過去ログ
2023年1月-2023年3月

2023年3月30日(木)

 関係のパターンを壊していくためには、関わる人間の数を増やし、別の文脈の影響力を重ね合わせて、強めていく必要がある。

2023年3月29日(水)

 風邪ひいてるのかな。

 お互いに他人のダメさを隠れ蓑に自分の欠点と向かい合わない人たちの集まり。

2023年3月25日(土)

 めんどくさい。

2023年3月22日(水)

 声をかけられた以上、行くか行かないかのどちらかしかない。行くことを選んだだけの話だ。

2023年3月21日(火)

 あー、調子悪いなー。何でだろ。

2023年3月19日(日)

 大阪城公園に現れる「変人」の話。変人録で公共空間に関する論文が一本書けるんじゃないか。釜ヶ崎も敷衍するのともできるかもしれない。

2023年3月18日(土)

 終わりの始まりか。

2023年3月16日(木)

 花粉症でしんどい。

2023年3月15日(水)

 何も変わっていない。手繰り寄せてきたものはある。これを形にしていくだけだ。最初からそんな道だったのかもしれない。

2023年3月12日(日)

 『大衆演劇への旅』ようやく読み終えた。どこから手をつけていいやら。

2023年3月7日(火)

 トコジラミはなんとかなりそうなのかな。

2023年3月4日(土)

 うーん、それでも疲労の色は濃いようだ。

2023年3月3日(金)

 耐えがたい。

 他人は変えられなくても自分は変えられる。自分を変えられるのは自分だけ。それなら、この状況にあっても僕は自分を変えて対処することができるはずだ。

 そのために自分がどう変わればいいのかを見定めなければならない。

 あるいは、すでに変わろうとする過程として現在をとらえるなら、引き続きその道を歩まねばならない。苦痛であることが避けられないことなのか、対処をまちがえているがゆえなのかを見極める必要がある。

 判断はまちがっているかもしれないが、解釈はまちがっていないはずだし、他の誰もこの理解はできていないだろう。他人に相談しても、他人はそもそも判断の前提すら用意できない。

2023年3月2日(木)

 物語る力は人によってさまざまで、語りたいことも異なる。語りたいことを、自分の力量の範囲でいかに語り切るか。

 語り切らなくてもいいのか。自分の力量の範囲で、満足のいく形で、満足のいく範囲まで十分に語れるか否かが問われる。

 そこには他人の評価というものもかかわってくる。形にする以上、他人に受け入れられるかどうかが問題になる。自己評価と外部評価。ありうるだろう外部評価を想定すれば、それも自己評価に含まれる。他人を納得させられるだけの水準に達しているかどうかを判断できるように、内省できていなければならない。

 もっとも、そういった内省の有無を超えて、絶対的な外部評価を受ける場合もありうるだろう。

 少しずつ受け入れて変われるように、苦しみの形も変わっているのかもしれない。

 何度繰り返し思ったことか。そういうものが、この何年かでぐっと増えた。でも、これはその前から思っていたことだ。

 フィールドワーカーは一人で世界と向き合わねばならない。そこから世界を見る意志であるという認識につながったのだろう。

 不完全で簡単に壊れる世界に向き合えることが希望であるように、エスノグラフィーはその成果でなければならない。なぜなら、エスノグラフィーは書き続けられるものだから。その意志がなければ書くことができない。

 過去を現在の視点でとらえかえそうと試みること自体が未来を想定したものだし、それを形にしようという事自体が書き上げられた後の読者を想定した行為だからだ。

2023年3月1日(水)

 裏切り。そんな気持ちを知れたのだと思えばいいのか。ひとの心を踏みにじって、その先どんな生き方ができるというのか。

2023年2月28日(火)

 バカバカしい。

 バカバカしいけと、そんな子どもじみたことに僕もなじんでいたし、子どもじみた部分を誰しも持っているものだ。ただ、その扱い方が子どもと大人では違うのだろう。

2023年2月24日(金)

 そんな難しいことなのかな。

 やはり、態度をはっきりさせるのが1番の早道に思える。うろたえない。

2023年2月22日(水)

 易経の思想もまた、どこか神秘学ぽくもある。節操はただ己に対して弁えていればいい。何もひけらかすものなどないし、現れぬものでもない。

 そうか、賁の上九、白賁でいいんじゃないか。

2023年2月21日(火)

