フィールドワーク論
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第3回 『残響のハーレム』を読む ◼︎一人称で書かれたエスノグラフィー 参与観察をベースとして書かれたフィールドワークの成果を見ていく第2回目として、今回は中村寛さんの『残響のハーレム——ストリートに生きるムスリムたちの声』を取り上げたいと思います。 本当は、順番を考えると『ストリート・コーナー・ソサエティ』の次は鵜飼正樹さんの『大衆演劇への旅』と思っていたのですが、何となくこっちを先にした方がいいかなという気がしたので、そうします。 なぜこの本を選んだのかなと思いましたが、多分、この本が自分目線の文体で書かれているからです。 鵜飼さんの『大衆演劇への旅』も自分目線で書かれているのですが、こちらは「日記」というわりと分かりやすい「形式による縛り」が付けられています。「日記」なので、言ってみれば「無駄な記述」も含まれているし、「無駄な記述」が含まれていない日記というのは考えにくいです。 そもそも「無駄」というのは、目的をはっきりさせたところで「切り捨てられる」ものとして作り出されるものです。目的は著者が設定するものですが、読者と共有されねばなりません。 正確には、共有可能なものが見出さなければ、読者は作品を読むことができません。著者は、読んでもらうためには、共有可能な目的を想定しながら作品を仕上げねばなりません。 もっとも、著者の中で目的がはっきりしていなかったり、探り探り書き進められる場合もありえるでしょう。その場合、読者は、その紆余曲折に付き合いながら、読者自身も目的を探りながら読み進めることになります。 そして、最終的に「はっきりした目的などなかった」あるいは、目的を探りながら読むプロセスを経て、最終的に見出したものが、「その読者にとっての目的であった」となることもありえます。 いずれにせよ、記述に主体を織り込むなら織り込むで、その必要性を意識しておく必要があります。なぜなら、どのような著作物であれ、そこに制作主体がいることは当たり前だからです。 ■ハーレムのフィールドワーク まず、どんな本なのかを簡単に説明する必要があるでしょう。 ニューヨークにハーレムと呼ばれるアフリカ系アメリカ人の居住地があります。そういえば『ストリート・コーナー・ソサエティ』のコーナーヴィルもちょうどそんな場所でした。 著者の中村寛さんは人類学者で、2002年の11月から2004年の秋までの約2年間、ハーレムに通いつめて見聞きしたことをもとに、この本は書かれています1)。 調査当時の2002年というのは世界貿易センターに飛行機がつっこんだ「同時多発テロ」の直後で、ハーレムのイスラム教徒の黒人たちを取り巻く状況は緊迫していたものと思われます。 また、同じ黒人ではあってもニューカマーのアフリカ人が大量に流入してきたり、再開発(ジェントリファケーション)によって、ハーレムの黒人たちは、そうでなくとも大きな変化に見まわれている真っ最中だったようです。 この本では、主に六つの章に分けて、著者がハーレムで出会った人びと、経験した物事についてまとめられています。 マルコム・Xの暗殺犯として濡れ衣を着せられ、22年間刑務所に入れられていたという男性、坂上田村麻呂が黒人だったという説を唱える人物など、びっくりするようなエピソードとともに、彼らを取り巻く状況が紹介され、そこからの気づきが分析されます。 ほかにも、ハーレムで起こった黒人への襲撃事件、コロンビア大学のキャンパスのハーレムへの拡大、地域の教育活動の事例などを、日常の出来事とからめながら、考察を深めていきます。 基本的な視点としては、ハーレムの黒人たちがさらされている、日常的で不可視な暴力を、歴史や社会構造を意識しながら読み解いていくというものだと思います。 この本の最後に設けられた「補章」の中で、中村さんは以下の三項目の関係を見ようとしたと述べています。 一、かならずしも明確に言語化できない暴力 本書の知見をここでくわしく紹介することはできませんが、キーワードの一つは「アーカイヴ」です。アーカイヴとは、大規模な記録や資料のコレクションのことを言います。 国家が危険とみなしたものを監視するFBIという組織があります。黒人たちの運動は長年、FBIの監視対象とされており、蓄積された監視記録は膨大なものになります。 本来、そうした記録は監視対象が危険な存在であるかどうかを確認するために集められるもので、対象の一部を切り取ったものに過ぎないはずです。 ところが、アーカイヴは次第に、対象について判断する根拠として用いられるようになり、膨大なものであるといっても、断片的なものに過ぎないはずの情報から、国家にとって都合のいいイメージが作られ、事実のように扱われていきます。 