フィールドワーク論

第6回 『ただ波に乗る』を読む

■15年越しの集大成

 今回は水野英莉さんの『ただ波に乗る Just Surf——サーフィンのエスノグラフィー』を読み解いて行こうと思います。

 前回の前田さんと同じように、水野さんの論文も2005年頃に読んだことがあって、参与観察を中心にしたフィールドワークの成果をどのようにまとめていくかという点で、当時とても気になったのを覚えています。

 その論文は『ソシオロジ』という雑誌に研究ノートとして掲載されたものでした[水野 2005]。ただし、「参与観察に徹して書かれている」というところで強く共感するものの、自分が論文をまとめる際の参考にはならないなという印象でした。

 それから15年が経って、水野さんが「エスノグラフィー」と銘打って出版なさった著書がどのようなものであるのか、やはりとても気になります。

 これまで繰り返し述べてきたようにエスノグラフィーとは何なのか、曖昧なところがあるにもかかわらず、自らエスノグラフィーを名乗るなら、自分なりにその答えを用意しておかねばなりません。名乗れば名乗ったなりに、その意味を問われることになります。

 もっとも、このコンテンツでは、「エスノグラフィーがエスノグラフィーである条件は自己の位置付けにかかわるものである」としてきたので、ここでも、この点について見ていくことになります。

 そういう意味では、この本は自己の位置付けについて大変自覚的になっています。というのも、どうやらこの本は「オートエスノグラフィー」として書かれているようだからです。

■オートエスノグラフィーとは

 オートエスノグラフィーと言われると、エンジンでもついているのだろうかとかバカなことを考えてしまいますが、「オート」とは「自己」のことです。フィールドワークにおいて、調査者である自分自身をデータにして書かれたエスノグラフィーを、オートエスノグラフィーというようです。

 「というようです」と曖昧な言い方をするのは、私自身がオートエスノグラフィーについて、よく分かっていないからです。そもそもエスノグラフィーが何かも曖昧なのに、そこに「オート」が付いたからといって曖昧さがなくなるわけではないはずです。

 また、このコンテンツのスタンスは、エスノグラフィーがエスノグラフィーたる条件は自己の位置付けとかかわると言っているのですから、オートエスノグラフィーでないエスノグラフィーなどありえないことになります。

 この点に関して、この本ではエスノグラフィーの研究史的なまとめとともに整理してくれています。

20世紀前半におけるエスノグラフィーは、主に欧米の白人男性研究者によって展開し、「客観的」であること、主観を排して「事実」に基づいて分析することが目指されてきた。しかし1970年代に入ると、調査する側である欧米や日本などの先進国の人類学者と調査される側であるアジアやアフリカの開発途上国の人々の間に、固定的で非対称的な権力関係があることが厳しく批判された。[水野 2020: 32]
その後、エスノグラフィーの中に積極的に「私」という一人称が用いられ、調査者個人の感情や考え、行動や関係性が登場するようになった。[前掲]
さらに1980年代を迎えると、エスノグラフィーはさらなる批判にさらされることになった。いわゆる『文化を書く Writing Culture』(1985)ショックである。同名の著書でクリフォードとマーカスが客観的事実の報告と見られてきた民族誌が、じつは、詩学と政治学の産物であると宣言したからである。それはすなわちフィールドワークは科学ではなく、詩を作ったり物語を書いたりする営為と寸分違わず、調査者の主観、読者を説得するレトリックなど、フィクションを制作する手法と同じものが使われていることを暴いたのだった。[前掲]

 こういった流れの中で反省を迫られて試みられてきた手法の一つがオートエスノグラフィーというわけです。この本でも参照されている方法論の概説書では、次のように説明されています。

オートエスノグラフィーとは、調査者が自分自身を研究対象とし、自分の主観的な経験を表現しながら、それを自己再帰的に考察する手法だ。[藤田 2013: 104]
オートエスノグラフィーは、自己の置かれている立場を振り返る再帰的な行為だけではなく、自分の感情を振り返り、呼び起こす、内省的な行為でもある。病をともなう身体的感覚や病人としての意識、家族との死別にともなう当惑や空虚感、恋愛にともなう嫉妬や高揚感など、当事者であるからこそ語れる個人の感情経験がテーマとして取り上げられることが多い。自分の経験を振り返り、「私」がどのように、なぜ、何を感じたかということを探ることを通して、文化的・社会的文脈の理解を深めることをオートエスノグラフィーは目指している。[前掲: 104-105]