ケイは間違えない。頭が良いからではなくて、優秀だからではなくて、何も忘れないケイは、自分自身の正しさを決して失うことはない。だから間違えない。

 大切なのは、表面的なことではなく、貞しさを失わないこと。かといって見た目も疎かにしてはいけない。貞しさが行き届いていれば、飾りも乱れることはないのだから。

2023年2月20日(月)

 ややこしい……。とことんややこしい。

2023年2月18日(土)

 「センターの日」をやる時にいつも感じる負担感の正体を見極める必要がある気がする。

 もちろん、それは「何か意味を見出さなければならない」という目標と、その日その都度の「センターの日」がその答えとなるわけではないことのずれなのだろうから、実は正体など分かりきっているのかもしれない。

 これが負担感になるとすれば、この負担感と折り合いをつけられるようになることが、すなわちこのフィールドワークの答えを出すことにつながっているのではないか。

 カープマン・トライアングル。カープマンのダンスの三角形。

 救済者、被救済者、協力者といったところか。

 待てないのは僕も同じなのか。待つだけでいい局面で、ただ待つことができない。

2023年2月17日(金)

 誰しもが正しいことをしたいと思っている。善意を出し続けることはできないけれど、持ち寄ることはいつでもできる。

 フィールドワーク論ねぇ……。

2023年2月15日(水)

 こんなことを繰り返していては、いつまで経っても変われない。自分を変えられるのは自分だけ。状況を変えられるのも自分だけだ。

2023年2月14日(火)

 それが超感覚的世界の知覚か。もともと僕が求めてきたものが、まさにそれなのかもしれない。そういう意味での科学的認識の理解というわけだ。

 実際、シュタイナー自身も最初からそう言っているじゃないか。

2023年2月12日(日)

 いよいよ目的地へ向けて走り出したい気持ちなのに、なかなか走り出せずにいる。

2023年2月11日(土)

 木曜日の夜に書いたことは考えすぎだったということになる。しかし、その時に抱かれていた不安は本当だし、その不安と向き合うためには、ああいうことまで考えなければならなかった。

 場合によっては過剰な言葉を、結果的に空回りに終わる経過と重ね合わせられるようになって、ようやく語り得ないことが何だったのかが明らかになる。対応のあり方としてはまちがっているけれど、やり方はまちがっていない。

 避けなければならないのは、失敗することではなく、失敗を恐れて、先回りして結論を出してしまうことだ。これがすなわち「語り得るようになる時まで語らないこと」なのだろう。

2023年2月9日(木)

 まだ何も起きていないのに決めつけてはいけない。語り得ないことを語ろうとするなら、語るべきでないことを語らないこともできなければならない。

 語り得ないことは、現在では語れない。語り得るようになる時まで語らないことを覚えなければならない。たとえ語り得る時に至ることはないのだとしても、決して語ってはいけない。その意味だけは理解しておかなければならない。

 何を語るかだけを考えていては語り得ないことがある。

 フィールドワーカーはいつも過去を生きている。この現在が過去になり、語られるようになるために今を生きている。だからフィールドワーカーは常に語り得ないものを抱えている。

 エスノグラフィーをまとめる時、やはりフィールドワーカーは過去を生きている。今書かれているものは過去にならなければ読まれることはない。

 現在はいつも読み手に委ねられている。

 あるいはフィールドワーカーの生き方は常にエスノグラフィーなのかもしれない。フィールドワーカーは鏡にならなければならない。フィールドを理解し、フィールドに溶け込むとは、目の前にあるものを歪みなく映し返すことなのだとすれば、フィールドワーカーは常にエスノグラフィーであろうとする試みを生きている。

 ただし、その鏡は、鏡でありながら、他者であることの意味を弁えておかねばならない。その意味は受け手に委ねられているというわけだ。

 もとより、何を映し出してもエスノグラファーにその責任はない。鏡に映るものが美しくても醜くても、鏡が美しいわけでもなければ、鏡が醜いわけでもない。鏡はただ鏡として美しくあれば良い。

 フィールドワーカーには世界を見ようとする意思だけがある。フィールドワーカーはただ世界を見る意志であれば良い。鏡に意志はなくとも、そこに鏡があることで意味を帯びる。しかし、フィールドワーカーが鏡であるためには自らその理解に身を捧げなければならない。ゆえにフィールドワーカーは世界を見る意志であり、鏡なのだ。

2023年2月7日(火)

