2021年5月31日(月)
今日から6月だと思い込んでいた。
もう無理すんのやめてしっかり休養は取ることにする。
2021年5月30日(日)
うーん、飲みすぎた。
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先のことなど考えずに、力を振り絞り続けるしかない。たぶん力はあるから、あとは振り絞れるかどうか。
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こんなことを続けていたら壊れてしまう。
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何度も何度も同じことを繰り返す。何度も同じように落ち込んで、何度も同じように立ち上がる。
立ち上がってしまえば、いずれ何ということもなくなる。こうやって生きて、こうやって死んでいくしかないのか。
2021年5月28日(金)
疲れが取れてなくても5時に目が覚める習慣が付いている。
睡眠時間が6時間以下だと作業効率は二日酔いの日レベルだというが、寝る前に飲んでるなら二日酔いでもあるので、頭痛くて当たり前。
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腹式呼吸を勧められた。深呼吸はエンドルフィンの分泌にも良いという話だったな。
2021年5月27日(木)
眠たい。やはり睡眠時間を取ればいいというもんじゃないな。
5時に起きて走りに行きたい。8時間睡眠だと21時には寝ないといけないことになっちゃうから、せめて22時に寝て7時間睡眠かなあ、と思うけど。
2021年5月26日(水)
まあ、命まで取られるでなし、か。
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前途多難だよ。
2021年5月25日(火)
つくづくリハビリだ。
2015年の論文はだいぶ無理をして書いている。博論をベースにしているから、書き上げたばかりで客観視しきれていないものを無理やり圧縮したから、モデル化が不十分なものになっている。
今なら、そのエッセンスを取り出して、抽象度のレベルを上げた考察を加えることもできるかもしれない。
ただ、いったん書き上げたものを、ときほぐして再構成する作業は、それだけで気が重いものだし、この話があった前後ずっと、僕には基本的に余裕がなかった。
今ようやくぼちぼち見直していると、元の論文の粗も見えるし、再構成すれば新しい論文としてリファインするチャンスでもあると思える。
それでも気が重かったり、すぐに息切れしてしまうところはある。
自分の能力の限界があり、能力を発揮する基盤がズタズタになっているというところもある。ズタズタになっている基盤の修繕は、ズタズタのままで無理をしすぎずに自分の能力を発揮して少しずつでも仕事を片付けていくことを通して、結果的に可能になるようなことだと思う。
こういう仕事をなし遂げたいという理想ないし構想の部分は、ポテンシャルという意味での能力だから、基盤の状態とは別に立てられうる。逆に言えば、基盤の部分がベストコンディションであることを前提に立てられてしまう。
でも、実際には常にベストコンディションであることはありえないし、どんなにうまくやったとしても、この先しばらくはベストコンディションとはほど遠い、ズタボロの現状でやりくりしていくしかない。
「このズタボロの現状でやりくりしていくしかない」感じを僕は「返済計画の立たない借金を返し続けているような感覚」だととらえているのだろう。
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なぜそんなズタボロになるまで放置していたのかという問題でもあるのだろうが、それにしたって、不可抗力の部分と対応がまちがっていた部分とが混じり合っているし、現在進行形ではなかなか対処しきれなヰことだったと思いたい。
自分の能力を客観視しきれず、結果として思い切ることもできなかったことが、不可抗力な部分はあったとはいえ、問題を長引かせたところはあるように思う。
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まあ、そこは今無理して掘り下げなくてもいいかもしれない。
2021年5月24日(月)
とりあえず睡眠時間をしっかり取ろう。落ち込むのはその後だ。
2021年5月23日(日)
相変わらずのリハビリ生活、と、久しぶりに実感を伴って思った。
やればできるけど、なかなかできるところまでいけない。だから丹念にリハビリしていかなければいけない。
2021年5月22日(土)
問題はだいぶ解消されてきているはずなのに気持ちがのらない。
2021年5月21日(金)
研究はもっと面白いものであるはずだ。
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こんなどうしようもない気持ちも受け入れていけばいい。何もまちがいなどないし、その先をまた知ればいい。
2021年5月20日(木)
うーん、余裕がない。
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めちゃくちゃ不調だ……。
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さすがに無理をしすぎたか。
かっこ悪い。
今さらだ。もっとひどいところからここまで来たのに簡単に放り出せるわけがない。どうなったって構わない。どんなにみっともない姿をさらしても構わない。示さねばならないことを示せればいい。
なぜだろう。なぜも何もないか。こんなことはいくらでもある。いつでもここから仕切り直していけばいい。
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でも、どうしてだろう。
「センターの日」が枷になってしまうようでは本末転倒だ。
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悪人正機か。
万人を救う必要なんでない。
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僕にしかできないこと、僕たちにしかできないことがある。それを忘れなければ。