 実際にオートエスノグラフィーを名乗って書かれた研究成果にどのようなものがあるのか、私は十分には知りません。ただ、オートエスノグラフィー的な要素のないエスノグラフィーの方が珍しいのではないかという気がします。

 ホワイトの『ストリート・コーナー・ソサエティ』でさえ、自己の立場や感情の内省が含まれていたし、それなら、前回の『介助現場の社会学』、さらには『大衆演劇への旅』もオートエスノグラフィーと言っていいように思います。

 そういうふうに言えば、『残響のハーレム』とてオートエスノグラフィーと言えてしまいそうですが、そこまで行くとさすがに行きすぎのようにと思われます。

 結果的に記述に自己が織り込まれている場合と、オートエスノグラフィーというジャンルを意識して、方法論として自覚的に採用されている場合とは、分けて考える必要があるでしょう。そして、『ただ波に乗る』はオートエスノグラフィーであることを宣言している以上、そこにはそれだけの意味があるはずです。

 また、本書は「フェミニストエスノグラフィー」でもあるようです。フェミニストエスノグラフィーとは「ひとつには、女性がこれまで沈黙されてきた女性の経験に光を当てる試みである」[水野 2020: 37]と説明されています。

本書はオートエスノグラフィーの知見を活かしつつ、フェミニズムの視座に基づいて、女性である私が体験したサーフィンについて記述しようとするものである。[前掲: 41]

 というわけで、この本の内容について整理していきましょう。

■女性サーファーが置かれた状況の分析

 この本の目的は何かというと、女性サーファーが置かれた状況の分析だと考えるといいと思います。

 幼い頃からサーフィンへの憧れを抱いていた水野さんは1994年11月にようやくきっかけをえて、翌年の4月からサーフィンをはじめたそうです。当時大学院修士課程の学生だった水野さんは、そのままサーフィンを研究テーマにしていったようです。

 大きく三つのパートに分かれるこの本の第Ⅰ部(第1章、第2章)では、サーフィンについての先行研究のまとめと、先ほど触れた方法論的な整理が行われています。第Ⅱ部(第3章〜第5章)、第Ⅲ部(第6章、第7章、終章)はサーファーとしての水野さんの経験が扱われています。

 第Ⅱ部は「レノックス」というサーフショップの人びとと関わりながら、サーフィンを身につけていく時期を中心に扱われています。サーフィンをする人たちは、サーフィンの道具を扱うお店を通じて、仲間を作っていくようです。

 一口にサーフィンといっても、ショートボード、ロングボード、ボディボードと、波に乗るためのボートに種類があります。水野さんは「女の子ならボディボード」[前掲: 54]と勧められて、ボディボードからサーフィンをはじめます。

 なかなか上達しないことをバカにされながら、少しずつサーフィンの世界に引き込まれていく様子が回想されるなかで、トイレや着替えなど、男性サーファーにはない女性ならではの苦労もつづられています。また、その後も登場する親しくなった人たちにまつわるエピソードも紹介されます。

 第4章では、サーフィンをする仲間たちのあいだでの規範や秩序について考察されています。ここで中心になるのは男性中心のサーファー文化といってよいでしょう。

 サーフィンだけの話ではありませんが、男性中心の社会では、女性は男性とは異なる扱いを受け、従属的な立場におかれがちです。表面的には女性への配慮と思われるようなことも、ないがしろにされることと表裏一体になっています。

 第4章は、男性同士のやりとりのなかで、女性がどのような扱いを受けているか、そして、その扱いが男性同士の秩序をたもつために利用されている側面を扱ったものであるのに対して、第5章は、そのような男性中心の社会で、女性としてサーフィンを続けた水野さんの経験について分析されています。

 そもそも女性の少ないショップで、同性のボディボード仲間ができたり、ショートボードに挑戦する後輩に触発されて、自分自身もショートボードに乗り換えるなど、重要な転換点が描かれています。

 実は、サーフィンの世界では「ショートボードこそサーフィン」であるという意識があるそうです。「男ならサーフボードでしょう」という考えがあり、ボディボードは「女のするもの」という暗黙の了解があるようです[前掲: 93]。

