過去ログ
2021年12月-2022年3月


2022年3月31日(木)

 褒めることはついつい忘れてしまいがちだ。

2022年3月30日(水)

 なんか距離の取り方が見えた気がしたんだけど、その気づきをどこにどんなふうに書き留めておいたものか分からない。まとまった考える時間も今取れないし。

2022年3月29日(火)

 何だろう、何とかなりそうな気がする。

 もう何もかもどうでもいい。あるがままに対処していけばいいんじゃないか。ものごとは思うほど複雑ではないし、いつでもやりようはある。

 受け止め方がまずい時はやり直せばいいし、見失ったときはその前まで戻ればいい。まずいと分かっていることはしなければいい。ほんの少しのコントロールの問題。

 欲を出さない、ヤケにならない。自分を見失わないように。自分というのはそんなに難しいものではないのに、見失うから難しくなる。

危険を平静な眼で直視し、進んで困難を克服しようとする態度を神秘学徒は身につけなければならない。たとえば或る危険に直面したとき、すぐ次のように感じられるように努力しなければならない。――私が今不安を感じたとしても何の役にも立たない。不安を感じてはいけない。何を為すべきか、だけを考えればよい。[ルドルフ・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』ちくま学芸文庫、2001年、p.87]

2022年3月28日(月)

 夕方になってようやく副反応収まってきた。接種日含めて3日はかかる。

 考えなくてもいい時間、決めなくていい時間があって、考えたり決めたりできるまで休む時間があるのだと思えるようになれば、もう少し生きやすくなるのではないか。

2022年3月27日(日)

 余裕がないな。

 ああ、そうか。そんなに難しいことではないのかな。

 もう気にしている方が疲れてしまったかもしれない。

2022年3月26日(土)

あらゆる不幸に抵抗するんです。出来ることならそれらすべてを消してしまうんです。
それでも、問題を一つずつ正していきましょう。永遠くらい遠い場所を目指して、一歩ずつ進みましょう。 [『サクラダリセット』2017年、第23話「BOY, GIRL and the STORY of SAGRADA 4/5」]

2022年3月25日(金)

 今回の経験を通して、どうしてそういう理解になるのかは、出来事としては筋が通っていない。

魂の旅において人の七属七生など、ほんのわずかな瞬間だ。私達に草木や虫や獣であった頃の記憶などないように、人の前世の記憶もすぐ不要になる。私はかつて世界を救った。だがそれは特別な経験ではない。きっと誰もがいつかは、世界を危機に陥れたり、救ったりするのだと思う。それほどの永い旅をしているのだ、魂は皆。そして、輪廻の中で磨かれる記憶ではない何かが、きっと魂が求めているものなのだろうと思う。[水上悟志『スピリットサークル』6巻、2016年、ヤングキングコミックス、Extra「コーコと鉱子」]
許すことを知らない魂は怨霊だ。怨念は魂の運動を上昇する螺旋から、行き場のない円に閉じてしまう恐ろしい力だ。そして、許しは、全ての在り様を肯定する救いの力だ。その許す力こそが、魂が求める何かの一端なのだと私は思う。[前掲]

 輪廻の中で磨かれる記憶ではない何か。

 出来事は経験の依代であって、経験の意味を直接構成するものではない。

 出来事と出来事の繰り返しの重なりにおいて気付くもの、気付かれるもの。それに気付くためには、その都度現れる目の前のものに囚われていてはいけない。それでいて、目の前のことには没頭していなければならない。

 出来事としての直接的な関わりがないようなことを横断して、人が生きることの必然が宿っている。そうした構図を生きていることを自覚することが、気付きへと至る導きであり、慰めともなるのかもしれない。

 それでも僕は強くならなければならない。弱さを受け止めながらでも進める強さを持てるように。

2022年3月24日(木)

 カフカの階段を落ちてしまった。

 自分が置かれた状況を野宿生活と重ね合わせる。そう考えるようになってはじめて、野宿生活の中でも生き抜こうとする意味が理解できてくる気がする。抜け出せない。しかし、生きていかなければならない。楽しみを見出していきたい、少しでも状況をよくしたい。

 野宿生活から抜け出せる希望が持てない。どんなに努力しても報われない、カフカの階段の前で感じる無力感の中で、はじめて出てくる野宿の肯定という選択肢、野宿生活の中での存在肯定が理解できる。

 傷ついて、挫折した人間同士が、自分自身の救いを求めながら、どこまで他者と共に生きられるのか。その強度が問われている。

2022年3月23日(水)

 フィールドノートがまったく書けない。なかなか書こうという気になれず、書き進められない。

 カフカの階段を落ちてしまった。小さなつまづきが重なって、簡単なことすらできなくなっている。

 しかし、それであきらめているわけではないし、腐っているわけでもない。

私はみなさんが決して犠牲者になることなどないように望みますが、他の人々に対して権力を振るうこともありませんように。そして、みなさんが失敗したり、敗北したり、悲嘆にくれたり、暗がりに包まれたりしたとき、暗闇こそあなたの国、あなたが生活し、攻撃したり勝利を収めるべき戦争のないところ、しかし未来が存在するところなのです。どうして私たちは祝福を求めて天を仰いだりしたのでしょう――周囲や足下を見るのではなく? 私たちの抱いている希望はそこに横たわっています。ぐるぐる旋回するスパイの目や兵器でいっぱいの空にではなく、私たちが見下ろしてきた地面の中にあるのです。上からではなく下から。目をくらませる明りの中ではなく栄養物を与えてくれる闇の中で、人間は人間の魂を育むのです。

2022年3月22日(火)

 結局、三日間は更新せずじまいだったか。

 自分がどれだけ他人に支えられているか分かっていない。自分一人でやった気になって一喜一憂している。それが子どもだってことか。

 それなら大人とはどういうことであるかは自ずと導かれる。大人と子どもというのは、そうした非対称的な役回りを指す言葉であり、年齢によって定義されるものではない。

 それを理解して飲み込んでしまえば、その方が楽かもしれない。それで気持ちも変わるかもしれないけど、そこでこだわっていても成長できない。捨てることで次のステップに行ける。

 そして、それはくよくよしてないで、気になれば気になっただけ、思い切ることでしかない。

 何も悲しむことはない。状況はさらに良くなった、僕が望んでいたとおりに。僕の努力は次々と身を結んでいる。それなのに、いつまで僕は繰り返し同じことを思うのか。

 いくらうまくいっても救われない。

 疲れているということだ。

2022年3月18日(金)

 ようやく気持ちに現実が追いついてきた。気持ちは最初からあった。でも、その気持ちは、過去が追いついてきてようやく見えるようになってきた。

2022年3月17日(木)

 そうか、そういうことなら、僕にとっての研究は大きな意味では運動そのものだと言ってもいいのかもしれない。たとえそうは思っていなかったとしても。誰に教えられたわけでもなく、他の誰もそうは思わなかったとしても。

 たぶん、僕はそれをフィールドワークという言葉で説明するのだろう。たとえ、他の誰もそうは思わなかったとしても。

2022年3月16日(水)

 越えていく力。

 眠い。何を読んだらいいんだろう。「これじゃないな」と思いつつ別の本を読んだりしている。

2022年3月15日(火)

 負け犬はただ一人負け犬。

2022年3月14日(月)

 中島写真についても少しずつ考えていこう。フォトアーカイブをどうこうする前に、写真集をちゃんと見ておく必要があるだろう。

 ということで、『ドヤ街』と『単身生活者』を借りてきた。ドヤの個室を写したものだと思っていたけど、実際はそれ以外にもいろんな写真が収録されていて、釜ヶ崎の労働者が置かれた状況がうかがえるようになっている。特に『単身生活者』の方は、いろんなところからテキストを拾い上げているところが工夫のしどころ。

■中島敏『写真集 ドヤ街――釜ヶ崎』1986年、晩聲社

 『ドヤ街』の方はiで、新聞記事から、戦前の米騒動、戦後の暴動、阿倍野墓地の資料や写真、地図など。釜ヶ崎の住人の歴史的系譜や生と死が暗示される構成になっている。そして、iiからは労働者の「現在」の生活の場面として、ドヤの個室のポートレートが並べられていく。

 写真集というのは、イメージを溢れ出させていくような仕掛けとして組み立てられているのだろうか。写真ごとに「1)ホテル名、2)1泊部屋代、3)ランク、4)タイプ」が記載されている。分類の志向が働いている。

 一番最初の男性。笑顔が印象的。小さなテーブルでご飯を食べているところ。発泡スチロールのトレイもあれば、陶器の器もある。自分で用意したのか、ござが敷かれていたり、奥にはクーラーボックスや鍋などが積み重ねられている。壁際には衣類が吊り下げられている。