しかも、どのような根拠をもとにどのようなイメージが作られているかは、勝手にイメージを作られる側は知ることができません。 実は、こうしたことはいろんなことについて言えます。歴史というものにしても、断片的なものでしかない記録や資料を根拠に作られるものだし、歴史を作ることができるのは、一部の特権的な人たちです。 「歴史を作る」作業は、学術的な約束事にのっとって行われなければならず、専門家ならぬ人びとはそこから排除されているし、記録や資料を持たない人びとの歴史は語り得ないものになってしまいます。 このようなジレンマについて、フィールドでの経験をきっかけに議論をふくらませたり、あるいはその経験自体を根拠に組み込みつつ解き明かしていくところに、本書の魅力があります。 ■参与観察へのこだわり この本も、ホワイトと同様、徹底した参与観察(フィールドワーク)へのこだわりが見られます。インタビューではなく、参与観察でなければとらえられないものをとらえたいという志向があります。 諸個人のあいだに存在する差異だけでなく、ひとりの個人の内にある矛盾や葛藤、齟齬、ズレ、歪み、亀裂、温度差、アンビヴァレンスをも見る必要がある、そう僕は思ったのだ。しかしこれは、たとえばインタビューやアンケート調査によってはほとんど見えてこない。なぜならばインタビューやアンケートという形式そのものが、あるいはそこで発せられる問いそのものが、すでに一貫した自我による一貫した「解答」を前提に成立することが多いからだ。[前掲: 421] つまり、そこで生きる人たちには、何らかの息苦しさのようなものとして意識されていても、語ることのできないものがあります。 その語り得ないものをとらえるためには、実際にそのようなことが起こる状況をデータ化する必要があり、それができるのは参与観察というまどろっこしい方法なのです。たとえば、中村さんも「あとがき」で次のように書いています。 本書を通じてこだわった点があるとすれば、個人の経験である。どれだけ知り合う人の数が少なくても、その人たちと根気よくやり取りを重ねようと思った。幅広く知人を増やし、ネットワークを築き、膨大な人数を対象に調査するというのも、ひとつのやり方かもしれない。けれども、それとは異なる方法を試したいと思った。できるだけ小さな規模で、じっくりと時間をかけて付きあい、行動をともにするなかで出てきたエピソードを書き留める。いわゆるフォーマルなインタビューもなるべく避け、会話を連ねる。場合によっては会話すらせずに、ただ一緒に過ごした。調査法としての効率は悪いし、それをもはや「調査」と呼び得るのかさえよくわからない。それでもそのような方法によらないと見えてこないものがあるように思えた。[前掲: 462] 参与観察でデータを得るということは、フィールドワーカー自身がその場に居合わせなければならないし、その状況に関わってしまうことになります。 つまり、観察者自身がデータに含まれる以上、観察者がどういうつもりで、その状況にかかわったのかを説明する必要が出てきます。 ■フィールドワーカーの内面 今回の最初に述べたように、この本は自分目線の文体で書かれています。 フィールドワーカーが状況にかかわらざるをえない以上、観察主体でもある著者をデータの中に書き込まざるをえない場合があります。 しかし、これは、常にそうであるわけではありません。その場でのやり取りに自分が直接巻き込まれなくても、観察は可能だからです。 教室で友だちが激しいケンカをしている場に居合わせたとしましょう。 ケンカをしている二人が罵り合っていれば、罵り合いの言葉を聞き取ることができるし、暴力沙汰になったとしても、どんなふうに暴力が振るわれ、どんな展開になるかを観察することはできます。 このように傍観者でやり過ごせる場合もあれば、状況にかかわってしまう場合もあります。 たとえば、教室にあなたが入ってきただけで、二人は人目を気にして、その場はケンカをやめるということもあるでしょう。 また、相手が仲の良い友人であれば、あなたは二人のケンカの仲裁に入るかもしれません。 状況を観察し、データを得ることが目的であれば、傍観者に徹する方がいいように思えます。しかし、実際には介入した場合としなかった場合とで得られるデータは違うので、どちらが正解と言えるようなものではありません。 難しいのは、自分が介入した理由をきちんと説明できるかどうかです。 別にこれは、はっきりとした動機として語れなくても構いません。その時の自分の行動の理由を、読者の状況の理解を可能にする範囲で示せばいいのです。 あなたは二人の普段の関係を知っていて、ケンカの理由も推測できたうえで介入したのかもしれません。