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どうせ誰にも分かりはしない。結果だけが評価されればいい。
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汝と我。求める者にしか救いは現れない。
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やはりどうしてかというのは残る。
2021年5月19日(水)
久しぶりに走りに行った。どれくらいぶり? 先週金曜日以来だから、そんなに空いてはいないのか。先週金曜日がそもそも久しぶりだったとはいえ。8日(土)か。
やっぱり走りに行った方が、朝から気分はいいようだけど、ある程度調子がいいから走りに行ける部分もあるだろうし、はっきりとは言いにくい。
走りに行っても、しんどいのはしんどいのだが、耐えられるしんどさ、やりがいの感じられるしんどさになる。
2021年5月18日(火)
もうボロボロだ。体調悪すぎる。
2021年5月17日(月)
少しでも前に進まなければ。
取るに足らない、ちょっとしたことから根底にあるものが見えてくる。
しかし、それは必ずしも努力や才覚によって導き出されるのではなく、部分的には距離を置くこと、時間が経つことによって見えてくるものでしかないのかもしれない。
2021年5月16日(日)
つらい。
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しかし、やり切った。やり切っている。
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寂寥たる思い。
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希なること。
2021年5月15日(土)
はー。胸が苦しい。
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引き出し方がわからなくなっているだけで、いつも力はそばにある。
執着や疲れに引きずられて、見えなくなる。
もっとも引き出せたところで、その時々でその絶対量は異なるのかもしれない。負担が大きすぎるために、知らず知らずリミッターをかけてセーブしていることもあるだろう。
平常心というのは常に冷静でいるのとは違うのかもしれない。力を引き出す時とそうでない時とを使い分けるべく、時に耐え続けながらも、その先を見失うことのない意志が平常心と呼ばれるのか。
2021年5月14日(金)
久しぶりに走りに行った。
はー。なんかつらい。しかし、つらさに囚われているのも良くない。
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『分別と多感』面白い。うまく気分転換したらいいのだろうか。
体調もそんなによくはないと思うけど、高望みもできないだろう。
2021年5月13日(木)
身体がズタボロだ。
2021年5月11日(火)
なんで不安定なのか。
■マンガ
『アレンとドラン』面白い。
『ON THE ROAD GIRLS』『スタジオ777』いろいろあるなあ。
2021年5月10日(月)
体調不良は良くなってきたけど疲労はたまっているのかな。
2021年5月9日(日)
なんか、急展開、なのかな?
2021年5月8日(土)
排除を支えているのは第三者なのだとすれば。
2021年5月7日(金)
ろくでもないとわかっていても新しいものが出てくるたびにぐったりする。
2021年5月6日(木)
排除の構造とメカニズム。いくら暴いてもキリがなし。
排除に抗う人たちが集う街で、同じ排除の構造にはまったもの同士が罵り合っている。
2021年5月5日(水)
体調悪いのはどうしようもない。3月は3週間くらい体調不良が燻っていた。1ヶ月ちょっとは落ち着いていたことになるのか。
生きていれば体調が悪い時もあるだろうけど、なかなか受け入れられない。実際は体調崩し掛けだと思って活動にブレーキをかけている期間もあるから、実際より長く感じるし。
2021年5月3日(月)
一度にすべては捨てられないから一つひとつ捨てていくことになる。
壊れていても使い続けなければいけない場合もある。そういうものでも捨てる準備ができたなら捨てなければ先に進めない。
2021年5月2日(日)
力が欲しいと願った。
自分の中から溢れ出る力。
この変な風邪は何なのか。
2021年5月1日(土)
認識する者の気持ち。
事実を客観的に認識する者の気持ち。事実を客観的に認識する者は感情に振り回されてはいけない。感情から距離を置くことで、事実を客観的に認識することが可能になる。
ところが、感情を揺れ動かされながらでしか理解されない事実というものもあるだろう。事実はそれだけで独立して意味を持つことはない。さまざまな事実があったうえで、総体としてその意味を維持できるものだし、新たな事実が加わることで、何も変わっていないはずなのに、それまでにあった事実も、その意味を変えていく。
そうした意味を総合的に取り出す認識の主体もまた、一時的で便宜的なものでしかないし、それはいつもそこにあるわけではない。作り出されなければ、あるいは気づけば存在していたとしても、それとして選ばれなければ、その役回りを果たせない。
2021年4月30日(金)
なんで毎度毎度、同じように体調を崩すのだろう。
*
この道を行けば見舞われることに見舞われているだけなのかもしれない。
わかっているつもりでも、すぐに忘れてしまう。忘れなければ普通に暮らしていけないのかもしれない。そしてまた落ち込む。しかし、落ち込むことも特別なことではない。それが理解の筋道なのだとすれば。
*
僕の本当の気持ちはそちらの方にある。
この言い方は正確ではない。気持ちに本当も嘘もない。ただ、どちらも知らなければ、どちらも本当にはならないだけだ。
2021年4月29日(木)
せっかく何とかなってきたものを危険に晒してまで傷つくのが嫌。そう言われればそうではないと言い切ることもできない。
僕の方は何とかなってもいないし、傷つくことを覚悟して情熱を燃やすだけの気力をまだ持っている。それが若さでしかなく、これで燃やし尽くすことになるのだとしても、そうすることでしか生きられない。未来は決められているのかもしれないが、それでも実現していかなければならない。