 二つ目。ドヤの廊下の掲示物。「求職受付票」の写真は、労働者がいかに管理されているのかをうかがわせる。

 ほとんど物がない部屋も。廊下から引き戸一枚挟んで、濃厚なプライベートな空間がある。

 小さな食器棚が写っているけど、これは据え付けなのか、本人が購入したのか(別の写真にも同じような棚が写っているから、備品なのかな)。仏壇。

 なるほど、いろんな意味が読み取れる。プロレスらーの絵が描かれているのはドヤの個室の壁なのかな? 壁に新聞紙を貼っている人がいたけど、壁の落書きを目隠しするためなのかもしれない。鍋釜や「クッキングソルト」の存在が、自炊していたことをうかがわせる。解釈を組み合わせて、生活を考察できる。

 中ほどに監視カメラの写真、監視カメラマップ。無縁仏ロッカー。センター。メーデー。西成労働福祉センターの窓口の写真。求人情報が読み取れる。いろんなデータと組み合わせていけば、いろんなことがわかるかも。気づきを得たり、全貌を思い描くための手がかりとしての写真。

 散髪屋。街の風景も。新旧のドヤの外観。新造されるドヤ。越冬。野宿労働者。

 iiiは何だろう? 人物の入った街の風景、仕事の風景。撮影時期がちょっと古いのかもしれない。これまでの写真が1985年前後のものだったのにたいして、この辺りは1969年とか、1970年とか。

 なるほど、労働者自身による記録か。

 巻末の資料はどういったものだろう。

 引用したものもあれば、中島さん自身(?)による解説が付いたものもある。『寄せ場労働者の生と死』が1989年。労働者目線の記録や研究がまだまだ不足している時期のものということになる。

■中島敏『続ドヤ街 釜ヶ崎の 単身生活者 なにわ叢書4』1990年、海風社

 一作目に引き続き、やはり柱となるのは「ドヤ」。表紙には「労働者たちの日々が集約される場所、それが「ドヤ」だ」とある。

 今回の基本的な構成は、左ページに写真、右ページに釜ヶ崎の中の施設や発行物に見られるテキストの抜粋。英訳が添えられている。

 撮影時期が分からないな。でも建て替えラッシュ後の新しいドヤが中心なのかな。

 飯場の注意書きもある。

 野宿者の写真。ドーム型の通路?

 テント小屋らしきものも。ドヤ暮らしと変わらないかも……。

 『ドヤ街』の時も思ったけど、裸の人物が目立つ。

 労働者として働き、暮らす中で目にするもの。テキスト。

 センター3階。この頃にはもうセンターはそういう使い方をされていた。

 『俗都市化』を読みながら。

 テーマは野宿者運動ではないのかも。野宿者運動にかかわるわれわれが都市で生きるにともなってまとわりつく排除の構造とメカニズムの解明、そして、それに抗していく可能性を探ろうというのではないか。そのための作業の一つとして、反排除の意味を問う必要がある。ならば、必ずしも反排除について語り切る必要はないのかもしれない。反排除について語ることで、初めて語り得るものがあるとしたらどうだろう。語り得ないことは語れないが、語り得ないことについて語ることで語り得るというわけだ。

 そう考えると、このフィールドワークについて語るハードルはぐっと下がる気がする。運動の勝利や理念をクリアに語る必要は、そもそも無かったことになる。むしろ、それらをクリアに語れない運動のジレンマを解き明かすことが、反排除に宿った意味を描き出すことにつながるのではないか。

2022年3月13日(日)

 1日のうち落ち込みやすい時間帯とか、あるんだろうか。

 そもそも深夜までお酒を飲んで、目覚めるのは7時というのでは、調子がいいわけないけど。

 でも、今日は7時に起きて、しばらく作業していた。風呂に入って、昼過ぎに出かけてから、あまり気分が良くなかった。16時頃まで。4時間くらい?

 「九官鳥が逃げました」[106]小鳥の写真や鳥籠が写った写真があった。小鳥を飼っている人は結構いたのかも。

 茂みの中で寝ている人、通りすがりの親子。野宿労働者の増加?

 巻末の「撮影ノート」。景気の先行きに構わず進むドヤの建て替えに覚える一抹の不安が記されている。この時期の気分が現れている。撮影時期は1988年から1989年にかけてとある。

2022年3月12日(土)

 失敗、恥辱、なんでも受け入れて、肯定するところから始めよう。これはそういう研究なのだから。自分の無様なところを肯定できずに他人の自己否定を認めることなどできるのか。

 何を伝えるべきなのか。そして、どうやって伝えるべきなのか。

 根本的なところに立ち返ってみよう。

 うんざりするような気持ち、焦燥感、自己否定的な感情、そういうものをやり過ごし、やり過ごして、その先にある成果にたどり着かなければならないのか。たどり着けるのだろうか。

 そして、そんなことを考えていても仕方ないと思い直す。何かを書かなければならないのは確かだし、書けるもの、書きたいものがあるはずだ。その範囲を広めて探っていった方がいいのか。まだ埋められていないところがあるのなら、埋めていきながら、やりながら考える。

 少しずつでも自分の力を取り戻していけばいい。自己否定を跳ね返せる部分を少しずつ広げて、増やしていけばいい。そんなところから、やり直さなければならないし、そのために苦労してきたんじゃないか。すでにそんなところから出発して、ずいぶんと歩んできたし、そうやってきたはずだ。ここからは自覚的にそれをやっていくだけだ。

2022年3月11日(金)

 やりながら考える。のちに振り返った時にどうかという話だ。

 やりながら考えればいいんじゃないか。やりながら気付くこと、やりながら分かることもある。

 ずっと目を背けてきたこと、決して語り得ないと思ってきたことを、語れるようにしなければならない。語らなければならない。語り得ないことを語れるようにするところからしか、道は開けない。

 なんかおかしいな。どうして僕がこんなに感情的になる必要があるのか。どこからこんなシンパシーが湧いて来るのか。

 僕がこんなところに迷い込むには理由があるはずだ。それに、いくつか段階があるはずだ。いつ、何を仕込まれれば、そうなるのか。

 存在肯定の意味。失敗は失敗として認める。過ちは過ちとして認める。自分の欠点を認められずに、自己否定に破れる誰かを肯定できるのか。

 失敗というのは研究者のキャリアとして、ありえない調査に没頭したということ。それを肯定できなければいけない。

2022年3月10日(木)

 もう余計なことにわずらわされたくないんだけど。

 弱さを強みに。フィールドワーカーだけにそれができる。誰かが救われることを自分の救いなのだと思えるところまで行かなければいけない。一人で行くしかない。一人でなら行けるのがそんなところなのだ。抱え込んでしまったものは仕方ない。誰かがそれをやらなければならない。そうでなければ、誰かを救うこともできず、自分が救われることもない。

 やはり僕は自由を求めていた。自由の孤独からはじめなければならないのが人の性なら、その共有を目指して努力するのもまた定めなのだろう。

 それが、僕の求める、僕が求めてきた、究極の真理なんじゃないのか。真理の目の前まで来て、何をためらっているのか。何を惜しむことがあるのか。真理とはそうしたものだろう。

 きっとまだ埋められていないところがある。とるに足らなくて、普通なら気に留める必要もないような当たり前の背景を埋めていくこと。それが必要な手続きであることを僕は知っている。

 何だろう。つまりこれはどういうことなのか。

 自分のことはどうでもいい。自分がどう評価されるかには意味がない。それは真理とはかかわりのないことだからだ。いや、そうではない。真理にふれようとする限り、必ず評価はつきまとうけれど、それはおおよそ否定的なものでありながら、真理のなんたるかにかかわるものではない。真理にふれようとする過程で起こる出来事に過ぎない。

 排除に巻き込まれれば、そんなことはいくらでも起きる。しかし、そんな排除の真実にふれようとするからこそ起こることは、本当は些細なことでしかない。その先に行かなければならない。

 単に僕が本当にダメなところもある。しかし、僕がダメであることは、真理の如何にかかわりはない。僕がダメであるかどうかとは別に、僕にとって不利な方にばかり働くことがある。しかし、それも真理の如何とはかかわりがないし、それは必然であって、惑わされてはいけない。

 どうすればこれを理解できるのか。どう考えれば、これを力に換えていけるのか。いつでもここに立ち返ることはできるはずだ。真理とはなんなのか。

 そうか。それなら、その答えを知ることを当面の自分の課題にしておけばいい。そうしなければ、この真理をつかむことはできないということだ。

 こんなふうに思えたことは、これまで一度としてなかっただろう。それなら、これが進むべき道でないはずはない。

2022年3月9日(水)

 休むの下手だな。

 根本的に世界の見方を変えなければならない。ただそれだけのことだ。どうしてそれを見失ったりするのだろう。

 この一週間。月曜日、火曜日の無駄な会議。水曜日。木曜日は打ち合わせ。金曜日。土曜日の本当に無駄な集まり。日曜日、月曜日、火曜日。頭を悩ませていた。すぐに集中して考えれば良かったのに。なぜそれができなかったのだろう。いつからでも、いつでもそれを始めて構わないのに。なぜできないのだろう。なぜしないのだろう。

