フィールドワーク論

第5回 『介助現場の社会学』を読む

■参与観察に徹した研究成果

 今回は前田拓也さんの『介助現場の社会学——身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ』について見ていきたいと思います。

 第4回の終わりで、「エスノグラフィーをエスノグラフィーたらしめる条件が曖昧であり、その条件は調査者である自分をどのように位置付けるのかにかかわっている」と書きました。「エスノグラフィーをエスノグラフィーたらしめる条件である自分の位置づけ」というものがありうるとして、この本では著者である自分をどのように位置付けているのかに焦点を絞っていきたいと思います。

 とはいったものの、正直にいって、この本についてはどう書いていったらいいのだろうという、ためらいがあります。

 前田さんは身体障害者の介助者として参与観察をしています。また、同じ社会学のジャンルで、大学院生として修行時代を過ごした時期も被っています。私自身は参与観察で得たデータを用いて、どのように論文を書いていったらいいのか、つかみきれていない時期に、前田さんはしっかりした論文を学会誌に掲載されているのを見ていたので、否応なく意識させられました[前田 2006]。

 住んでいるのも同じ関西圏だったので、当時から研究会などでお話しする機会もありました。方法論的なところでの葛藤を抱いている感じもなく、スマートに研究成果をまとめて行かれている印象で、論文執筆以前で足ぶみしている自分に焦りを覚えるばかりでした。

 実はこの時期は、参与観察を主な調査方法としてまとめられた、若手社会学者による研究成果が目立ちはじめていた時期でもありました1)

 それでも、一つのフィールドにしぼり、方法としては参与観察に徹して、博士論文にまとめ、著書の出版にまでつながるような研究は、2023年現在にいたっても珍しいと思います。

■障害者の自立生活運動について

 さっそく、この本について、その内容を見ていきましょう。

 この本を理解するには、まず身体障害者の自立生活運動について知っておく必要があります。

 しかし、私自身、この運動についてくわしいわけではないので、おおざっぱな説明であることをお断りしておきます。

 私が生まれ育ったのは山口県の片田舎の地方都市ですし、それも1980年代から90年代にかけてのほんの一時期なので、どのくらい一般化できるかわかりませんが、子どもの頃、障害者の姿を見ることは少なかったと思います。印象に残っているのは知的障害をもつクラスメイトが小学校にいたことぐらいです。

 福岡県の政令市にある大学に進学して、しかし、思い出すのは、車椅子に乗っている先輩がいたことくらいでしょうか。

 大学院の進学にともなって大阪に暮らすようになり、すでに人生の半分以上を過ごしています。大阪では、車椅子に乗っている人の姿は日常的に目にします。大学院では研究を通じて障害をもつ人と知り合うこともありました。

 それでも、日常生活を送るのに24時間介助を必要とするような人に出会ったり、話をする機会はほとんどありません。

 日常的に目にすることはなくても、そのような生活を送っている人がいるのは事実です。そのような人びとの介助は家庭の中で家族に担われていたり、入所施設で行われるようになります。そうなると、親族であったり、施設の職員でもない限り、その姿を目にする機会そのものがなくなります。

 また、そのような状況では、障害をもつ当人が、すべて他人任せの生活を送らざるをえません。親元や施設ではなく、一人暮らしをしようと思ったら、24時間の介助をしてくれる人を確保しなければいけません。そのような介助者を確保し、障害者が地域で当たり前に暮らすことを可能にしていったのが自立生活運動でした。そして、この運動は当事者である障害者が中心となって実現していった当事者運動でもあります。

 前田さんは兵庫県にある自立生活センター(CIL)であるX会の非常勤の介助者として働く形で調査をしていました。CILは、自立生活を営む障害者のために介助者を派遣するサービスのほか、自立生活に移行する準備段階のサポートなども行なっているそうです[前田 2009: 27-28]。X会には、自立生活を実践する約30人の障害者がおり、登録介助者は約180人いると書かれています[前掲: 30]。

 介助は1対1で行われることなので、介助現場の事例は、利用者と介助者である前田さんと二人の間でのやりとりになります。介助が有償であること、介助者の位置付け(「介助者=手足」論)など、この本の議論を理解するために理解しておかなければならない前提は、他にもいくつかあるのですが、それらについては必要な範囲で適宜ふれていくことにします。