あるいは、「あまりの剣幕にびっくりして、それと意識する間もなく止めに入っていた」のでも構いません。 極端な話、「何でか分からないけど、そうしてしまった」という説明でもいいのです。要するに、どんなつもりで介入したのかがはっきりしていないと、介入後の二人のリアクションを読者は理解できないことが問題になるだけです。 説明を入れる必要もない場合もあるでしょう。介入の理由を特に何か説明しなくても、「こういう状況であれば、ふつうこうするだろう」ことなら、読者はそのように理解できるからです。 ■過去の自分と現在の自分 第1回で「二通りの他者」と言ったり、「自己と他者の境界」と言ったり、やけに細かいことにこだわると思われているかもしれません。しかし、これはとても重要なことです。日常の何気ないやりとりに現れる意味をとらえようと思ったら、細かいところまで切り分けて見ていく必要があります。 「細かければ細かいほどいい」などということはありませんが、必要に応じて、必要なだけの細かさが必要です。このコンテンツでは「少なくとも、ここまでは想定しておかなければならない」ところまで、状況を読み解き、記述するために必要な分類をしておこうと思います。 ここで新たに付け加えるのは「過去の自分と現在の自分」です。こう書くと「自己」を二つに分けたように見えますが、実際にはもう少し細かい分類になります。 過去と現在というのは、対になって成立する概念です。第1回の、異文化と自文化、自己と他者は相互の対比によって生じるというのと同じ話だと考えてよいでしょう。 その起源がどこにあるのかを説明するのは、難しい議論になります。自己は他者なしで成立しないけれど、自己と他者の違いを認識するのは自己です。しかし、その自己は他者なしで成立することはありません。「同時に成立するのだ」と言ってしまえば、そうなのかもしれませんが、ここをはっきりさせることにあまりこだわるべきではないと思います。 というのは、そもそも白黒はっきりすることなど、本当はありえないからです。白黒はっきりしないことを便宜的に切り分けてでも明らかにしないといけない場合に、必要に応じて定めればいいことです2)。 過去の自分と現在の自分を切り分けていく際に、まず「現在」をどこに設定するのかを考えてみるのが良いでしょう。 「現在」とは、たとえば今この一文を読んでいる時です。私にとっては今この一文を書いている時が「現在」です。ところが、今この一文を読んでいるあなたにとっては、先ほどの一文を読んでいた時は「過去」になっているのではないでしょうか。 これはちょっと詭弁じみた言い方だったかもしれません。文章というのは、一文一文の連なりとして理解していくものだし、文章を読んでいる場面を一つのものとして「現在」ととらえるべきであって、文章を一文ずつバラバラにして、「現在が過去に移り変わっていく現在」を想定してみても、何の意味もありません。 ■フィールドワークにおける過去と現在 フィールドワークについて考えてみましょう。フィールドワークの最中は、フィールドにいる時間が現在ですが、それをふりかえる時には、過去になっています。ふりかえるのも、その日の調査を終えて、記録をつけている時かもしれないし、そうした記録を読み返して分析しようとしている時かもしれないし、分析を終えて報告をまとめている時かもしれません。 順番に考えていきましょう。その日の調査を終えて、記録をつけている時、その記録はどんなふうにまとめられるのでしょうか。 みなさんは、日記を書いたことがあるでしょうか。小学校低学年の頃には、絵日記の宿題があったし、何かの行事があった際に、そのことについて作文を書かされるということもあったと思います。 日記というのは、日記を書こうとしている現在から、すでに過去のものとなった特定の場面を切り取ってまとめられるものです。「日記」の名の通り、その単位は一日にあったことです3)。 過去にあったことは過去形で語られるし、過去形で語られることで聞き手は過去にあったことだと分かります。現在起こっていることや、未来に起こるであろうことを過去形で語るということはあり得ません。 しかし、過去に起こっていることは、その時点では現在だし、その時点においては不確定な未来について考えること、語ることはあり得ます。日記は過去形ではなく、その時点に居合わせたと仮定して、現在時制や未来時制でつづることができます。 短い記録であれば「このようなことがあった」「誰々がこう言った」と過去形で語り切れるでしょうが、書くことが多くなると過去形では書ききれなくなります。全体ではないにしても、その一部を、その時点でどのように考え、何をしたのかをリアルタイムの出来事のように書くほうがまとめやすいのです。 