……。

2021年2月12日(金)

 『葬送のフリーレン』めっちゃ泣けるんだけど。なに?

 この程度の揺り戻しは当たり前にある。うろたえるようなことじゃない。

 どれくらいの期間のどれくらいのものなのか、もはや分からないが、これまでに失われた時間で失われた、本来なら蓄積できたであろうもの、そして、それらが順当に得られなかったことで負わされた債務に気が遠くなる思いだが、すでにそのような状況を脱したこと、本来なら発揮できていた力を発揮できるようになったことを喜んで、苦しいながら、生き抜いていくしかないのだろう。

 もはや他人と競ったり、功を焦ったりする次元で生きていない。能力がありながら、とことん落ちぶれた者には、落ちぶれた者なりの生き様があるだろう。

 あー、そうか。驕慢が邪魔をするのか。追いつめられて潰れそうなところからでないと力を発揮できない。孤独、弱いまま向き合うことが力になる。

 それが勇気か。

 だったら普段から驕らないようにしていた方が楽なのでは……。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #8

 なかなか進まないな。

The Essence of the Capitalist Labor Process

 余剰価値がなければ資本主義は崩壊すると主張することは、その存在を説明しない。

2021年2月11日(木)

 この期に及んでまだ僕に甘えられると思っているのがよくわからない。

 ハーヴェイを読まずに何を読むのかという感じだよな。相当なまってる。

2021年2月10日(水)

 ジョギングはじめたのは11/26か。

 散歩はじめたのが10/26だから、ちょうど1ヶ月ということに。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #7

From Feudalism to Capitalism

 プリン休憩?

2021年2月9日(火)

 ああうっとうしい。

 ちょっと苦しい。しかし、何とかなりそうだ。

 まあそう焦らずに、がんばって行こう。

 この間どんな思いをしてきたことか。どれだけの苦悩を抱え、乗り越えてきたのか。押しつぶされそうになっても終わりじゃない。やり過ごしていけば、乗り越える力がある。

 進んで苦しもうとしなくていいんじゃないか。いつも不幸なわけではないし、いつも幸せなわけでもない。それなら、不幸には目をつぶって幸せに浸るのも生きる知恵というもの。失敗しても終わりではない。いくらでもやり直して仕掛けていくだけの力がある。それを信じられることこそが力だ。

2021年2月8日(月)

 飲みすぎた。

2021年2月7日(日)

 ああ、これまで大変だったし、これからも大変なのに、僕は幸せを感じている。明日にはまた滅入るかもしれない。地べたでもがき続ける、いつ終わるともしれない時間の感覚にとらわれるかもしれない。それでも幸せを感じることができる。これを希望というのだろう。そして、僕は自分の力を信じられている。これまでも、これからも、何もまちがってはいなかったと。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #6

Premises and Concept

 物の生産は同時に、社会関係の生産と再生産であるだけでなく、これらの関係の経験の生産でもある?

2021年2月6日(土)

 昨日は幸せな気分だった。しかしまあ何も問題が解決したわけではない。

 リハビリ中だな。いろんな意味で。リハビリというか、新たに作り出そうとしているようでもある。

 長い間、本来の力を出すことを妨げられてきたということもあるし、同時に、そうでなかったとしても乗り越えなければならない課題があったということでもあるだろう。スランプと言ってしまえば、そうなのだろうが、新しいことを始めるために必要なことで、もがいてきたということでもあろう。妨げられていた部分が、そのもがきをより困難にしてしまったところも、もちろんあるだろう。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #5

 コンフリクトパースペクティブ?

2021年2月4日(木)

 まだ行けるようだ。力の源泉はここにある。

2021年2月3日(水)

 眠い……。

 必要ならば力を引き寄せろ。力を引き寄せるのもまた力なり。

■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #4

 social controlとharmony。デュルケムとヴェーバー、どっちがどっちだって?