 やるべきことをやればいい。その時その場で答えを出せばいい。答えを出せばあとはやるだけ、あるいはやめるだけだ。問題を解決してしまえばいい。それは可能なのだから。そういう心持ちに、そういう思考に、そういう状態にいつでも入れるように、いつでも入れると思わないといけない。

 金曜日の夕方は会議だった。その後の土曜日であり、日曜日だった。月曜日は個展に行った。インタビューデータを共有してもらったのが、ようやく土曜日の夜だったのだから、作業に着手できたのは日曜日になってからだ。無益な研究会から、流されざるをえない状況にあったのだから、こうなってしまうのはある意味必然だった。しかし、もうそういうのはやめようということだ。

 ずっとこのままでいいじゃないか。こうなる力がいつでもあるなら、そうすればいいだけのこと。そうする力があることを疑うな。自分のために自分を信じるだけのことだ。

 そうできないような状況はあった。足枷もあった。それは今もあるのかもしれない。それでも、今はもうできるはずだ。これから先は悪いことは起きない。いいように変えていけるからだ。

 それはきっと内省の力だ。他者がなければ、経験がなければ、内省に力など宿らない。困難なほど大きな形を必要とし、大きな力を生み出すきっかけであり、その力そのものが内省なのだ。

 だから、内省の力を強める限りにおいて、深める限りにおいて、学んでいけばいい。

 僕は再びその力を得るために、困難に分け入らねばならなかった。それを誰かのために使う力にしなければならなかった。

2022年3月8日(火)

 先行研究の整理ってどうして必要なんだろう。

 何を言っているのか。自分の研究の面白さを理解してもらうための背景説明の素材として必要に決まっているではないか。

 しかし、何となく面倒くさく感じるのは、理論的な意義みたいなものを求められる気がするからか。

 単に抽象的なものであればいいというわけではない。自分で納得がいくように抽象度を上げるためには、それなりに裾野を広げておかないといけないし、裾野を広げるためには、ピークまでなだらかに傾斜を作れるような盛り土が必要になる。そういう庭造りの途方もなさに、うんざりしてしまうのだろうか。

 しかし、この庭造りという喩えは合っているのだろうか。なぜ庭が必要なのか。僕の中にそういう美意識があるのか。論文は美意識にもとづいて書かれているのか?

 嫌になったら休めばいい。ずっとやる気なんてことはありえないのだから。嫌になったら、別の楽しいことをやるチャンスが到来したと思え。

2022年3月7日(月)

 未来とは何か。未来の不安を埋めようがない者は、今を生きるしかない。

2022年3月6日(日)

 どれだけ本を読めばいいのかは分からないし、決まっていることでもある。できるのは無駄な本を読まないことだけ。

 落ち込んだり、迷ったりすることもある。ならば、それをいたずらに長引かせなければいい。見えるものも心のありようも変わっていく。変えていかなければならないし、変えていけばいい。

2022年3月5日(土)

 吉にして利あらざるなしは、命に従わざるあるなり。

 義勇。正義と勇気。

2022年3月4日(金)

 飲んでる時に更新しちゃダメなんだってば。

 そうだな。うまくいかない日もある。繰り返し、繰り返してここまで来たことを悲観するのはまちがっている。そんなことは引き受けてきた。

 何のため、誰のために、こんなことを続けるのか。予感だけがあるのなら、それを知るための道標にすればいい。現在においては語りえないことも、現在が過去になった未来でなら語りうるかもしれない。理解というものは通り抜けた後に訪れる。いったん自分の利益とか、損得を捨てたところで出会うものが教えてくれる。

 よく分からない。寝ぼけているのかな。「それでも一般的な意味での理想は理想で目指されるべきだ」みたいな。風呂介護で? 何のこっちゃ。

 うむ、寝ぼけてただけだな。意味分からん。

 僕の中に確かにある思いと、別の思いとからまって足を取られているような思いとがある。そういうものは切り分けていかないといけない。個人的な思いと、社会的な意識と、その中間で混じり合っている部分。混じり合っている部分に惑わされぬように、しかし、疎かにもせぬように。

2022年3月3日(木)

 はー、なんか、疲れたまってんのかな。

2022年3月2日(水)

 眠りが浅い。寝まずに寝てんのになあ。

 美人であることは、自覚的に活用しなければ、得したとは思わないものだということだろうか。

 弱さを知ることで優しくなって、自分を許せるようになる? 自分を許すために、弱さを知り、優しくなる必要がある?

 他人を許すために自分の弱さを認めることで、人は優しくなれる? 他人を許すために自分の弱さを認める。そのような優しさを持つことは、他人を許すためではなく、むしろ自分を許すため? 自分の何を許すのだろう。自分が弱いことを許す? 自分が弱いことを許すのは他人を許すため?

 他人を許すためには、他人が弱い存在であることを受け入れなければならない。他人が弱い存在であることを真に受け入れるためには、自分もまた弱い存在でありうることを受け入れなければならない。

 自分の弱さを許すことは他人の弱さを許すために必要なことになる。自分の弱さを受け入れるのが他人のためである時に、それは強さや弱さではなく、優しさになる。自分を許すために人は優しくなるというわけだ。。

 自分の弱さを乗り越えるために倫理的であろうとするのは、強い自分であるために倫理を利用しているに過ぎない。真に倫理的な行いであるなら、自分のことは捨てて、他人のために為されるはずだろう。

 強い自分に価値を置いた倫理では、弱さが否定されている。そこで否定されているのは自分自身の弱さであって、他人を責めるつもりではないのだとしても、強さや弱さにこだわっていることは否定できない。

 他人の弱さを受け入れることが自分の弱さを受け入れることでもなければ、この囚われから自由になったことにはならない。弱さを認めない倫理の追求は独りよがりなものになってしまう。

 他人に弱さがあるように、自分にも弱さがあることを受け入れた時に初めて、自分を捨てた倫理のあり方へ向かうことができる。その指針とは他者である。誰のために、何のために、どうするべきなのかを、共に考えなければならない。

 相手を認めるためには自分の不完全さ、弱さを受け入れる必要がある。不完全なもの同士が誰のために、何のために、どうするべきかを共に考える時に初めて道が開かれる。

 相手を打ちのめすために振りかざされる倫理は分断をもたらし、独りよがりになった倫理は救うべきものを選別する。弱さを認めることは自分を捨てることであり、そうして結実した優しさが連帯を引き寄せて、社会を変える力となる。

 支援と運動は一致しなければならない。お互いの倫理をぶつけ合っているのではなく、真に倫理的であるためには、相手の弱さを受け入れ、自分の弱さを認めて、異なる立場のままに、為すべきことを為さねばならない。

 弱さを認めるとは何か。驕りを捨てることか。しかし、人は捨てようとも驕りを捨てることはできない。そのために他者を必要とする。他者は、驕りを捨てるため、真に倫理的であるために不可欠なものであり、しかし、その目的でもある。すなわち、ここでは目的と手段も一致しているということか。

 フィールドワーカーは他者を知るために自分を変えなければならない。自分が変わらなければ、他者は理解できない。自分の興味関心を入り口としながら、そうした自分が破壊されなければ究極の目的に達することはできない。

 それを僕は背理だと思っている。フィールドワーカーの倫理は背理とともにある。

 弱さを認めるということは、強さで乗り越えないことを知ることなのかもしれない。相手の弱さを責めないために、強さで乗り越えない自分を許容する、自分の倫理を貫徹することを諦める。そうすることで誰かを幸せにすることもできる。弱さが実現させる幸せもある。そういうものは、やはり寛容さ、優しさと呼ばれるしかないのではないだろうか。世界の見方を変えなければならない。不完全であることを受け入れることでもたらされるものが調和と呼ばれることもある。

 正義と倫理。運動には正義があって、支援には倫理がある。しかし、正義と倫理は一致していなければ救われない人がいる。

2022年2月28日(月)

 そうか、僕はもう早く書き出したいんだな。どんどん形にしていきたい。文章にしたい。そういう気持ちになってきている。

 書くために、書けるようになるために一つずつこなしていかなければいけないことがある。気持ちは焦っても、それを見失わぬように、見誤らぬように。

 誰のために書いたらいいのか分からない。バカどもに大切なことを分からせてやるという気持ちと、バカに理解されたくなんかないという気持ちとがぶつかりあって心が引き裂かれてしまう。

 ずっと自分を答えを追い求めている状態に置いておきたい。少しずつでもたどり着くべき場所に近づけるように試練に身を浸していたい。

 逆説を解き明かしたい。正しさの向こう側にある真実を目指して、まちがいを突き抜けて進むことはできるのだと示したい。そうしなければ、この世界は決して変わることはできない。そんなふうに世界を見ることができるのだと示すことができなければ、何よりも自分自身が救われない。

 場所との関わりを一つひとつ読み解いていく必要があるのか。意識していないレベルでの場所の性質というものを。ベンチ一つある、なし。公衆トイレや水場の有無。季節や建造環境。屋根の有無。

 例えばそういったものから意味を炙り出そうとするなら、複数の場所の性質を重ね合わせる必要があるだろう。

 排除オブジェとか、そういうレベルの話なんだろうか?