 この価値は女性にも共有されています。

サーフィンをする女性サーファーが「ボディボードはサーフィンじゃない」と言う場面に何度も遭遇したことがあるし、私自身もその価値を内面化していた。[前掲: 96]

 女性は男性から低く見られながらも、男性と同じ価値を持たなければ、サーファーとして一人前と思えないという抑圧的な状況に置かれているというわけです。

 こうした状況の理解は、水野さんがボディボードからサーフボードに転向したことで、より理解が深まったと考えられます。

私自身はボディボードをしているときとサーフィンに転向したときとで比較すると、外見上の装いや気持ちに大きな変化があった。ボディボードをしているときは、露出の高いウエットスーツを着用してしていた。[前掲: 97]
サーフィンをし始めてからは、いわゆる女性らしい形(露出が多い)、女性らしい色(赤やピンク)などは興味があるなくなり、機能性を重視したり、露出がないものを選んだりするようになり、より男性向けデザインと近いタイプのものを着用するようになった。[前掲: 98]

 この辺りの分析は、まさにオートエスノグラフィーらしいものと感じました。というのも、本人の意識とその変化に注意が向けられているからです。また、その変化が「ボディボードからショートボードへ」という状況の移行と関連しているところが重要です。それはサーファーたちの意味世界の理解でもあるからです。

 この章の最後に出てくる「ローカルの優位性」というエピソードも、水野さんがショートボードに乗り換えたからこそ、理解できたことだと思います。

 サーファーの世界では、地元(ローカル)のサーファーに配慮すべしという規範があるそうです。ショートボーダーである水野さんがローカルのボディボーダーの女性から威嚇を受けたことで、ショートボード、ボディボードの序列を上回る「ローカルの優位性」が理解できたというわけです。

■ライフスタイルの変化

 水野さんは別の大学院への進学にともなって、1997年に東海地域から関西地域に移住しています。ボディボードからショートボードへの転向は、移住後の1999年で、この頃にはネットで知り合った女性サーファーとの付き合いが始まったそうです。したがって、第Ⅱ部の第5章の内容は、この時期の経験が含まれていることになります。

 2000年にはプロサーファーとの出会いがあり、短期移住して生活をともにする経験をします。2002年には海外の合宿にも同行し、プロサーファーのシビアな世界を味わうことになります。

 さぞ濃密な時間を過ごしたのだろうと推測されますが、このあと、就職や結婚、引っ越しにともなって、サーフィンから遠ざかざるをえなくなったそうです。その一方で、2005年から2008年にかけて、海外でサーフィンをする女性たちの調査を断続的に行なって「サーフィンにはある程度満足をした気持ちになりつつあった」[前掲: 131]と言います。

 しかし、2011年の東日本大震災があり、退職、再就職、離婚など、プライベートでも激動の時期に入り、サーフィンに行く気力もなくなったと告白しています。

 このように第Ⅲ部は、水野さんのライフスタイルの変化をともなう浮き沈みの時期を扱っています。

 どん底の状況から立ち直るきっかけと、その後の経過が第7章で扱われています。この章では、サーフィンに関する国際学会や、国際イベントで受けた衝撃、出会いから得られたオルタナティブなサーフィンの可能性について考察されています。

■この本の目的は何だったのか

 この本の目的はなんだったのでしょうか。

 この本の目的について、私は「女性サーファーが置かれた状況の分析だと考えるといいと思う」と書きました。これは「この本の内容を理解するためには、こういう目的の本だと考えておいた方が分かりやすい」あるいは、「説明しやすい」と思って、私が勝手に要約して言ったことです。

 「本書の目的」が書かれた場所はちゃんとあるので、見てみましょう。

こうしたことから、本書の目的は、サーフィンという社会的世界におけるジェンダー問題を調査者自身の経験を通じて明らかにすること、さらにはスポーツの経験をスポーツの行為そのものの肉体的次元のみならず、それを取り巻く日常生活まで包括的に扱う視点を提供し、その有効性を示すことにある。[前掲: ⅱ]

 「サーフィンという社会的世界におけるジェンダー問題を調査者自身の経験を通じて明らかにすること」というのは、私が言った「女性サーファーが置かれた状況の分析」と同じことを言っているように思います。しかし、それを明らかにするのは何のためなのか、よく分かりません。