2021年4月28日(水)
昨日はがんばった。まだまだ何とかなる。
しかし、今日はまたつらい。
もう丸ごと片付けてしまわないといけないのか。
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道行きの邪魔になるなら、こんな思いは捨ててしまえ。足枷にしかならない。
2021年4月26日(月)
舞踏との再会であった。
2021年4月25日(日)
いつも心を自由にしておけるように自分を鍛えよう。
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言うは易し行うは大変。
でもまあ、その気持ちを忘れずに。
2021年4月24日(土)
つらい。
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心を使う。
頭を使う前に心を使う。もっと心をうまく使うんだ。
2021年4月23日(金)
あるのは超えていく道だけだ。
2021年4月22日(木)
せっかく時間があるのにただ無駄にした。
2021年4月21日(水)
自分が不甲斐なくてたまらない。
自分の置かれた状況が情けない。
それでもやることは変わっていないはずだ。
2021年4月20日(火)
またサクラダリセットを観て泣いてしまった。「おかしいわね!? その小石が浅井ケイでないのなら、そんなにも慌てる必要なんてないじゃない!」と言っていた。
僕が読み解いているものはすべて錯覚かもしれない。しかし、その錯覚を描くことでしか見えてこないものがある。必ずどこかまちがっているとわかっていても、まちがいを犯さなければならない。
2021年4月19日(月)
疲労困ぱい。
2021年4月18日(日)
やりたいことがあって、それを自分でやろうとする人でないと信頼できない。
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うーん、やはり酒が入ってると変なこと書く。
2021年4月17日(土)
なんかまたつらいな。
うそ。ずっとつらい。先週の土日を思い出せば。
2021年4月16日(金)
シュタイナー読むぞ。
2021年4月14日(水)
新今宮ワンダーランド。
2021年4月13日(火)
これから夜が来るなら闇の中で備えられることがあるだろう。
2021年4月12日(月)
僕がやるべきことはわかっている。それ以外のことはどうにかなるか、どうにもならないかだろう。
2021年4月11日(日)
なぜこんなに落ち込んでいるのか。
こんな日もあるし、こんな日もあっても受け止めて立て直していけば良い。
理屈ではそのように思う。
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要するに僕には見えていないものが多すぎるのだろう。
それにそれは人より多くのものを見るようにしなければならないということなのかもしれない。
傍目にはつまらぬことにこだわり、つまらぬことで立ち止まって考え込まねばならない。
思えばこれまでもそんなものだったのではないか。
2021年4月10日(土)
萩尾望都の『残酷な神が支配する』を独り読んでいたのを思い出した。病んでたな。
2021年4月8日(木)
まず悲しむのをやめよう。
2021年4月7日(水)
本読みたいけどダラダラしてしまう。
2021年4月6日(火)
ああ、そうか。
この先は一人では切り開けないのかもしれない。
2021年4月5日(月)
明日は十牛図読もうかな。
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この道がどれくらい長く険しいのかはわからない。しかし、目の前にこの道しかないのなら、歩むほかない。それに、たどり着けるかどうか別として、この道を歩めること自体、得難いものなのかもしれない。
変えられるものは変えられる。変えられないものは変えられない。得られるものは得られる。得られないものは得られない。しかし、それを選ぶのが僕であることは変わらない。
2021年4月4日(日)
すぐに見失ってしまう。というより、わかっちゃいない。
僕が歩める道は一本しかない。それを忘れなければ、苦しくとも迷うことはない。迷うことがなければ耐えられない苦しみでもあるまい。
瞑想はあれこれ考えるためにやるもんじゃないんだな。いろんなことが想起される。手元に飛び込んでくるものを、執着せずに手放す。たぶん常にそれができるように。
■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #31
多読の要領で、わからない単語を飛ばす前提で読み進めてみる。意味のわからない文章があっても、あとで比較的簡易な文章に要約して説明されることが多いので、内容を把握するだけならそれでもいいのかも。
とりあえずこの本を読み切るくらいはしないと自信は持てないだろうし、この本を読み切ったくらいではどうにもならないだろうな。
というか、内容を把握する程度でいいからペース上げて読んでいけばいいのかも。根本的に読み方を変えることを意識してはどうだろうか。少しずつでも自分で判断してステップアップしていかないと。
辞書を引き引き英語の本を読んでいて思うのは、日本語で本を読む時だって、実は文章の意味はよくわからないまま読み飛ばしているはずで、読解力とはたぶんに語学力以外のところに宿っているのではないかということ。
*
ふー、しんどい。
2021年4月2日(金)
調子の悪い日もあるか。
2021年4月1日(木)
■Burawoy, M., 1979=1982, Manufacturing Consent: Changes in the Labour Process under Monopoly Capitalism, The University of Chicago Press, Chicago. #30
ブラウォイの文章わかりにくい。つまんないことを難しい表現で書く。あまり重要ではないディテールの部分は適当に読み飛ばさないと、いつまで経っても読み進められない。
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