 まずはそこにあるもの、そこで可能になっている過ごし方を可能にするものは何なのかから考えていけば良い。しかるのち、そこにないものの効果、ないがゆえに可能になっていること、不可能なことを把握していく。

2022年2月27日(日)

 飲んでる時は更新したらいけないんだよ。

 こういう展開になるか。

 僕が望んだことではあるんだけど、願っていたよりだいぶ遅い上に急すぎる。物事が動く時というのはこんなものか。

 先の見通しなど立たない。道を開くのは世界を見ようとする意志であり、行為である。しかし、世界を見ようとする意志は、その道を歩むべき者ではない。それでも、誰かが世界を見なければ道は開かれない。

 夜も飲んでる。

 僕は先が見通せるようになりたい。まだ足りないのだと思う。

2022年2月26日(土)

 ようやく平常運転に戻ってきた。

 ついに難波宮跡公園にまで排除の手を伸ばしてきた。

 優良な市民とそうでない市民を選別しようとしている。野宿者が排除されるところで排除されるのは野宿者だけではない。排除のメカニズムは市民全体を囲い込もうとする。

 しかし、ただ野宿者の反排除を訴えても大勢に伝わることはない。社会を二重化して読み解く視点を見つけ出さなくてはならない。そして、それを同時に押さえる表現方法が必要だ。

2022年2月25日(金)

 なんもせんかった。

 疲れたかなー。

 そうだな。結局は割り切れものではない。割り切れたような気持ちになった後にもまた、同じような鬱屈とした状態に陥る。その繰り返しだ。

 しかし、それは先へ進もうという気持ちでもあるだろう。

2022年2月24日(木)

 昨日は面接だった。心配しなくても、そうそううまくはいかなかった。

 合わせ方というのもあるのだなと思った。今更だけど。

 どうでも良くなってきたな。別に大学教員にならなくても研究はできるし、むしろ大学教員になんてならない方が自分がしたいような研究ができるんじゃないのかな。大学教員というのは、自分の食い扶持を教育で稼いでいるだけのことで、それよりいい方法があれば、その方がいいだろう。

 今の大学に僕のような研究者が入り込む余地はない。自分本来の研究の姿勢を曲げてまで入る意味があるとは思えない。

2022年2月22日(火)

 いきなり何もかも良くなるわけはないし、何もかもが良くなるわけでもないだろう。

 それでも、ようやく流れが変わってきた。これだって5ヶ月近い仕込みがあってのことだ。まだまだ道は険しくとも、進むしかないところに道は開けている。

 いよいよこの研究を終わらせなければならない。この研究を終わらせなければならないことがつらい。

 研究者としての役割を全うするとは、その研究を終わらせることだ。フィールドワーカーにとって、フィールドから去ることは、使命を果たすこと、フィールドで世話になった人たちとの約束を守ることだ。

 さんざん苦労して築いたものを最後には手放さなければならない。

2021年2月21日(月)

 今までやってきたことはまちがいではなかった。むしろ正しすぎるくらい正しかった。これをあるべきところへ返そう。

 誰かを自分の不満の捌け口にすることも、親しい間柄であれば、それを受け止めることが愛の形でもありうるが、そうでないなら、単に迷惑をかけていることを分かっていない。自分には他人に一方的に迷惑をかける権利があると思っている。そのような権利は世界中のどこにも存在しないにもかかわらず。

 それなら、そんなバカの不満の捌け口になってやる必要はない。ぶつけられるのは迷惑だけど、言葉だけなら実害があるわけでなし、構えば構うほど、こちらは奪われるだけであるにもかかわらず、相手には満足感を与えてしまうのだから、無視しておけばいいんだな。

 むしろ、そこで相手をしてしまうのは、ぶつけかえす不満が自分の中にあるからだし、その不満はもともとあったものが反射的に発見されたに過ぎない。自分の不満には自分で折り合いをつけていけばいいのだし、やりたくもない代償行為に手を出すのはバカバカしい。

 不満、というより、不安のような、自分自身につきまとう問題を、誰かにぶつけるべく転化されたものが不満なのだろう。

 自分の課題に向き合えていない。

 誰かを不満の捌け口にする行為は、自分の一部であり、自分が向かい合うべき不安を他人に転嫁したものにすぎないし、それに気付けない者は、感情に従属する道具になってしまっている。

 そんなものにならずに済むことには価値がある。

 そうなるきっかけが他者であれ、それは自分で自分を疎外しているだけだし、自分でやっていることなら自分で取り戻せる。

2022年2月20日(日)

 最後の一文がもう一つだな。「他者に語りえない以上、自分でもその実体をつかまえられない」というところまではいい。

 同じ地平に立てる。同じ地平に立っている。やはり語りえないものを語る回り道はある。関係と時間を通して分かる。

2022年2月19日(土)

 つらくなければ先に進めない。つらいのはまだ良くなるから、良くしていきたいと思えるからだ。

 また飲んでいるけど、書いてみようか。

 誰もが一人ひとり、他者には語りえないものを抱えているし、他者に語りえない以上、自分でもその実体をつかまえられない。

 しかし、その限りにおいて、僕たちは同じ地平に立てる。

2022年2月18日(金)

 気乗りしなくても本を読めばいい。それが仕事なのだし、そんな日もある。

 釜ヶ崎のことは釜ヶ崎の人がやればいいと、どうにかなってしまうのを最後まで傍観していていいのか、何のためにもならなくても、何かやっておかないといけないと思って「センターの日」をはじめた。

 誰にどう働きかけたらいいのか分からないし、それ以前にどこにどんな人がいるのかさえ僕には分からなかった。そもそも僕には口出しするような立場でもなかった。それなら無理やり当事者になってしまえというのが「センターの日」だったんだな。

2022年2月17日(木)

 やる気が出ないなら、やれること、やれば確実に終わることからやるか。

 場所は人と人の関係の依代の一つだと言えるのかもしれない。それなら、他にはどんな依代があるのだろうか。記憶とか、肩書き、履歴といったものもあるだろう。カテゴリー、属性もそれに含まれる。依代は包摂の入口であると同時には排除の関門でもある。

 そして、依代は無色透明なものではない。記憶や肩書き、履歴、カテゴリー、属性といったものは実体を持たないが、場所は物理的な実体をともなう。しかし、実体をともなうにもかかわらず、その実体をとらえる知覚は鍛えられていない。

 しかし、依代の性質をとらえる手がかりとして、場所以上に頼りになるものもない。記憶が場所や関係に結びついていることはすでに社会学的な理解の及ぶところだ。

 関係は場所を作るものでもあるし、主体を生み出し、行為をうながすものだとしても、やはりとらえどころのないものだ。相互の身体性が関係の実体であるとしても、その関係が埋め込まれる場所の視点を持って見つめ直せば、理解を深めるよすがとなる。

 そうか、身体こそ、依代そのものなのか。身体の拡張としての空間であり、「生きられた経験」が場所になる?

 「センターの日」のやりにくさもデータになりうるだろう。水道一つ、使えるか使えないか、お湯が出るか出ないかで、できることやその難しさは変わってくる。

 これは寄り合いにも言えるだろう。夜回りにも当てはまるかもしれない。

2021年2月16日(水)

 なんでこんなに嫌なんだろう。

 正解が分からないからかな。相変わらずうまく立ち回れる気もしないし。

2022年2月15日(火)

 楽な道などありゃしない。苦しいのはそれが道であるからだ。道は須臾も離るべからざるなり。

 誰かに気付かれるのは自己犠牲ではない。自分でそうだと思うようなことも自己犠牲とは言えない。自己犠牲だと感じているうちはまだ十分に思考を使えていない。

 語りえないものを示すためには、出来事の流れを媒介させる必要がある。相互行為の分析を超えて、出来事と出来事の共鳴を聞かねばならない。

2022年2月14日(月)

 矛盾し合うものであっても、同居するところから生み出されるものもある。場所はそのための器でもあり、場所は関係によって作り出されるものでもある。関係は必ずしも調和するものでも、かみ合うものでもない。矛盾し合うことも一つの関係であると受け入れられるかどうかで、話はまったく異なってくる。

 2019年の論文に僕はすべて盛り込んでいる。それなら、そこから発展させていくこと、深めていくことがこの研究のゴールなのだろう。

 世界は空間に支配されている。空間を支配する原理は、言うなれば資本主義、グローバリズム、ネオリベラリズム。労働者として、消費者として、地域住民として、空間を支配する原理に参加させられる。そうであるなら、場所は空間に支配されている。しかし、空間と場所は本来背中合わせであり、重なり合うものでもある。そこから場所が独立する余地は常にある。大まかなものとして、これが戦略だし、野宿者運動が取ってきた戦術があり、その帰結もすでにある。