 あるいは、それは自明なことなのかもしれません。サーファーたちは波乗りそのものが楽しくて「ただサーフィンがしたい(I just want to surf)」[前掲: ⅰ]と願っているのに、なかなかそういうわけにはいきません。

私も他の多くのサーファーと同様に「ただサーフィンがしたい」と思ったが、それは日常生活からの逃避という意味あいに加えて、「女性」のサーファーであることを繰り返し迫られることへの抵抗感も含んでいた。[前掲]

 そして、この本のタイトルは「ただ波に乗る」です。純粋にサーフィンがしたいという思いを妨げるもの、その正体を明らかにして、「ただ波に乗る楽しさ」を享受できることを目指す。それが本書の目的なのだと言えるかもしれません。

 しかし、「ただ波に乗る楽しさを享受できる条件を明らかにする」というのは、目的として大きすぎるし、一般的な答えを出すのは難しいでしょう。

 それなら、もう少し目的に工夫をする必要があります。そのために、根本的なところを掘り下げて考えてみましょう。「ただサーフィンがしたい」とはどういう意味なのでしょうか。

 登山家がなぜ山に登るのか問われて「そこに山があるからだ」というのは格好いいですが、そんなわけはないでしょう。何か登りたい欲求があって、それを満たすために山に登るのです。

 しかし、実は欲求というのは説明のつかないものです。自分の欲求を満たすためには他人の協力を得る必要があれば、そのために、あれこれ理由をつけて、相手を納得させなければなりません。そうやって作り上げられる動機とは、欲求そのものではなく、便宜的に作られたものです。

 便宜的に作られたものでも、言った本人がその気になったり、自分で納得するといったこともあるでしょうが、説明しきれない部分というのは、必ず残ってしまうものです。むしろ、語ることで語れない部分が作られるのは自明の理なのです。

 それなら、いっそのことブラックボックス扱いして、中身を問わないままに議論を進めていくのも一つのやり方です。

 欲求の中身を問わないとして、どうやって議論を進めていけばよいのでしょうか。「ただ波に乗る」ことの意味を問わないのであれば、「ただ波に乗る」ためにクリアしなければならない条件と、その達成を邪魔する構造を明らかにすることです。

 サーフィンを始めるには、まず行きつけのサーフショップを見つける必要があるように思われます。一緒にサーフィンをする仲間を見つけて、サーフィンに適した波を見つけるノウハウや情報を得たり、移動手段を確保する必要があるでしょう。もちろんサーフィンの技術そのものを習得する必要もあります。

 サーフィンを続けていくには経済的な問題もあるだろうし、家族との関係も出てきます。一緒にサーフィンをする仲間との関係を良好に保つこと、集団に適応していく必要もあるでしょう。その上で、女性であることでぶつかる問題もあります。

 このように考えてみると、今あげたようなことは、この本の中にすでに盛り込まれています。その中心に当たるのは第Ⅱ部になります。

■もう一つの目的とオートエスノグラフィー

 しかし、それなら第Ⅲ部は何のためにあるのでしょうか。先ほど「本書の目的」の部分で見たように、この本には「スポーツの経験をスポーツの行為そのものの肉体的次元のみならず、それを取り巻く日常生活まで包括的に扱う視点を提供し、その有効性を示す」という目的がありました。この二つめの目的を述べた後に、次のような文章が続きます。

このことは、スポーツの世界のジェンダー問題を把握し、また是正をめざす際に、オートエスノグラフィーがいかに有効な手段であるかについても明らかにするだろう。[前掲: ⅱ]

 「このこと」とは「スポーツの経験をスポーツの行為そのものの肉体的次元のみならず、それを取り巻く日常生活まで包括的に扱う視点を提供し、その有効性を示す」ことであり、それがつまりオートエスノグラフィーという手法のことなのでしょう。

 しかし、それをあえてオートエスノグラフィーと言う必要はあるのでしょうか。これまでの回で何度となく指摘してきたように、フィールドワーカーが参与観察にこだわるのは、状況の分析をするためです。目の前で起きていることをまさに目撃すること、また、言語化が難しいことを、自分自身が巻き込まれて経験するためです。

 つまり、ここで言われているような「包括的な視点」は、フィールドワーカー自身がフィールドの日常の状況に埋め込まれていることで、すでに備わっているように思われます。なら、そこでさらにオートエスノグラフィーと言って、自己の位置付けを強調しなければならないのはなぜでしょうか。

