怠け者の社会学

おわりに

 2009年の8月から書き始めた『怠け者の社会学』ですが、ようやく完成にこぎつけることができました。

 この読み物は2本の論文の内容を含んでいます。前半に書いたことをベースにして1つ論文を書きました。2本目は後半に書いたことと内容的に同じものですが、最終回(第15回)を書く前に論文の方を先にまとめることになりました。そのため、論文完成後に最終回を書きました。

 以前の『日雇い労働者のつくりかた』というのは、論文を書く前段階として、論文としては書けないようなエピソードを拾い上げ、解釈を深めるために書き始めたものでした。実際の経験を元にした問題意識を育てるために書いてみたといった方が適切でしょうか。

 しかし、今回は論文を書くためにこれを書きました。僕が言いたいのは「労働現場で『怠け者』が作り出され、排除されている」という単純なことでした。そして、これは僕の調査の経験から充分に説明可能だと思っていました。ところが論文を書こうとすると言葉が出てこず、『日雇い労働者のつくりかた』のような書き方をすればまとまるのではないかという苦肉の策で取り組んだのです。

 続く論文でも書いていく手掛かりとして『怠け者の社会学』を利用しました。ところが、この2本目の論文ではまったくゴールが見えていませんでした。1本目の時点でもある程度手探りの部分があって、その手探りの「もがき」や「迷い」が「別に読まなくていい今回の独り言」というコーナーに現れています。何せ手探りですから、舞台裏の「ゴミ」も念のため取っておく必要がありました。もっともそんなものは公開する必要のないものです。僕はなぜこれを公開したのでしょうか。

 ある程度自分を追い込む意味もありましたが、実際のところ、僕は「書きながらでなければわからない」人間だからだと思います。『日雇労働者のつくりかた』はレクチャー形式なので「分かったような顔をして」書かなくてはなりません。しかし、今回僕はあまりにも分からない状態でした。レクチャー形式でやる方法論的な有効性を見込んでのことでしたが、あまりにも分からない状態で「分かったような顔をして」書くのはしらじらしいので、「実は迷っています」という痕跡を残しながら書くことにしました。

 こういう「迷い」の部分というのは舞台裏のもので、プロとして「見せるべきではない」ものかもしれません。もちろん僕も論文にする時にはこんなものは欠片も見せません。しかし、それは論理の一貫性を提示するためには余計なものであるからであって、果してこれは「見せるべきではない」ものなのでしょうか?

 僕が通常やっているような解釈を広げて厚みを持たせて説明していくようなやり方では、解釈の可能性はいくらでもあるわけです。必然的に自分が書きたいことに反するような解釈やエピソードは切り捨てていくことになります。解釈の方向を絞っていく背景にある「迷い」の部分は実は解釈の妥当性を判断するための材料の一つだと言えます。

 「迷い」の部分までさらけ出しておくことで、いい加減な解釈をしてしまう危険を潰しておきたいというのが「別に読まなくていい今回の独り言」のコーナーを設置した意図でした。もっとも最初の時点でそこまで考えていたわけではありません。肩に力を入れずに想像力を広げつつ、しかし解釈は慎重に行なっていくためにはこのような仕掛けが必要だと薄々感じとっていたということでしょう。

 論理的な文章には無駄な言葉が入っていてはいけませんが、論理的な文章を組み立てていく過程で書かれる言葉の中には、完成した文章の中には含まれていないものの、必要な言葉があるのではないでしょうか。書きながら考えること――書くことが考えるということであり、とにかく書いてみるというやり方を方法論として確立しようという野望も別のところにはあったのです。

 ところが、とにかく書いてみるだけではやはり限界がありました。2本目の論文を完成させるためには書くことを中断し、大枠のところで発想を飛躍させなければなりませんでした。「書きながら考える」ほどの時間的な余裕がその時すでになかったという事情もありました。

 『日雇い労働者のつくりかた』(のようなレクチャー)形式が有効であるのは「すでにある程度理解できているにもかかわらず、どうやって説明すればいいのかわからない」という場合までで、「全く分からないけどとりあえず書いてみよう」ではどうしようもないようです。それでも最終回直前までに書いたことは論文に組み込めていますので、全く役に立たないというわけではなさそうです。やはり方法は道具に過ぎませんね。

 『怠け者の社会学』はこれでおしまいです。今回は議論がマニアックすぎてろくに読者も獲得できなかったようですが、どっかで何か火がついたら面白いと思います。最後まで読んで下さった方は本当にありがとうございました。一緒に考えるという営みを続けていきましょう。

 最終的に論文になったものは以下の書籍と雑誌に掲載されています。『怠け者の社会学』との異同に興味がある方はご参照下さい。

1)『ホームレス・スタディーズ――排除と包摂のリアリティ』(青木秀男編、2010年、ミネルヴァ書房)

2)『理論と動態』3号(社会理論・動態研究所、2010年)