 まだ立て直すことはできる。むしろ立て直さなければならない。そうでなければ誰一人救われない。

 空間による支配に加担せず、場所による独立に関わる。場所は関係と共に作られるが、関係だけではいけないし、場所だけでもいけない。関係が空間による支配に対抗するものでもあるためには、独立の原理である場所との併走が必要なのだ。

 それなら僕自身が日常において実践していかなければならないし、実践できなければ意味はないし、実践できるはずだ。

2022年2月13日(日)

 こういう気持ちをどうしていけばいいのか。

 飲んで書いてることだから、明日には消すかもしれないけど、書いておきたい。

 やっぱり支援には運動が欠けているし、運動には支援が欠けてしまっている。支援には仲間が見えていないし、運動には仲間しか見えていない。ここを突き抜けて真理を描き出すしか、僕にできることはない。描き出す以外の道はない。

 支援には運動が欠けていて、運動には支援が欠けているとすれば、研究に欠けているのは何か。むしろ、研究は欠けることを引き受けることでしか、役割を果たせない。研究に欠けているのは背理であるということだし、僕はすでに背理を引き受ける準備はできている。

 道は須臾も離るべからざるなり。離るべきは道に非ざるなり――というわけだ。

 支援は倫理を重んじ、運動は理念を重んじることで語り得なくなる。それなら、背理を抱え込むことで語ることを可能にするのが研究だ。

 生活に満たされているから、そこが場所になる。そこで暮らす人の生活が他者の思惑に従属しているようなら、場所は空間に支配されている。

 そして、世界は空間に支配されている。

2022年2月12日(土)

 なるほど、コスモロジーとつながってきた。

2022年2月11日(金)

 これまでだってちゃんと乗り越えてこれた。これからも乗り越えていける。決して悪くなってはいない。立ち止まらなければ道は続いていく。

2022年2月10日(木)

 その先に行きたい。

 この3年で経験してきたことはすべて必要なものだった。越えなければ意味がない。

2022年2月9日(水)

 強いから向き合えるのではなく、弱いから向き合えないわけでもない。向き合えることを強さだと錯覚しているだけだ。たとえ打ちのめされようとも、向き合うべきものには向き合うしかない。そうするほかに道などないのだから。

「自分のことを好きじゃないと芝居なんてできない」

 きんちゃんが言ったことに真理がある。生活保護を受けるとか受けないとか、死ぬとか生きるとかではなく、存在肯定のための場所が必要なんだ。存在するためには場所が必要だからだ。関係だけでも、場所だけでもいけない。関係と場所を作らなければいけない。

2022年2月8日(火)

 イベントが終わったからといって何かが変わったわけではない。もともとの目的はまた別にあったわけだし。

 何もかも正しいわけじゃないだろう。

2022年2月7日(月)

 酔っ払って書いたことはやはりつまらないので削除。

 分かっていたことが分かってしまっただけなのかもしれない。繰り返しこんなことを考えている。もういい加減、この事実と向き合って、受け入れる時にあって、まだ僕は目を逸らそうとしているのだろうか。拒もうというのか。悪あがきしようとしている。

 反排除の野宿者運動が目指していたもの、描いていた理想があって、実際にたどり着いた場所がどんなところだったのか。たどり着いた場所は複数あって、それぞれが交わることができない。

 僕にとっての答えを出すことが、一つの答え方なのかもしれない。僕の立場から見えるもの、見てきたものの持つ意味と評価を差し出すことでしか、語り得ないのかもしれない。ならば、どこから語り始め、どこで語り終えるのか。

 西成公園なのか、長居公園なのか。大阪城公園はどこに位置づけられるのか。日常と地続きでフィールドと向き合うことは関心の一つだった。そうでなければ、現実と切り結んでいるとは言えない。

 活動家ではない僕が切り結ぶのは個々の人間ではなく、現象としての社会の実体としてとらえられる。

 野宿者運動を超えたところにあるものを議論に引き込まなければならない。野宿者運動がはまり込んでしまった隘路を解き明かすことを通じて、社会構造と交差するところ、野宿者運動が社会構造にからめとられる仕方を明らかにする。そうやって野宿者運動を超えて守るべきもの、その守り方を提示しなければならない。

 前日の2月4日(金)の夜に書いたことが、僕自身が成し遂げなければならない目標なのだろう。排除の前に破れて、消え去ろうとしているものの輝きを、理念型として実在させなければならない。

 もともとこんなものは語りえないものなのだ。語りえないものを示す技芸を操ることがフィールドワーカーに与えられた使命であろう。

 フィールドワークとは何か。ある種の調査の総称として用いることもできる。しかし、実際のフィールドワークは必ず固有の形式を持つ。形式を持たなければ、フィールドワークは中途半端なことしか言えないだろう。

 今回の場合、野宿者運動に積極的に寄与する形で行ったフィールドワークということになる。参与観察であれば普通は踏み越えないところを踏み越えることを方法論として組み入れた。それは運動の限界を立証するための仕掛けだったのかもしれない。たしか濱村さんに言われたように、運動に対する背理を含んでいた。あれが2019年の2月のことだった。2019年2月2日(日)、ちょうど3年前であり、イタリアに行く直前でもあったのか。あそこから要した3年という年月は十分な厚みを持つと言って良いだろう。にわかには耐えがたいくらいの長さがある。

 2019年から現在までの急展開した部分をどのように論文に組み込めばいいのか。「飯場日記」的なテキストを、冒頭に置くのではなく、いくつか埋め込んでいくこともできるかもしれない。

 フィールドワーカーとして社会に向き合う時、いくつかの局面、いくつかの立ち位置があるはずだ。その局面を正確に書き分ける必要があるかもしれない。

 「飯場日記」は過去の出来事を現在進行形で語るテキストだ。過去の出来事を現在の視点から振り返るテキストもありうる。過去の出来事を特定の視点から時制を取り払って、普遍化する材料として扱うテキストもあるだろう。これはいわゆる論文的な立ち位置だ。

 でも、最終的にはすべて論述に回収しなければならない。『飯場へ』での「飯場日記」の位置付けは、その点は曖昧になっている。体験記を置くことで、その後の説明にかかる手間を軽減するくらいの意味しかない。

 「飯場日記」には、その研究がフィールドに向き合うスタンスを示すという役割もあった。「私」の体験を論述に組み込むと宣言するようなものだ。「私」の体験から社会を理解すべきだという立場であり、「私」の体験を超えた理解を実現させることが課題だった。この研究は「飯場日記」からスタートして、「飯場日記」をきちんと超えるところまでが、研究として必要な条件だった。

 それなら、今回のフィールドワークでは、どこにどんなテキストが必要になるのか。決まっている。日常と地続きであるという部分だろう。日常と地続きで起こる出来事、それをきちんと論述に組み込んでいくことだ。

 現在進行形のテキストは、今回は出番がないかもしれない。

 ……ありうるとすれば、記録集に収めた部分か。

 順番が逆なのではないか。語り得ないことを語るために論文化の技法がある。すべてのテキストは、語り得ないことを語るための道具立てでなければならない。

 書かないといけないパーツとしては、野宿者支援の社会学の部分、都市のコモンズとして「センターの日」について扱う部分、そして、記録集か。すでに書いたものとしてよろずの論文とまちづくりの論文。

 記録集は歴史的な読み込みが必要だ。反排除の野宿者運動の始まりであり、終わりであることの意味を描がなければならない。

 よろずからもいくつか語り残したエピソードがある気はするが……。

 オシテルヤの位置付け。オシテルヤを扱う章も必要だろう。

2022年2月6日(日)

 このフィールドワークを終わらせるための手続きだった。

 それが15年目の2月5日であったことにも意味はあったのだろう。あの日が反排除の野宿者運動の始まりであり、終わりだったのだ。

 反排除を欠いた包摂は排除の後押し。背理なき研究は背理そのものである。

 包摂なき反排除もまたありえないことも知らなければならない。

 あれこれ考えるのは自分の都合であって、相手のことを考えていない。自分の中の相手を求める気持ちをそのまま表現する仕方を考えればいい。相手を必要としているのは自分であって、その気持ちが相手にとっても好ましく受け入れられる表現を選べばいい。それが相手の機嫌をうかがうものでもなく、押し付けにもならない落ち着きどころを探す。

 意図的でありながら意図をつめ込まない。そこにあるのは気持ちであって、気持ちだけが意図であることが望ましい。結局は相手との向き合い方の問題だ。自分の心だけをあいだに相手と向き合うことを可能ならしめる。

 難しいことはしなくてもいいが、自分を消し去ることが難しい。

2022年2月4日(金)

 簡単に書けた。5時頃に「あれ、後半部分に一文書き足せばいいだけじゃないの?」と思って目が覚めて、メモがてら修正しはじめたら、完成までこぎつけていた。なんということはなかった。

 釜ヶ崎の外へ。反排除の野宿者運動がもう一度輝きを取り戻すところが見たい。これまでのことは始まりに過ぎなかった。約束が果たされるのはここからなのだと思わせて欲しい。すべての排除に抗う人たちに。

 そのためには明日はどんな場であればいいのか。みんなが少しずつ力を出し合っていけば、現実は変えていける、一人ひとりが力を発揮していきたいと思えるような気づきをもたらしたい。そのために必要なものを僕たちはすでに持っているのだということを示したい。

 だから、「これだ」と思えるようなものを語りを引き出しながら探っていかなければならない。

 傷ついたまま、挫けてしまっているものを白日の下に。守るべきものはこれにあると示さなければならない。

2022年2月3日(木)

 明日の午後までにもう一捻りできれば一番いいけど、とにかくやるしかない。

2022年2月2日(水)

■釜ヶ崎の外へ

 最初と最後を決めておく。語り手たちは、それに沿って知りうるところ、語るべきところを語れば良いように。

 僕は自分を消して、自分がもっとも欲しているものを引き寄せることを考えればいい。

2022年2月1日(火)

 感性を研ぎ澄ませるとか、言ってたかな?