 その答えを探るには、本全体の構成の中で第Ⅲ部がどのような意味を持っているのかを考える必要があるでしょう。

 第Ⅲ部の内容は、一つ目の目的に対応しているとは思えません。とすれば、もう一つの目的にかかわっているはずです。しかし、第Ⅲ部だけを取り出して、もう一つの目的に対応しているとも考えにくいのです。

 第Ⅲ部始めの第6章はプロサーファーたちとともに行動した経験を振り返りながら、サーフィンの世界で高みを目指す女性たちの姿が描かれており、これはこれで貴重な記録だと言えるでしょう。しかし、この章の結びは、やや唐突に、水野さんの個人的な事情でサーフィンから離れざるをえなくなったことが告白されています。

 第7章では、水野さんが新たに出会った世界、サーフィンとの関わりを取り戻していくきっかけとなったエピソードが紹介されています。終章では、こうした経験を得た後に改めてこれまでのことを振り返り、自分が感じていた困難さは何だったのか、そして、それを乗り越えていくために必要なものは何なのかが考察されています。

 本書を全体として総括すると、サーフィンの研究者である水野英莉という人物が、サーフィンの研究とどのように折り合いを付けていったのかがテーマになっていることに気づきます。

 第Ⅱ部は研究論文的な枠組みで事例を分析する内容になっています。しかし、これ自体が水野さんにとってのこの時期の出来事との折り合いの付け方であり、サーフィンの研究をする自分自身が、サーフィンの研究にこだわり続ける中で経験したことの一つの表現であるというわけです。

 鵜飼さんは自著を「私エスノグラフィー」と評していました。しかし、水野さんの「オートエスノグラフィー」とはまったくの別物です。鵜飼さんの『大衆演劇への旅』は研究者としての鵜飼正樹は表舞台に姿を現さないような書き方になっており、あくまで「南條まさきの1年2ヶ月」として閉じられた世界でした。それに対して『ただ波に乗る』は、研究者である水野さんの人生そのものが扱われています。

 このような自己の位置付けがあるがゆえに、「オートエスノグラフィー」という宣言が必要になったのでしょう。

■フィールドワークの成果をまとめる難しさ

 この本を読み終えてつくづく感じるのは、フィールドワークの成果をまとめることの難しさです。私が15年前に水野さんの論文を読んだ頃、私自身もフィールドワークの成果をどうやってまとめたらいいのか悩んでいました。苦労の痕は認められるものの、これを真似しても、自分の研究の指針にはならないというのが正直な思いでした。

 もっとも、前回の前田さんの論文や著書にしても、研究成果のまとめとして完成度の高さは感じるにしても、自分の研究の参考にはならなかったのが実際なので、水野さんの研究が特にどうという話ではないのかもしれません。

 フィールドワークの成果をまとめるのは、どうして難しいのでしょうか。一つには、調査そのものに長い時間がかかってしまうということが考えられます。

 参与観察にこだわる理由は、状況に巻き込まれなければ明らかにできないことをとらえたいがためでした。しかし、日常というのは平穏なものです。「これは」という事件がいつどこで起こるのかは分かりません。いつ起こるか分からない、強烈な気づきをもたらす出来事に遭遇するために、長期間・長時間に及ぶフィールドワークが必要になります。

 また、せっかくそのような出来事が起こったとしても、そのことにフィールドワーカー本人が気付けないこともあります。ずっと時間が経ってから、いろんな経験をした上で、「そうか、あの時のあれはこういう意味があったのか!」とようやく気づけるといったことも珍しくありません。

 なぜこのようなことが起こるのでしょうか。フィールドでは楽しいこともあれば、つらいこともあります。楽しいことがあれば、私たちはそれを楽しむことに耽ってしまい、その意味をわざわざ疑おうとはしません。つらいことがあれば、目を背けてしまうものです。

 対象から距離を置かなければ、出来事を冷静に分析できません。しかし、対象と距離をおいていては深い理解を可能にするような出来事とめぐりあえません。このジレンマは参与観察という方法から切り離すことのできないものなのです。

 私たちはふだん、このようなジレンマを避けて暮らしています。毎日楽しく暮らせる方がいいし、つらいことからは距離を置きたいものです。それゆえに「よく知っているはずなのにうまく説明できない」、「何かおかしいのに、何がおかしいのか分からない」という状態に陥ってもがくことになります。