しかし、それが書かれたものであり、読まれるものである以上、それが過去のことなのは確かめるまでもない前提です。 これは、最終的な報告書についても言えることです。報告書としてまとめられ、読まれるものは常に過去にあったことについて書かれたものです。しかし、執筆者にとっては報告書を書いている時点が最終的な現在になります。 このようにフィールドワークの記録をつけ、その記録を元に報告をまとめるという過程の中には、過去が入れ子状になっていて、その過去をいつの時点での現在から語るかによって、語り方が変わってきます。 過去をふり返る時点ではその後何が起こるか分かっているとしても、その時点では何が起こるか知らない状況での判断があり、行動があります。 ■語り手の位置 中村さんのこの本には、最初からフィールドワーカーとしての「自分」が登場します。プロローグの初めのあたりにこのような記述があります。 2002年11月、僕はニューヨークのハーレム地区を訪れた。そこに暮らすアフリカン・アメリカンのムスリムたちのもとでフィールドワークをおこなうためだ。本書は約2年間にわたるそのときの経験をもとに書いたエスノグラフィ(民族誌/記録文学)である。[前掲: 7] これはこの本をまとめた時点での中村さんです。「である」と現在形で書かれています。第1章の書き出しは次のようなものです。 その日もハーレムの床屋にむかっていた。[前掲: 19] 「むかっていた」と過去形で、「その日」をふりかえって書いていることがわかります。 床屋にむかったのは、髪を切るためではない。少しまえに知り合ったばかりのハミッドにもう一度会うためだった。ハミッドは、ハーレムに生まれ育ったアフリカン・アメリカン・ムスリムの男性で、フィールドワークを開始してまもなく偶然知り合うことになった。[前掲] このように、大筋は過去形での描写が進むのですが、この文章の書き出しは「ではない」と現在形になっています。「ではなかった」でもいいはずです。それが現在形で書かれているのは、このことがその時点でも、振り返っている現在でも変わらない事実であるためかもしれません。ほかにも現在形が入り込む部分をいくつか見てみましょう。 待ち合わせの時間に余裕をもって床屋の近くまで来たのだが、その日は朝からなにも食べておらず、ひどく腹が減っていた。だからと言って、ポケットにたいしたお金があるわけでもない。[前掲: 20] 座って食べることができるようなベンチは、このあたりには見当たらない。先ほど通った公園のベンチまで戻ることもできたが、約束の時間に遅れたくなかった。だから、デリのすぐ外にある、壊れてなかば忘れ去られたかのような公衆電話の横に立ち、そのパウンドケーキを食べてしまうことにする。[前掲] このように、過去形と現在形が入り混じるのは、著者が当時を思い出して、過去に一体化するために起こる現象なのだと思います。そういう意味では、過去を過去として切り離して語ることはもともと不可能なのかもしれません。 中村さんがこの床屋にやってきたのは、内容紹介で触れた「マルコム・Xの暗殺犯として濡れ衣を着せられ、22年間刑務所に入れられていたという男性」——カリルを紹介してもらうためでした。しばらく彼とのやり取りの場面が描写されたのち、いったん具体的な場面から離れて、フィールドワーク全体を振り返るとともに、中村さんの視点が紹介されます。 ハーレムに滞在した2年間、おびただしい量の語りに遭遇した。その多くはアフリカン・アメリカンのムスリムとして生きる人びとによる、「自分たちの歴史」に関する解釈だったと思う。[前掲: 28] しかし、ここではひとまず語られた歴史を、真偽の問題としてではなく、「試みの歴史 attempted histories」として考えてみたいと思う。この場合の歴史は、「小文字の複数形の歴史 histories」になるだろう。[前掲: 28-29] このような視点、大きな分析枠組みを示したのち、項を改めて、この男性・カリルの語りとあわせて、「アフリカン・アメリカンとムスリームとの関係史」[前掲: 30]が30ページにもわたって書かれています。 その後、再びカリルとのやり取りを挟んだのち、彼が濡れ衣を着せられた一件についての詳細がまとめられています。合わせて「FBIのアーカイヴ」の持つ意味についての考察も行われます。 このように、過去のエピソードを振り返りながら、歴史的な事実関係の整理や、分析の視点の整理、考察が入り混じった書き方は、この本の特徴だと言って良いでしょう。 もう一つの特徴として、フィールドワーカーとしての苦悩や戸惑い、葛藤について、随所で語られるという点もあげられます。以下は、第1章の終わりに書かれているエピソードです。 「〔研究のために〕必要なことはすべて得られたかい?」 「なにも心配しないでください。