 はー、気が休まらない……。のどと胸の痛みは一向に良くならないし。

2022年1月31日(月)

 グレーバーはとても面白いことを言うし、その分析の切れ味は鮮やかだが、彼は誰のために語っているのだろうか。普遍的な原理としてのコミュニズム、アナキズムを前提としているとして、階層の質的な差異には無頓着である気がする。ある意味、差別をしない。

 言ってみればグレーバーは理想に向けて邁進するし、理想を即座に実現する戦略を取っている。しかし、それはやはりマスのための運動であって、マイノリティに関心がないわけではないが、どこかで最大公約数的な戦略を想定しているように思える。

 世界を理解する道筋が異なる。結局、グレーバーはフィールドを持っていない。フィールドはアイデアの源泉の一つではあっても、彼にとってのテーマを固定するものではない。あるいは、運動の現場が彼にとってのフィールドなのだろうか。そうすると、彼は人類学者というより、社会学者に近くなるように思える。

 何だろうか、この違和感は。グレーバーの言っていることは面白いが、彼の理想はそのままでは都市下層の人びとの理想にはならない気がする。少なくとも、彼の理想を鵜呑みにしてしまったら、僕は都市下層の人びとの理解を得られないように思える。

 グレーバーの理想を鵜呑みにして都市下層の世界を読み解こうとすると、肉薄しつつも肝心なところをとらえ損ねてしまう気がする。現象を読み間違えてしまう。絡まり合っているものの実態をクリアにとらえることができなくなってしまう。

 それは結局、個別性を損なうやり方だからだろうか。科学のあり方としてまちがってしまう。別にグレーバーがまちがっているわけではないのだろうけど、グレーバーを真似るのは正しくない。そこに解答はない。

 僕は自分のフィールドでの解を導き出さなくてはならない。個別的な事例を通して、その事例における真理をとらえなければならない。その説明の道具としてグレーバーを援用することはできても、理論的な枠組みとして頂くようなものじゃない。

 ホロウェイやブルジェールは個別性を持った世界や他者との向き合い方を説いているのに対し、グレーバーにとっては、世界とどう向き合うかは模索するようなことではない。

 まずは、とにかく何か一つ、「センターの日」の事例の中から、説明できるものを探そう。表面的な記録の背後にあるものを感じ取れるようにならなければ、お話にならない。

 目的や理想は忘れて、ただただ事例と向かい合う。深いところまで事例を理解する。そこから結果的に見えてくるもの、事例そのものが語ることを聞く。それが世界を見る意志であるということではないのか。

 僕はもっと感性を豊かにしなければならない。そんなことを、この一年考えていなかったか。

2022年1月30日(日)

 更新忘れた。

 グレーバーの『民主主義の非西洋的起源について』読んでる時は面白かったし、読み終わってからも面白い本だったと思うけど、アラン・カイエの解説、グレーバーによる付録、そして役者解説と読んでいるうちに、面白さの核心がどこにあるのか分からなくなってしまった。

 事例を文章化して行かなければ。結局そこからしか現状は打開できない。

 今、何を読めばいいんだろう。今日の研究会でもらったコメントを受けて、僕が知らなければならないことは何だろうか。社会的排除については丁寧に掘り下げていく必要がある。しかし、これは結局、反排除の基層にあるものを理解していくこと、この基層とのかかわりで整理していくことだろう。なら、これまでと基本的な方針は変わらない。

 グレーバーが集団内のパワーバランスのプリミティブな影響力に言及していた。これは国家が行使できる強制力(暴力装置)ともかかわる問題だろう。

 街が再開発されても、相変わらずそこに居続けるか、どこかへ移るだけで、排除された人たちがいなくなるわけではない。公園はむしろ排除された人たちがたどり着く場所の一つであって、大切なのは避難場所としての公園を守ることではなく、排除された人たちとどのようにして出会って、関係を形成していくか。場所は必要ではあるけど、副次的なものでもある。

 なぜそうまでして排除された人たちと出会おうとするのか。そこから新しい世界を作っていきたいと願っているからではないのか。新しい世界を求めているのは出会いを求めている僕たちの側であって、そういう意味で同じく排除にさらされている。ここでの排除とは何か。端的には資本主義であり、その表現として新自由主義やジェントリフィケーション、グローバリゼーションなどがあるのだろう。

 ホロウェイに寄せて言うなら、叫びをあげることともう一つの世界を創造することと、同時に考えることの意味を理解していかなければならない。

2022年1月28日(金)

 この期に及んで僕は何を苦しんでいるのだろう。結局は一人だからなのか。

 まだまだ足りないからか。良くはなっていても抜け出せていない。

 無料マンガ読んだり、SNSを見てしまうノリで新聞読めばいい気がする。

2022年1月27日(木)

「弱さを知っていると、いろいろなことを許せるようになる」「自分を許すために、人は優しくなるんだよ」

 弱さを受け入れず、乗り越えようとする強さは、弱さを認めない。しかし、弱さを受け入れることは、強くあろうとする自分ではないことを許すことであって、弱さを認めることとは違う。弱さを受け入れるところでは、優しさが必要とされている。優しさを生み出すために弱さを受け入れる必要があり、それは強さでは救われない者を救う道でもある。他者を救うために、自分の弱さを受け入れること、すなわち強くあろうとする自分ではないことを許す。そこに現れる優しさとは、相手のために自分を変えることだ。相手を思いやる心が自分自身の弱さを受け入れるところで両立する。

2022年1月26日(水)

 久しぶりに持ち直せた。

2022年1月25日(火)

 更新忘れた。しかし、いつまで経っても調子が悪い。

 コスモロジーか。

 野宿者支援の研究は『飯場へ』の文体では書けない。場面を切り取ってメタエピソード化する書き方はなじまないように思える。大谷大学の講演のために書いた文章のように、そうか、それこそ、講演のような文体が必要なのだろうか。

 ファビエンヌ・ブルジェール『ケアの倫理』面白い。

 この研究の目的はその、遂行される行為としての倫理を描き出し、とらえるところにあるのかもしれない。

 野宿者の声を、寄せ場労働者の声を聞くこと。どのような関係を以てその声が聞かれるのか。そこに構造的な接点を読み取らねばならない。

2022年1月23日(日)

 半歩遅い。

 踏み込むべきだったか。

 鍛錬が足りないな。

2022年1月22日(土)

 何もできない。疲労が出るとはこういうことを言うんだな。

2022年1月21日(金)

 まだまだ険しい道程……。

2022年1月20日(木)

 新聞読むのも楽しみであるような暮らし方がありうるのではないか。常に追い立てられ、焦っていることの不毛さ。

2022年1月19日(水)

 はー、眠い。ぐっすり眠りたい。

2022年1月18日(火)

 一山越えても相変わらずの山道か。

2022年1月17日(月)

 何かが変わってきたんだな。

2022年1月16日(日)

 アルコール抜けるまで観念してダラダラするか。

 気持ちの問題でもあるのか。忙しくても楽しみはあるべきことなんだ。そう思えるようになることも必要なのかもしれない。

 真理を語るのは知識ではない。知識が必要な場合もあるが、知識を操る技術が必要だし、知識や技術を選ぶのは態度、世界との向き合い方であり、センスだ。

 つかめてしまえば、それをどう語るのかに方法論的な必然はないはずだ。

 では真理とは何か。真理に実体は無いに違いない。それは世界との向き合い方によって現れてくるものであり、向き合い方を違えなければ現れてくるもの。そうして現れたものは、真贋を見定められるのではなく、対話に開かれていればいい。

 理論的に高度であるとか、技術的な水準が高いことで優劣が付けられるようなものではない。もちろん、言い表そうとする真理によって、理論的な複雑さや技術水準が必要となることはあるだろうし、それらを身に付ける努力であったり、使いこなす能力はあるに違いない。しかし、真理の優劣や真贋を色分けするようなものではない。

 世界に向き合う態度によって、真理も異なってくることになる。そこを考える必要はあるのか。

2022年1月15日(土)

 分かるとは何か。

2022年1月14日(金)