 生きていれば、こういうこともある。

 これまでも、これからも。

 形のあるものが残るか残らないか。そんなことは大して問題ではない。依代がなければ魂は宿れないが、魂をなくせば抜け殻しか残らない。

2023年2月6日(月)

 ゆううつと言えばゆううつだが、いずれにせよ、大したことではないのではないか。結局は無理筋の脅しをかけてきているだけなのだと分かっているのだから。

2023年2月5日(日)

 ゆううつと言えばゆううつだが、向き合うことが次のステップへ向けたものだと考えれば、悪いことではないだろう。

2023年2月3日(金)

 身体がガタガタだ。

2023年2月1日(水)

 ふー、つらい。

2023年1月30日(月)

 ドラマチック。

2023年1月29日(日)

 人は排除する。排除される。境界を引かなければ生きられない。

 それが宿命なのだとしても、それが結論ではない。誰も最後の最後にどうなるかなど、予測もできない以上、引き受けられない。

2023年1月27日(金)

 気持ちは割り切れない。それでいいのだろう。少なくとも、僕はそれを引き受けていける。

2023年1月26日(木)

 つらくないわけがない。

2023年1月24日(火)

 これが初めてではないということは大きいな。

 そうか、バカ正直にではなく、あるがままに受け止めることができれば、それほど大変なことではないのか。

2023年1月23日(月)

 理屈を超えている。超感覚的世界の知覚?

2023年1月22日(日)

 もとより主役となるためにいるわけではない。

 平常心かな。安定していること、安定させることは、概ね正しさを見極めることに寄与するだろう。

2023年1月21日(土)

 扱いやすくもあるのか?

2023年1月20日(金)

 語り得ないこと、語らない方がいいことがある。いったん語ってしまうと、そうとしか受け取られなくなってしまう。それが単純な事実であったとしても、その単純な事実に回収されてしまうリスクを考えれば「語り得ない」といったケースもあるだろう。

 あるいは、本人の中でも、そのような単純な事実に縛られて、別の考え方を説明する言葉を引き寄せられなくなってしまうということも起こりうる。「語り得なさの構造」のようなものを明らかにする必要があるだろう。

2023年1月19日(木)

 誰かのせいにしないこと。自分のせいとも考えない。問題を解決するためにできることだけを考える。一人ひとりが少しずつ、そのように変わらなければならない。

2023年1月18日(水)

 これ以上どうにもならないというところまで行かないと、次の道は定まらないか。

 社会学者が心理学に従うわけにはいかないし、フィールドワーカーにはフィールドワーカーの闘い方があるはずだ。

 フィールドワーカーとして生きた時間が、そうでなかった時間を超えるのが今年なのか。

 語りえないもの。

 言葉に縛られながら言葉の力に賭けるなら、語りえないものをものせねばならない。

 異文化。

 分かり合えないもの。決して分かり合えない。それでも、目の前の他者を受け入れたいと思う。受け入れるためには、分かり合えないままに、信じることだ。報われることなどないかもしれない。それでも、未来を投げ出す覚悟で臨めるのは今だけだし、過去も現在も今にしか存在しない。

2023年1月17日(火)

 小集団を対象とした紛争解決に社会学は役に立つだろうし、それはシンプルに臨床社会学そのものだろう。

2023年1月16日(月)

 何が引っかかっているのだろう。

2023年1月15日(日)

 すべてはあるべきところに。

2023年1月14日(土)

 うーん、何だろう。

 すべて越えていくしかない。2年経ってその力も蓄えた。

 目の前には世界と自分しかいない。振り返ったところに社会があるとしても、今は振り返る時ではない。

2023年1月13日(金)

 感情的で自分勝手で、矛盾だらけなのに愛さずにいられない。結局、自分も同じように矛盾している。

2023年1月12日(木)

 調査設計というのは「自分がどういうつもりでそういう調べ方をしたのか」を説明するためのもので、実は主観をもっともらしく客観視したものにすぎない。

2023年1月10日(火)

 なんだか僕は一人でがんばっているな。

 どうせ誰も読まない原稿を心を削って書いている。しょせん自分のことしか考えていない愚かな人たちのために、いつまで僕は。

2023年1月8日(日)

 うーん、しんどい。

2023年1月4日(水)

 吉ってそういうことなのかな。

2023年1月3日(火)

 今年も大変な年になりそうだ。

2023年1月2日(月)

 はー、帰ってきたー。

 逆転移だったな。

2023年1月1日(日)

 なんとかいい年が迎えられたか。

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