あなたがよい論文や本を書いて、学校でよい成績をとることが、私たちにとっての喜びなのです」 ■いくつかの自己 この本の中には、いくつか位相の異なる「自己」が登場します。 まず、報告をまとめている著者としての自己。次に、調査をふり返って語り直されるエピソードの中の自己。そして、エピソードの中の自己について振り返っている自己がいます。 エピソードの中の自己は、未来の出来事を知らない、その時点での自己を仮定して書かれています。 エピソードの中の自己についてふり返る自己は、いくつかのパターンがありえます。そのエピソードの直後に思ったこと、考えたこともあるでしょうし、一定期間置いてふり返った時点での自己、そして、最終的な報告をまとめる際の見解を示す存在としての自己です。 最終的な報告をまとめる際の見解を示す存在としての自己は、報告をまとめている著者としての自己と重なります。しかし、報告をまとめている著者には、著述全体を統括するものであり、自己省察する以外の役割もあるので、それとイコールではありません。 大まかに分けて3つの自己のパターンがあり、「過去についてふり返った過去」はいくらでも設定することができますが、それは説明したいことの必要に応じて設定されなければなりません。 状況をデータ化するためには、必然的に自己がデータに織り込まれることになります。そして、自己は、データの中に織り込まれるだけでなく、データを扱う際にはまた違った形で織り込まれることになります。 参与観察を用いたフィールドワークの成果を、その特性を存分に活かしてまとめるためには、どれだけの自己をどのように織り込んでいるのかに自覚的でなければいけません。 ■フィールドワーカーとしての自意識 ところで、この本には「フィールドワーカーとしての自意識」とでも言うべきものが溢れかえっています。 無意識のうちにフィールドワークという方法を美化し、理想化していたのかもしれない。[前掲: 65] 彼は語り手であり、僕は書き手だった。そしてそれ以上に、彼はストリートの実践者であり、僕は観察者だった。フィールドワーカー、参与観察者、インタビューアーなどと言えば聞こえはいいが、それは貧弱なる視姦者のユーフェミズムのように思えなくもなかった。[前掲: 149] 僕はよきエスノグラファーになろうと心に決め、ユスフの、想像力が発揮されてはいるが、表面上バラバラな語りに耳を傾けた。傾けようとした。[前掲: 331] この本は「エスノグラフィである」という宣言ではじまりながら、あとがきは次のような書き出しではじまります。 本書はエスノグラフィである——冒頭のプロローグにそう書いた。しかし、書いたそばからすぐにそれを打ち消したいような気持ちもある。 それでもあえてエスノグラフィーを宣言するのは、これは研究書であると言いたいからでしょう。そして、この宣言が向けられているのは研究者共同体です。 研究者としてフィールドにかかわり、そこで研究者としての立ち位置を自問することには意味があります。本書でも、フィールドワーカーとインフォーマントの非対称的な権力関係を意識することが、アフリカン・アメリカン・ムスリムが置かれた状況の理解を引き出している部分も認められます。 しかし、エスノグラフィーであるかどうか自問する姿を記述に織り込むことで、読者のフィールドに対する理解が深まるとは思えません。そういうことを書いていけないことはありませんが、これは「無駄な情報」だと思います。 それでもあえて言いたくなるほど、エスノグラフィーという言葉に込められた研究者の思い入れは強く、魅力的であることがうかがえます。裏返せば、参与観察をベースにしたフィールドワークの成果をまとめるのは、今なお苦難の道であるということでしょう4)。(2023年3月7日(火)更新) 参考文献 中村寛、2015『残響のハーレム——ストリートに生きるムスリムたちの声』共和国。 鵜飼正樹、1994『大衆演劇への旅——南條まさきの一年二ヵ月』未来社。 ■別に読まなくていい今回の独り言 1)どういう身分で滞在していたのかすら書かれていない。コロンビア大学でティーチングアシスタントをしていたというけど、コロンビア大学に留学していたわけでもなさそうだし。 2)「必要に応じて、必要なだけの細かさが必要」なわけだけど、その「必要」は誰にとって、何のために必要なのかを突き詰める必要がまたあるわけだ。 3)なかなか書き上げられない……。しんどい。伏線にしておかなければならないことが多すぎる。 4)悪口にならないようにまとめるの大変……。僕自身がやっぱり同じようなとらわれの中にあることを意識させられる。 |
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