2024年11月29日(金)
ぜんぜん良くならない。
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良くなった。メンタルの割合がどれくらいあったのかは分からないけど、異物感のような影響力。
2024年11月25日(月)
体調崩した。休み台無しだった。
まあ、ずっと休めてなかったから当たり前だし、ようやくフェイズが変わったということかもしれない。
2024年11月23日(土)
無理なことを引き受ける個体がいることが進化の向かう先なのか。
自分の力を最大限、最適化された形で発揮しようと思えば、最前線で思考の限りをつくすことだ。
どうしたって限られた力を最大化しようとするなら、ふだんは経験則で引き出している力を想定外のところで使えるようにしなければならない。
そうしている瞬間的な個体数が限られるのだから、張り合えるものではない。
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それが僕がフィールドワークを通して手に入れたいと願っていた力の正体か。
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もっと前、自由とは何か。
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フィールドワークをはじめた時にそんなことまで考えちゃいなかった。フィールドワークはあくまで想定外の扉を開くための鍵であり、そこを探索する機会でしかなかった。
ずいぶんと辛抱強く、融通が利かない。
2024年11月20日(水)
やり過ごしながらやっていくことのレッスンか。
2024年11月16日(土)
そっか。発達障害の理解や対処の枠組みは、一般的な社会適応のヒントにもなるはずなんだ。
2024年11月15日(金)
ちょっと休むか。
2024年11月10日(日)
あやまちは許されないかもしれない。しかし、物事は何もかも変わっていく。変えようとする意思と変わっていくことがなければ、辻褄が合うこともないだろう。
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深く真理のありかへ潜っていこうとする意志と、食いぶちを手にしなければならないという現実と、それもまた両輪でなければならないという真実。
これまでとは違う部分と、同じことを繰り返してしまいそうな危うさとがある。自分の中にある力を最大化することと、これまで欠けていた部分を埋めていく作業とを同時並行で進めなければならない。
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それを解き明かす力があるか。描き切る力量を得られるか。それだけの話だし、試みない道はないのだから、そこに注力することにしか可能性はない。また、それと並行してとしてしか現実的な解決の糧も得られないだろう。
2024年11月9日(土)
敬語や謙譲語など、社交的な言い回しを使うのが面倒くさい。面倒くさいというか、嘘っぽく感じられてしまう。嘘っぽくても使っておくのが世渡りというものなのだろうけど。
警戒心が低い、親しみを感じすぎる、お人好し、みたいなことでもあるのだろう。
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iPhoneでフリック入力して記録を取る。アウトプットとしては問題なくても、インプットとしてはうまくいかない。つまり、話を聞きながらメモをとっておくような場合。
講演やインタビューの傍聴をしながら、その内容を記録していく作業はインプットのようでアウトプットの作業をしている。聞いた内容を自分なりに理解したものを表現しているわけだ。
それに対して、自分自身が話をしていたり、聞き手である場合、インプットとまで言わなくとも、後で処理するための覚え書きとしてメモを取っているので、アウトプットしていない。この場合、フリック入力は思考を邪魔してしまう。
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アイデアの出し方。ひらめきが起きる時の脳の作用。ひらめきが起きるような状況の管理。何かをしている時に思いつく。それはインプット作業なんじゃないか。インプットしている時に、ふと考えが整理される。インプット中の情報に触発されてひらめきが起こる。そのひらめきは必ずしもそのインプットの初発の目的とは異なるものかもしれない。しかし、ここで重要なのは、ひらめきが起きる状況の理解であり、いかにしてその状況を作り出せるか、管理できるかということだ。
書くことはどういう状況だろうか。自分自身に問いかける。問いそのものがインプットになる。問いを連ねることがインプットの過程になり、ひらめきが起こり、アウトプットしたものが同時に問いを触発し、インプットとなる。
何か書くということ、手書きするとか、フリック入力することが、そういう脳の部位のスイッチを入れているのかもしれない。これがタッチタイプだとあまりうまくいかない。ローマ字入力でも、1〜2回「キーを叩く」ことで文章を作成できてしまうと、アウトプットしている感じがない、脳を刺激しないのかもしれない。
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そして、こういうフローに入ることが僕にとっては快感なんだな。だから続けられる。
これを対面的なコミュニケーションでも働かせられれば、うまく乗り越えられる場面というのはあるんじゃないか。インプットとアウトプット、ひらめきの発生、手書きないしフリック入力という動作。これらが対面のコミュニケーションの状況では、どう配置され、何がトリガーとなるかを知る。
あるいは、対面のコミュニケーションの状況で求められているのは、このようなものではないのかもしれない。
考えられる操作としては、問いかけというのがあるかもしれない。ひらめきが起こらず、アウトプットが用意できない問い、インプットそのものを変えさせる。
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だまし絵か。だまし絵として作られているわけではないが、だまし絵のようなディテールの上に構造が見出されるということはあるだろう。そして、だまし絵構造を上書きするような形で神話体系が書き込まれて独立するといった経路があってもおかしくはない。
依代は意味にあふれていても、依代に意味はないというわけだ。
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関わらないと興味がわかない、理解も進まないというのも、この辺の脳機能の機序との関係で説明できるかもしれない。
ポイントは「インプットにさらされる状況をいかにうまく作るか」だろうなあ。きれいにパッケージされた取り繕った情報だと、まったくひらめきが刺激されないのか。
2024年11月8日(金)
体調悪いとイライラすることに気づく。イライラする状況では見知らぬ他人も同じようにイライラしていることに気づく。
電車内で読書に集中できない時は余力がない。
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世界の読み解き方には筋がある。その筋による理解が合っているかどうかを確かめるために、知識を求める。
この時、検証はすべて頭の中で行なわれている。
フィールドワークの時はどうなのだろう。フィールドワークの時はそもそも、何も分からない状態からはじまっている。筋そのものを見つけ出そうとしている。
フィールドワークの中で筋を検証する操作をすることもできるだろうが、そんなことをフィールドワークでする意味がないわな。
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うーん、なんかいろいろ分かりすぎて、よく分からなくなってきているな。
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自分のバカ正直さを信じるしかないか。そこから立ち上げられるものの強度を武器にできるように。
2024年11月7日(木)
体調不良はいらぬ懸念を呼び込むようだった。
2024年11月5日(火)
イライラしているのは体調が悪いせいばかりではないのか。
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危険だな……。
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