■介助者になりゆくプロセス

 この本で前田さんは、健常者が「介助者になりゆくプロセス」に着目すると言っています。「介助者になる」ということは、障害者とかかわるということだし、介助を身につけていくことでもあります。

 そういう意味では、ここには健常者と障害者という二つの立場があり、文化があるといっても良いでしょう。また、介助者になるということは、健常者が障害者とかかわり、理解していくことであり、フィールドワークの営みそのものと重なるようでもあります。

 特に、前田さんは介助者であり、フィールドワーカーなのですから、「自己」と「他者」の文字通りの二者関係を通して、他者ないし異文化を理解していく、参与観察調査の一つのモデルが提供されているかもしれません。2)

 この本の面白さは、介助者である前田さんが介助現場で経験した、何気ないエピソードをもとに、その背景に潜んでいるさまざまな配慮やジレンマ、そして、それらの持つ意味が解き明かされていくところにあります。

 介助者は障害者が自立生活を可能にするための「手足」であり、障害者の「自己決定」の邪魔をしないことが求められます。

 しかし、実際には介助者は介助者なりに判断をしなければなりません。本人が「大丈夫だからやってくれ」と言っていても、介助者から見て安全性に疑問が抱かれる場合があります。

 ある利用者が、友人宅で食事をし酒を飲んだあと、わたしに帰宅を指示した。彼は酔ってしまっており、体のバランスをうまく取ることができずに、上半身が車椅子からはみ出るようにして前後左右に倒れてしまう。そこで私は無理せず、酔いが醒めるまで待つことを勧めた。彼は賛成し、それから三時間眠った。[前掲: 67]
 しかし、その帰り道、時間が経つにつれて、体のバランスはやはり崩れてきた。何度か止まり、体のバランスを立て直す。そして進む、また倒れる。道路の凹凸からの振動を受ける度にバランスは崩れてしまう。最終的には、「もう、このままでいいです! 倒れたまま行ってください!」という指示がなされる。その結果彼は、首が完全に後ろに倒れたまま、帰宅するまでなんとかわたしに指示し続けたのだ。[前掲]

 また、やって欲しいと思っても、この介助者に頼むのは心配だとか、コンタクトレンズを他人に入れてもらう事自体が怖いといったこともあります。

「実は、コンタクト(レンズ)にしたいんやけど、自分でできないから怖いんですよ。だって眼エさわられるんやもん」
——そうやわなあ。オレ、コンタクトやけど、そら人にやってもはうのはちょっとこわいなあ
「第一アテが怖がる。やった事ない人やったら怖がってできんと思う」
——あ……そっかそっか、確かにな。やったことないひとやったら、眼球触んのなんか怖がってできへんやろなあ

 サブタイトルに「身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ」とあるように、この本の内容は、基本的には障害者の自立生活を可能にしている「介助者」に注目したものです。

 介助者なくして自立生活を営むことはできないし、障害者の自己決定を尊重すると言っても、それは運動の理念的な表現であって、実際には黒子にはなりきれない介助者とともに作り上げられるものであることの意味が、この本で問われることです。

 障害者の自立生活運動は、障害者を見えないところへ押し込める「健常者の社会」に対する異議申し立ての直接行動でした。現在では、介助者を利用するための仕組みが制度化され、運動によって社会は「変わった」のだと言えるでしょう。

 しかし、健常者と障害者の非対称的な関係そのものが解消されたわけではなく、介助現場はその非対称性への対処が必要となります。

むしろ、「介助の儀礼」が破綻すること、健常者が健常者の日常性をどうしても持ち込んでしまうことによって、非対称性を維持してしまうこと、そのことが、「介助現場」がどこまでも「健常者の社会/無力化する社会」(disabling society)であることを示してしまっているのだ。[前掲: 137]

 そして、健常者でありながら介助現場にかかわる介助者は、健常者と障害者の非対称性を意識しつつ、二つの世界を行き来する存在であることになります。

健常者の「健常者性」を問い直し、ゆさぶり、変容を促すための未完のプロジェクト。本章の文脈に従うなら、健常者のからだにしみついた習慣に変容を促すために「介助を学ぶ」という試みは、「現場」という一定のとざされた空間のなかで完結するものではない。[前掲: 197]