 バカなフィールドワークをした。成功も挫折もあった。最初から傷付くつもりでいて、そのくせ希望的観測で見切り発車をした。ようやく傷付き終えて、突き放そうというところまで来た。最初から突き放すつもりでのめり込んだ。今の状況で反排除の野宿者運動の意義を解明することには、それだけの価値があると思っていた。

 研究者であるとか、支援者であるとかいったところを越えてしまっている。きっと両者を矛盾なくつなぎ合わせることはできない。この社会には僕が収まれるところはない。僕自身がそうした社会を構想するしかない。

 僕が書くものはもう論文ではないのかもしれない。もちろん、論文の形式で書く以上は論文と見なされ、評価されるのだとしても、論文であることは手段であり、通過点に過ぎない。何のために何を書くか。新たな社会関係を作り出すためだろう。論文を書くまでの過程自体が、社会関係を作り出すことを通して行なわれる。すべては社会を構想する営みなのだと思わなければならない。

 誰かと同じことをする必要はないし、誰かと同じことはもうできない。ここからはそういう道を行くのだと思って、どのようにやるかを考えていかなければならない。

 これが自由か。

 必要なもの、欲しいものはみんな後からついてくるのかもしれない。しかし、もうそんなものにあまり興味を持てない。求めて手に入れられるわけではないものについて考えても仕方がないということもあるし、本当に僕はそんなものが欲しいのかと疑問に思えてしまう。

 自由になるのに必用なのは強さではなかった。信じたいだけの幻想に囚われていることに気付いたら、強かろうと弱かろうと、そこからはじめるしかない。自由はいいものでもなければ、悪いものでもなく、そうある限りでの最善の策なのだ。

 しかし、自由の内実はやはり個別的な経験だし、誰かに決められるようなものではない。そういう意味では、自由に向き合う態度の良し悪しはあるのかもしれない。自由に生きることを妨げるものが悪であるとしても、自由が良いものであるわけではない。ここで意味が取り違えられている。

2022年1月13日(木)

 道也者、不可須阿臾離也。可離非道也。是故君子戒慎乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫顕乎微、故君子慎其独也。
 道は須臾(しゅゆ)も離るべからざるなり。離るべきは道に非ざるなり。是の故に君子その睹ざる(みざる)所を戒慎(かいしん)し、その聞かざる所を恐懼(きょうく)す。隠れたるより見るる(あらわるる)は莫く(なく)、微かなるより顕か(あきらか)なるは莫し、是の故に君子その独りを慎むなり。
 道というのはわずかな間(しばらくの間)も離れてはいけないものである。離れられる道であれば、それは道ではないのだ。このため、まだ見ていない時に道を戒めて慎み、まだ聞いていない時に恐れて畏まるのである。道は隠れているように見えてもいずれは見えるものであり、微妙なものであってもいずれは明らかになるものであるから、君子は自分独りが知っている道についてそれを慎んで恐れるのである。 [引用元 https://esdiscovery.jp/knowledge/classic/china/thuyo006.html

 嵐をやり過ごす時間も必要だ。

2022年1月12日(水)

 立ち止まる時には道を見失っている。しかし、立ち止まらなければ道は続く。怯んでも道がなくなるわけではない。怯みながらでも歩みを止めないことが、弱くとも強さなのだから。

2022年1月11日(火)

 疲れることと、嫌でないこと。

2022年1月10日(月)

 時間がなさすぎる……。

2022年1月9日(日)

 結構大変……。

2022年1月8日(土)

 僕がやれば済むことと、やった上で待たなければならないこと、先の読めないこととがある。いつまでも悲しみに囚われていることもない。切り替えても大丈夫だ。

 悲しみに囚われている方が楽だということもある。自分で自分を慰めて癒しているのだ。しかし、そのような慰めも、もはや余計なのかもしれない。慰めが必要になるほど弱くもない。迷いながらも囚われずに道を開いて行けばいい。

 これもまた繰り返し考えてきたことだ。目に見えないものを見るためには、その道行きをたどる必要がある。歩むことが知ることをもたらす。

 歩むことは比喩に他ならない。歩むことは形を持たない。すなわち、行為の過程をたどらねばならない。気づきもまた歩みの中で訪れるにもかかわらず、気づきを求めて歩むことはできない。何事も囚われていては歩みを妨げてしまう。不安もまた道を成す。行為の過程は常に依代を必要とする。依代の良し悪しはあっても、依代がなければ歩むことはできず、依代は歩むことそのものとも言える。

 苦しみや不安、悲しみに意味はあるが、囚われてはいけない。また、囚われなければ道になり、苦しみでも不安でも悲しみでもなくなる。道を見失っている時は、苦しみや不安や悲しみに囚われているし、道を見出せれば囚われることもない。道を見つける術を身に付けることは、世界観を見出すことにつながるだろう。

 世界の入り口でうろたえていては話にならない。世界の入り口の前まで来ていながら、そのことに気付いていない。チャンスを求めてチャンスを台無しにしている。

 付き合い方、折り合いの付け方、やり過ごす知恵。輪郭は見えるものの際だが、輪郭が排除しているものとの境界であるかもしれない。

 気負い過ぎているのか。気負うことで疲れてしまう。気負わなければ疲れず、疲れなければ難なくできることまで困難にしている。

 上手にサボっていればいいということか。ここでいうやり方、知恵とは、サボっていると気に病まずにサボれるという程度のことでしかない。

 三年寝太郎。大力のワーニャ。

 ちょっと違うな。

 嫌でも、面倒でも、懸念材料があっても、準備が不十分だろうとも、やっていかなければ形にならない。もとより恵まれてなどいないのだから。

2022年1月7日(金)

 苦しくて苦しくて仕方ない際は越えたようだが、苦しさの気配は色濃くある。マシになっているうちに耐えることを覚えるしかない。慣れることであり、怯まないこと。守ろうとしても守れないことにエネルギーを割かない。耐えることに力を割かないことが、耐えることを容易にするということ。

 現在とはどのようにして成り立つのか。確かなものは現在しかないはずなのに、その現在も常に移ろう。過去だけが確かだなどとも言うが、その過去とは現在にあるものに他ならないし、実体を成したことがないし、成すこともない未来に比べてのことだろう。過去と未来にとらわれているがゆえに、現在を見失う。

2022年1月6日(木)

 日付け変わってしまっていた。

 何をどこから書き始めればいいのか。

 言葉にならない。言葉は出てくる前に苦しみに押し潰されてしまう。

 これからはこの苦しみに耐えられるようにならないといけないのか。実体のない苦しみが、もう一つの世界が落とした影であるなら。

 希望と絶望がごちゃ混ぜになった風景を崖っぷちで見ている。それがギリギリのところで判断するということなら、必要なのは怯んでも目を逸らさないくらいのことだ。

 苦しんでいるのに何と闘っているのか分からない。そう感じていたことも、ちゃんとつながっている。世界を見る意志となるとは、そういうことだ。

2022年1月4日(火)

 自分の力だけで闘おうとしてはいけない。

2022年1月3日(月)

 5分過ぎてた。

 すでに気持ちはしんどいけど、また頑張れるかな……。

 あー、つらい。

 そうだな。どうせどうにもならないなら、やれるだけやるだけだ。それはいつの時もできることだ。本当にどうにもならなかった時に考えればいい。そして、どうにもならないことなどない。手を尽くしたその時と、何もせずに迎えるその時とは違う。

2022年1月1日(土)

 2022年か。現実味がないなあ。

2021年12月31日(金)

 油断するとすぐさま風邪をひきそうだ。

 正月くらい休むか……。

 ルール作り、準備。

2021年12月30日(木)

 自分の周囲を見わたして、石油を原料とせず、石油を使って運ばれたのでもない物を探す。

 応用が効きそう。

 参与観察にしぼった社会調査法の授業というアイデア。

 感情・判断・行動のような組み合わせによる理解は他にも応用ができそうだ。

 研究も、理論と方法とデータの交互作用のようなものはあるだろうし、その目的はこの三つのどれかに引きずられたり、三つを振り切って到達しなければならないものだったりするのではないか。

2021年12月29日(水)

 少しずつ。

 感情と判断と行動。僕は自分の感情がどんなものかよく分からない時が多いから、その分、判断に時間がかかり、行動が遅れる。しかし、感情にしっくりくる理解を探り当てられれば、判断と行動のずれは少ない。

 感情の理解が早く、判断とのずれが少なく、行動に移すことに迷いがなければ、一連のプロセスも一直線に進む。それは刺激を受ける感情の部分が単純なのかもしれない。感じやすいがゆえに、複雑になる前に決着がついてしまうという言い方もできるだろう。

 もちろん、感情面と併せて、ある程度の判断力の高さもかかわってくる。感情と判断は相互のバランス次第で、通りの良いものにもなったり、繊細で複雑なものになったりもする。

 それなら僕は心を細くしておく必要があるのかもしれない。あえて心の方を単純化しておく。判断すべきことを絞っておく。どんなにバカげた行動になるとしても、心のままに判断することをルールとしておく。