■安藤宏『近代小説の表現機構』(岩波書店、2012年)

 何より優先すべきもの、要になるのは文体だと思う。そして、文体の問題とは人称の問題と言ってよい。

2021年2月2日(火)

 繰り返し。揺り戻し。

 おかしいな。どうしてこうなる。

■ロナルド・ドーア『イギリスの工場・日本の工場(上)――労使関係の比較社会学』(ちくま学芸文庫、1993年) #4

 無理くり読み進める。

■片桐雅隆『不安定な自己の社会学――個人化のゆくえ』(ミネルヴァ書房、2017年) #2

 自己理解というより、他者理解のために必要かもしれない。

 フィールドワーカー自身が自己を社会の中に位置付けられない? 歴史的な物語の中に自己の存在証明を得られないのだとすれば、その位置付けそのものを研究の中に求めなければならなくなる。

 いろんなアイデアを取り込んでいく努力をしなければいけなかったのかな。いろいろ本は買い集めていたけど、理論的、方法論的な詰めを後回しにしてきた憾みはある。

2021年2月1日(月)

 そうか、「センターの日」にしても、よろずにしても、まだ語り方が見えていないんだな。飯場がフィールドであった時も、語り方がつかめてからは早かった。多分、飯場とはまた違った語り方が必要なのだろう。

 フィールド日記は読むためのものではないな。事実関係を確認するためのものだ。フィールド日記の記述に引きずられてはいけない。フィールド日記はエピソードにはなっていない。メタ観察も、フィールド日記の記述と向き合って行うものではない。向き合うのはあくまで自分の心であり、記憶だ。

 ずっと違和感があった。飯場日記とその後のフィールド日記は違いすぎる。あれはまったく別物だということが僕はよくわかっていなかったのかもしれない。

 飯場日記の前にフィールド日記はなかったけど、フィールド日記は飯場日記に書き換えられなければならない。あるいは、日雇い労働者のつくりかたを書かないといけない。

 よろずの場合、日常と調査が切り分けられていなくて、日常的なデータ化に費やされている文章量が多過ぎて、メタ観察されたエピソードを書くだけの余裕が無くなっていたということもあるだろう。僕は本当はもっと文章化することが好きだったはずだけど、書かないといけない文章が多すぎると、さすがにうんざりしてしまっていたのかもしれない。

 もっとも、それ自体が新しい挑戦だと思っていたところもあったし、新しい挑戦ではあった。

 いろんな方法論的な模索もあったはずなんだな。僕のやり方で、はたしてどれくらいフィールド日記を書き込む必要があるのか。今回のフィールドワークは網羅的な記述がどの程度必要となるのかを探ろうとしていた。

 結果として、徹底的にやった。こういう日常のフィールドワークで成果をあげられる可能性を探ろうとした。飯場の場合、日常とフィールドの断絶は気になっていたから、さらに一歩踏み込んだことを試してみたい気持ちはあった。

 「センターの日」に手を伸ばしたあたりだと、まだまだデータ量が足りなかった。まともにフィールド日記を付け出してからまだ数ヶ月しか経っていなかった。

 飯場なら、10日契約なら10日分、1ヶ月契約なら1ヶ月分のデータを集中的に取ることができる。しかし、よろずの場合、夜回りと寄り合いだけでは月に3回しかデータが取れない。必然的に調査のスパンが長くなる。この辺の難しさがあった。しかし、フィールド日記は3日分しかないとしても、営みとしては1ヶ月、2ヶ月と経っているのだから、やはりそこは読み込む必要がある。そこは僕が意識的に整理していかないといけない部分だろう。

 仕方ない部分もあったが、もう少し自覚的にやる余地はあったかもしれない。しかし、根本に立ち返るなら、問いは明確だったことになる。それは「センターの日」も変わらない。ここを連続的に位置付けていく。

 このやり方だと完全な視界不良に陥るのは分かりきっている。まずは没頭せざるをえないし、そのリスクは了解していた。不幸だったのは、コントロールできないことが起こってしまったから。まあ、そのリスクも自明であるはずだったのだが。

 さすがに疲れた。もう眠い。今日は書けないかも。

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