 前田さんのこの本は、私たちの社会に構造化された健常者と障害者の非対称性が、介助現場でせめぎ合う実態を、参与観察で得られたデータをもとに明らかにしたものだと言ってよいでしょう。

■参与観察の強み

 冒頭で述べたように、この本で扱われるデータは参与観察に徹して得られたものです。参与観察に徹するということは、基本的にはフィールドワーカーの目線で理解した物事が紹介されていることになります。利用者とのやり取りの中で、利用者側の事情を介助者が「理解していく」場面はありますが、この本の主人公は、どちらかといえば介助者なのだと思います。

 しかし、ここでの介助者とは、前田さん個人のことです。本文中でも触れられているのですが、そもそも介助現場には介助者と利用者はそれぞれ一人ずつしかいません。「ほかの介助者と一緒に介助をする」ことは基本的にないので、ほかの介助者がどう感じているかは、参与観察を通しては知ることができません。

 もっとも、だからといって、この本が明らかにしていることの信頼性がゆらぐわけではありません。これまで繰り返し述べてきたように、参与観察の強みは人びとの相互行為的な状況をとらえるところにあります。前田さんのフィールドワークは、「介助現場」の状況の分析を突き詰めたものです。

 介助現場で介助者は黒子にはなりきれないこと、介助者の経験はどのような意味を持つのかを、参与観察を通して直接的に理解したことには、方法論的に固有の意義があるでしょう。

■自己の位置付け

 ここでも、作品の中での自己の位置付けについて見てみましょう。

 参与観察で得られたデータを提示する際には、調査者であり、執筆者でもある自己をどのように位置付けるのかが課題となります。自己の位置付けをうまくやらないと、記述がうまくいかないばかりでなく、作品そのものの信頼性が落ちてしまいます。明らかにしたいこと、書こうとするものに合わせて、自己の適切な扱いが必要になります。

 この本もやはり、一人称によって書かれています。本を書いているのも「わたし」なら、調査経験の中に出てくるのも「わたし」です。この本で初めて「わたし」が出てくるのは次の部分です。

 しかし、仮に「他者と共感し合う関係」なるものがありうるのだとしても、いずれにせよそこへ至る一定の時間、一定の過程を経ることではじめて可能になることであるはずだ。にもかかわらず、その「結果」を語る人びとは、そこへ至る過程をついつい省略してしまいがちなのだと思う。一定の距離があったはずの「他者」は容易に「共感し合う人間」になって、そのためにあったはずの「時間」はなかったことになってしまう。わたしの知りたいのは、その「過程」なのにもかかわらず。[前掲: 11]

 そのことを経験したなら誰しもが理解することであるにもかかわらず、語られるのは「結果」だけであり、「過程」にあったものは言語化が難しいものです。それなら、そこを知りたい当人が、自分で経験し、言語化を試みる必要があります。

 「自分の経験を語る」ことでしか明らかにできないことをテーマにする以上、執筆者である「わたし」と介助者である「わたし」は地続きであるはずです。

 もっとも、コンタクトレンズの事例の中に出てきた一人称は「オレ」だったように、分析し、記述する「わたし」と介助現場にいた「オレ」は、同じ人間ではあるものの、異なる役割を担っています。

 「オレ」が向き合うのは、その現場その現場でかかわる利用者個人であるのに対して、「わたし」として語る時には、読者一般に向き合う、一般性を意識した存在になっています。この「わたし」は時に「わたしたち」へスライドするものでもあります。

わたしたちが置かれたこの社会での立ち位置のありかたが、当惑するわたしのなかに凝縮して経験され、表現されているのだ。[前掲: 14]

 この本では、「オレ」の経験は、そのまま「わたし」の経験であり、「わたしたち」の経験でもあるように、自己の水準が統一されていると言っても良いと思います。「当惑するわたし」という文言があるものの、そうした緊張感はすでに収束したものとして、事例が扱われています。このようなところが「方法論的な葛藤を抱いている感じもなく、スマートに研究成果をまとめて」いる印象につながっているのだと思います。