 感情が単純だと堪え性がない。判断が複雑になり、形にするまでの間に耐え切れない。本当は判断を探る過程で心の方も変わっていく余地があるのに、行動につなげることを放棄し、その発端たる感情にこだわるのもやめてしまう。そう、そういう意味でも、確かに心は判断によって変わるものだと言える。

 僕はバカげた選択をして、それを実行しなければならない。行動自体にあまり意味はない。その行動を通して理解が進展する。判断と感情はそれぞれに影響されて形を変えつつ、しっくりくる場所を見つける。僕の場合、感情と判断と行動が連鎖して進まない。しかし、行動を先立たせる必要がどうしてもあるし、その時点では感情とも判断とも一致していないし、一致していないからバカげた行動になってしまうわけだが、行動すること自体が、あるべき姿に向けた運動を開始させるのだろう。

2021年12月28日(火)

 めまいがする。やはりサウナにいかなくてはならないのでは。

2021年12月27日(月)

 家の中にいても寒い。大丈夫か。

 なんか昨日の朝に更新しているあたりから気持ちが切り替わったな。支援の日常の場面から、意味を引き出していけるような気持ちになっている。

 つらい、しんどい。これまでとは違ったつらさ、しんどさ。

2021年12月26日(日)

 男であるとか、女であるとかいうのは、衣服のようなものかもしれない。

 ある人が「男に頼らないと生きていけない女」になっていたとしても、「女は男に頼らなければ生きていけない」わけではない。しかし、その人が「男に頼らないと生きていけない女」であることに、社会のあり方が無関係というわけでもない。

 その人がその社会における女性というポジションを割り当てられて物事の対処にあたる際に、男性であれば起こりえないような展開、男性であれば問題とはならないことが立ち塞がる可能性は考えられる。それがハンディキャップというものであり、ジェンダー・バイアスというものだが、当人にとって、それを理由としていい場合とそうでない場合がある。

 誰しも個別の不利を抱えているものだし、何かに恵まれている者もあれば、恵まれていない者もいる。それを承知で生きる時に、社会のあり方に適応して利を得る部分もあるし、社会のあり方に抗い、苦難を乗り越えて何かを勝ち取ろうという場合もある。それは個々人の選択の問題だし、選択肢はそれぞれの抱える不利やアドバンテージによって全くの別物になる。

 違うな。何か折り重なっているものがあるようだけど、この方向からは解き明かせなさそうだ。

 いや、違わないのかな?

 社会のあり方に抗って生きようとすれば、苦難を乗り越えられないこともある。弱気になることもあろう。

 社会のあり方は一つであるようで、一つではない。抗う者の挫折や弱気を見て、女であることを彼女の本質としたいのは誰なのか。本人がそのように意味付けする場合もあるだろうが、抗いと挫折を行き来するのが人の生の本来のあり方だろう。社会のあり方とかかわる問題となるのは本人ではなく、他者を本質化したい誰かの方だ。

 一人一人の胸の内に同じ光を点せるとしたら、ここにその途があるのかもしれない。

 もうそういうことにしてしまえばいい。己が己にかけている制限なら、無視してしまっても咎める者はいない。

2021年12月25日(土)

 もっと嫌な気持ちになればまたやる気になるだろうか。

2021年12月24日(金)

 仮眠した。身体バキバキだ。

2021年12月23日(木)

 ロキソニン効く。

2021年12月22日(水)

 そんなに簡単に壊れはしない。見失っても無くなりはしない。歩んだ分が無かったことにもならない。新しい道を歩きはじめるのに早いも遅いもなく、もう歩きはじめたばかりでもないのだから。

 しかし、これは覚悟を述べたまでだな。しんどい。

2021年12月21日(火)

 沈みそう。

2021年12月20日(月)

 裏切りも悲しみも、すべていずれ経験になるのだとすれば、今はただ苦しんでいてもいい。

 後に知るところによれば些細なことかもしれないし、思いのほか大事なのだとしても、やり過ごせるだけだ。

2021年12月19日(日)

 あと少し……。

 何をどれだけ背負っていると言えるのだろう。

2021年12月18日(土)

 休んでも休んでもマシにならない。

 それでも僕は乗り越えることを望んでいる。捨てるのはためらいであって、迷いながら進むことではない。意味は進んだ後に生まれる。いつも目の前には存在しない。

2021年12月16日(木)

 今日は特に言うようなことはないよ。

2021年12月15日(水)

 そうあるためには苦しみに分け入らなければならない。苦しみを受け入れながら、それがどうでもよくなるようなところまで行かなければならない。苦しみは、それそのものには意味はなく、そこにたどり着くために通り過ぎなければならない途に過ぎない。

 どのような苦しみにも意味はあり、その意味が退いていく高みに至るためのものであるなら、その意味をなくすためにこそ意味を帯びる。しかし、そのような意味は、苦しみを過去のものとして語る現在にしか存在しない。生きることの最果てがそこにある。

 その先に明るい未来があるのかは分からない。しかし、そうしなければ決してそうはならない。求めているのは未来ではなく、そうすることが即ち明るくなるような現在に他ならない。いつもそのような現在を求め、いつもそのような現在を期待していられる現在なのだ。

2021年12月14日(火)

 過去になった現在においてはじめて語り得るものを、現在において語れなくても、現在において肯定することはできる。それは関係を取り結ぶ行為によって可能になる。常に現在を肯定するし、現在においてしか肯定する意味がない。

2021年12月13日(月)

 抗いを現在形で本人が語ることはできない。その人が亡くなったあと、苦しみから解放された後に、それでも彼はそのように生きることを望んでいたのだ、という形でしか語れない。

 現在においては否定されざるをえず、それが過去になった現在からはじめて語ることが可能になる。抗いの形は何も変わらないし、もはや手遅れとしてしか語れない。

 本人になり変わって、他者が語るしかないようなものなのだ。

 自分の気づきが気持ち悪い。気付いた事実が気持ち悪すぎる。

2021年12月12日(日)

 やる気は出たが疲れた。

2021年12月11日(土)

 ダメだ。削除削除。

2021年12月10日(金)

 その場限りの満足に浸ってはいられない。僕はこの場にとどまっていることはできない。少しでも歩みを進めることしかできない。

2021年12月9日(木)

 どうせもともとそうだった。もともとそうしたかった。そのようにしか生きられないようなことを目指したし、そのように歩んできてしまったのだから、そのようにしか生きられない。

 自分が物事を考えることだと思っているように考えるようにしよう。その先に開けるものを信じるような考え方をしよう。それが他のどんな誰かにとってまちがったやり方であったとしても関係ない。

 これから〈現金〉について考え、〈現金〉を研究のテーマに据えるとしたら、下層労働者のものとしての〈現金〉仕事としてではなく、〈現金〉仕事が組み込まれた職場そのものを分析の素材としていくべきだろう。

2021年12月8日(水)

 昨夜は早めに寝たのに、いつものように眠い。バッテリーが劣化しているような身体性。

2021年12月6日(月)

 もう思い悩む必要などないのに、一向に気持ちが落ち着かない。

 やることが多すぎる、やりすぎということは一つあるかも知れない。あとは何だろう。解きほぐしていく余地がありそうに思える。

 なんか違うな。

 やりたくないこと、やらないといけないことはわりきって、やりたいことをどんどんやっていけばいいのに、結局そんな時間も余裕もないだけか。

 まず休むべきなのでは。

 一仕事終えて疲れてるのに、無理してすぐに次の仕事したりするはおそらく良くない。

 なんかもう休むっていうのがどういうことなのか分からなくなっている。

 切り替えが必要なのかな。何もできない時期は何もできないと割り切って、無理しない範囲でやりたいことをやって過ごしたり、一仕事終えたら、次の仕事まで2時間休むと決めたら2時間は仕事のことは忘れてやりたいことをやるとか。

2021年12月5日(日)

 本格的に調子悪いな。

2021年12月4日(土)

 あらら、やはり酒が入っているところは違和感がすごい。

 なんか、ただ歩きたいな。

 やりたいことをやるだけだ。やりたいことをやれるはずだ。

2021年12月3日(金)

 気が狂いそう。

 人と違うことを考えるということは、どこからでもできる。その価値は自我を捨ててこそ。

2021年12月2日(木)

 昨日、眠りかけでiPhoneを手に取り、更新していた。

 思考する部分を残したまま自我を消したと言えるのか。あるいは、自我を消した状態で思考は可能になるのか。思考力とは、どこから出てくる力なのかといったことを考えていた。結論から言えば、思考力だけはどこかで働かせなければならない。というか、最後に思考力と思考をめぐらす意志だけは残さなければならないわけだが、それはどんな状態なのか。

2021年12月1日(水)

 病み上がりしんどい。

 自分を過信しない。いずれにせよ無力であることを知らずに執着することこそ、何の力にもならない。

 自我を消してしまいたい。自我を消した上でなお思考をめぐらすとはどういうことであるのか。

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