 フィールドワーカーだからといって、このような状態に陥らないわけではないし、このような状態から抜け出しやすいわけでもありません。フィールドワーカーはただ、そのための努力をするだけです。そして、そのような努力をするのは、それを誰かに伝えるためです。

 フィールドでの出来事を誰かに伝えようと思ったら、対象と向き合う必要があります。その際、伝えたいことのスケールに合わせて、どの程度距離を置くのか、どうやって距離を置くのかを定めねばなりません。それは単なる距離ではなく、自分自身の姿勢を定めることでもあります。

 それがこの本では「オートエスノグラフィー」を宣言することだったのだと思います。

■目的ははたされたのか

 この本には二つの目的がありました。これらの目的は、はたされたのでしょうか。

 正直に言って、私にはよく分かりません。この本を成立させるために、オートエスノグラフィーを宣言する必要があったことは理解できますが、その有効性とは何だったのでしょうか。

 オートエスノグラフィーと言わなくても、参与観察はフィールドワーカー自身を巻き込んだ状況の分析を提供できるし、第Ⅱ部はその目的をはたしていると思います。オートエスノグラフィーを宣言しなければならなかったのは、第Ⅲ部を含めて一冊の本にまとめるためだったと考えられます。

 二つめの目的は、一つめの目的をはたすためにオートエスノグラフィーが有効であることを示すところにあるわけですから、オートエスノグラフィーが一つめの目的をはたすために役に立ったかどうかを見る必要があります。

 第Ⅲ部は一度はサーフィンから離れざるをえなかった自分が、再びサーフィンとの関わりを持てるようになる過程を描いています。その経験から、自分が感じていた困難さは何だったのか、そして、それを乗り越えていくために必要なものは何なのかが考察されているので、第Ⅲ部を経由して、この本全体のテーマが終章で回収されていると言えそうです。

 しかし、この結末にたどり着くためにオートエスノグラフィーであることを宣言する必要があったのかどうかには、やはり疑問を感じます。もちろん、研究書として方法論的な議論をする意義はあります。また、論文的な色合いの濃い第Ⅰ部・第Ⅱ部と、個人誌的な第Ⅲ部を接合するためにも、方法論的な議論を行い、オートエスノグラフィーとして構成する必要があったのでしょう。

 要するに、オートエスノグラフィーであることを宣言することは、研究書として成立するために必要なことであり、エスノグラフィーを名乗るためにも有効だったことになります。

 フィールドワーカーはエスノグラフィーであることにこだわり、エスノグラフィーである条件には自己の位置付けが関係しているという話をしてきました。しかし、もしかすると、こだわっているのはエスノグラフィーであることではなく、「フィールドワーカーであること」なのかもしれません。

 二つの世界を往き来し、フィールドで知ったことを伝える存在であることにこだわっているのだとすれば、問われるのは「フィールドワーカーでありたい自己」の位置付けです1)

 オートエスノグラフィーとは、自分の内面を中心に据えることでようやく語りうるような困難の行き着く果てであるように思われます。そして、この手法が有効であるか否かは、他の研究との関係でいずれ浮き上がって来るようなものであり、一冊の本の内容のみからは証明されえないでしょう2)。(2023年3月31日(金)更新)

参考文献

藤田結子、2013「オートエスノグラフィー」藤田結子・北村文編『現代エスノグラフィー——新しいフィールドワークの理論と実戦』新曜社。

水野英莉、2005「女性サーファーをめぐる『スポーツ経験とジェンダー』の一考察——『男性占有』の領域における居場所の確保」『ソシオロジ』154: 121-138。

水野英莉、2020『ただ波に乗る Just Surf——サーフィンのエスノグラフィー』晃洋書房。

第7回 『フィールドワークの物語』を読む

 

■別に読まなくていい今回の独り言

1)「結局フィールドワーカーって何?」って話だし、「フィールドワーク論」なのだから、この指摘はもっともなものだ。それに、「フィールドワーカーである」ためには、フィールドとホームそれぞれに対して、どうあるべきかを調和させなければならない。

2)どんな形であれ、書かないことには評価されないんだから、無茶苦茶なこじつけでも出していけばいずれ何かが得られるだろう。そうやって言説の裾野を広げていくのがエスノグラフィーというジャンルの役割でもあるのかもしれないが……。