 第2章では、前田さんが女性とセックスをしようとした時の経験を、ケレン味なく導入に用いています。

まず、わたしが介助をはじめたばかりの頃のことを思い起こすことからはじめてみよう。介助者になって二、三ヶ月経った頃のこと。わたしはある女性とセックス「しようとした」。わたしはわたしのやりかたで「いつも通りに」その女性の服を脱がそうと、ボタン——あるいはジッパーだったかもしれないが、それはともかく——に手をかけた。その時、瞬間的に「介助に似ている」と思ってしまったのだった。介助をしている景色、感触などがフラッシュバックし興醒めでもいいところだ。そしてすっかり「やる気」が失せてしまったのだ。[前掲: 89]

 ここでは、セックスの一場面を「そつなく」語ることで、個人的な経験に社会性を持たせることにもなっています。読者はこのエピソードを「誰にでも起こりうる」こととして理解するし、だからこそ、このエピソードと関連づけて語られる介助現場での出来事、前田さんの受け止め方にも社会性が付与されます。

 ほかにも、利用者からデリヘルを呼んでもいいかと訊ねられる場面も出てきます。

「来週ちょっと、デリヘル呼びたいんですけど、いいですか?」
——ああ、そう、そら別にかまへんよ
「はい、じゃあ、そういうことで、お願いします」
——それはええけど、来週って、それまで我慢できるん?
「はい、まあ、できると思いますよ」
——来週まで待たんでも、他のアテに頼むとかしたらエエやん
「まあ、そうなんですけどね……」
——頼みにくいん?
「そうですねえ。そういうのイヤがりそうな人も、いるし、ノリ的に」
——あー。まあ、わからんでもないけど
「前田さんやったら、まあ、大丈夫やろう、と(笑)」
——まあな(笑)。やっぱり選んでしまうかあ
そうですね[前掲: 56-57]

 このような「ぶっちゃけた」話を盛り込んでいるところも、フィールドの事例に親近感を持たせ、議論をスムーズに読ませることに一役買っているのだと思います。

 ほかにも、子どもの頃に経験した「ひとんち」の匂いにまつわるエピソードなども、前田さん個人の経験でありながら、誰しもが思い当たるであろう事例で親近感を抱かせることで、ある種の「社会性」を演出しています。

放課後の玄関先、独特の抑揚つけた大きな声でその名を呼ぶと、しばらくして窓から顔。招き入れられた友だちの家はいつも、自分の家とは違う「ひとんち」の匂いがした。毎日のように遊びに行っているくせに、そのことに気づくたび、ドキッとした。それを嗅いだだけでその家の住人たちの食事の風景や会話や体温や、それをひっくるめた、煮詰められたたように濃厚な空気が一瞬にして了解できるような、それはそんな匂いで、友だちの家というよその世界へ来たのだという事実は、こうしてまず鼻腔を通じて感じられるのが常なのだった。その匂いは自分の慣れ親しんだ世界とは異なるよその世界に来てしまったことの恍惚と不安とを覚えさせるのに、十分なきっかけだった。[前掲: 200]

■プロセスを明らかにすること

 こういった数々のエピソードは、プライベートな空間に期せずして踏み込んでしまったような生々しさを感じさせます。しかし、はたしてこれらは生々しいエピソードでしょうか。

 実は、どのエピソードも、執筆者である前田さんの「現在」から見た、過去の出来事です。セックスの話にしろ、酔っ払った利用者の介助の話にしろ、すでにその顛末を確認済みで、落ち着いた時点で振り返られたものです。

 利用者との「リアルタイム」の会話の再現も、この本ではたくさん見られます。しかし、そこにあるのはやり取りされた言葉だけです。その会話の場面で自分がどのように感じていたかは、やはり執筆者の「現在」の視点から補足されるものです。

 前田さんはこの本で「介助者になりゆくプロセス」に着目すると言っていました。確かに、介助者が介助現場で理解していったことが、具体的な事例とともに明らかにされています。しかし、それだけで「プロセス」を明らかにしたことにはなりません。

 「プロセス」というのは、出来事をその推移に沿って段階的に並べ、理解が進展していくために必要な要素が、どの段階で、どのようにして得られていったかに光を当てるものです。前田さんは執筆者である「わたし」の現在から、過去の「わたし」の経験を見ているだけで、どの時点の「わたし」も横並びに扱われた等しいものになっています。「この経験があったから、次のこの理解が得られた」といった説明の原理にはなっていないのです。

 もっとも、前田さんは「介助者になりゆくプロセス」に「着目する」と言っているだけで、「明らかにする」とは言っていません。したがって、前田さんに何か落ち度があるわけではありません。しかし、それなら「プロセス」に「着目する」と表現する必然性はなかったように思われます。

■エスノグラフィーへのこだわりと自己の位置付けへのこだわり

 ここで確認しておきたいのは、自己の位置付けと記述内容との関係です。

 「プロセス」を明らかにするためには、出来事をその推移に沿って段階的に並べ、理解が進展していくために必要な要素が、どの段階で、どのようにして得られていったかのかを見ていく必要があります。

 そのためには、段階ごとに「現在」の自己を設定する必要があるし、その段階ごとの自分から見た「過去」の自分への評価を示す必要があります。前田さんの作品には、このような中間的な過程を便宜的に「現在」として切り取った時に現れる自己は存在しません。

 これは第3回で『残響のハーレム』を扱った際に触れたことでもあります。「過去について振り返った過去」はいくらでも設定することができますが、それは説明したいことの必要に応じて設定する必要があります。前田さんの作品では、設定する必要がなかったということなのでしょう。

 自己をどのような水準に設定するかは、語りうることを拘束することになります。

 第3回と第4回を通して、エスノグラフィーがエスノグラフィーである条件の一つとして、調査者である自己をどのように位置付けるのかがかかわっているのではないかという指摘をしました。

 実は、前田さんの本には、自著を説明するものとしてエスノグラフィーという言葉は出て来ません。前田さんにはエスノグラフィーという言葉へのこだわりはないのかもしれません。それはつまり、調査者である自己の位置付けに、相対的にではあれ、葛藤が薄いことを意味します。

 フィールドワーカーが参与観察にこだわるのは、状況の分析を通してしかとらえられないものにこだわるからです。そして、引用文で見たように、前田さんにもこのこだわりはあるように思われます。

 では、自己の位置付けへの葛藤はなぜ抱かれるのでしょうか。自己の位置付けに工夫が必要になるのは、どのようなものを描きたいかが異なるからです。それは、自分がこの社会に対して、何を伝えたいのかにかかわることです。

 第1回で、フィールドワーカーは自己と他者の境界を意識しなければならないし、それはフィールドワークを通して知り得たことを誰かに伝えるためだと書きました。その伝えるべき「他者」とは「私たち」という自明のようでありながら、実は実体のはっきりしないものです。

 少し乱暴なまとめ方をすると、前田さんは介助者を健常者と障害者を媒介する役割を担いうるものと位置付け、その社会的意義を強調しています。この辺りが前田さんが描きたかったことの範囲を示しているし、必要となる自己の水準を定めているように思われます。(2023年3月24日(金)更新)3)

■参考文献

前田拓也、2006「介助者のリアリティへ――障害者の自己決定/介入する他者」『社会学評論』57(3): 456-475。

前田拓也、2009『介助現場の社会学——身体障害者の自立生活と介助者のリアリティ』生活書院。

第6回 『ただ波に乗る』を読む

 

■別に読まなくていい今回の独り言

1)あー、前田さんはリアルタイムで状況を描かないんだよな。リアルタイムのものとして再現されるのは、二人の間での会話のやりとりで、それもセリフだけが並んでいるもの。

2)あれ、なんか想定外の話が出てきたな。

3)うーん、だいぶ時間がかかったけど、書けたなあ。書いてみると分かることもあるし、やはり書いてみないと分からないところはある。自分がこだわっていることの輪郭もはっきりしてきた感じはある。しかし、これ書くのめちゃくちゃしんどい。最終的に目指すものは何だろう。フィールドワークをしてエスノグラフィーを書きたいと思う人に、ゴールまでたどり着けるような指針を示すことかな。