怠け者の社会学

第12回 飯場労働の労使関係

■使用者の基準

 この読み物では「搾取を生み出す労使関係を見直せば『望ましい労働』が手に入るなどということはない」という立場から議論を進めますが、これを検証しようとしても、「労使関係を変えてみたり、取り除いたりしてみて労働の価値が変化するか否かを見てみる」という実験を行なうことが現実にはできません。そこで、ケーススタディを通して、現実を腑分けするように見ていく必要があります。

 ここでは基本的な情報として、飯場労働の労使関係について確認しておきましょう。といっても、われわれは既に「第3回 使用者の基準」でこれについて見てきています。

 飯場労働者に仕事を与え、現場で実際に使用する人間をここでは「使用者」と読んでいます。この使用者と飯場労働者との関係をここでの「労使関係」としておきます。

 「関係」という言い方は曖昧だったかもしれません。僕は両者の関係を「権力関係」だと考えています。権力関係とは誰かが誰かに言うことを聞かせることができる関係のことを指します。この場合、言うことを聞かされる側の人間の意思がどうであれ、そのようにできるという点が重要です。言うことを聞かせる側の人間は聞かせられる側の人間の事情や考えなどを知る必要がありません。

 もちろん、労働者がどのような技術や経験を持っていて、どの程度の体力があるのかなど、労働力としての質を考慮して実際の作業の段取りや役割を決定することはあります。しかし、これは労働者ごとのバラツキはあるものの、労働者が一定水準以上の労働力を備えていることを前提としています。

 何を当たり前のことを言っているのかと思われるかもしれません。働くということは労働の対価として賃金を得るということであり、働く以上その労働をこなせるだけの労働力を提供できることは労働者側の責任であり、これは両者間で共有された約束事なのかもしれません。

 しかし、実際のところ飯場労働の場合この約束事がかなり曖昧です。これまでさんざん強調してきたように、飯場労働とはさまざまなことをさせられる仕事です。「何をどこまでやればよいのか」はその都度使用者が決める部分が多く、労働者が持ち合わせておくべき「一定水準以上」の水準は、たとえ全般的に低いながらも変動するものなのです。

■それは飯場労働だけの問題か

 ところで、それは飯場労働だけの問題でしょうか?例えばサービス残業というものがあります。これは時間外労働が常態化していることを問題視して生まれた言葉です。また、やるべきこととして定められた本来の仕事にプラスαで働くことを求められる場合があります。これを「フリンジ・ワーク」と言います。「フリンジ」とは例えばペルシャ絨毯のはしっこに付けられたびろびろの部分のことで、このびろびろの部分は敷物としての絨毯本来の機能を超えた飾りです。これらの言葉に見られるように、労働者が最初の約束事以上に働かされることは一般的に起こっている問題のようです。

■飯場労働に特有の問題

 約束事以上に働かされることは飯場労働だけの問題ではないことを述べました。一般的に労使間に権力関係があることが言えそうです。どんな仕事でも同じように起こることなのだということにしてしまえば、扱う事例の一般性が確保できて結構なことのように思えます。どんな仕事について見てみても共通する問題として議論することができるからです。

 しかし、だからといって扱う事例が飯場労働では納得がいかないとは言わないまでも、ちょっと特殊すぎるんじゃないかという声が聞こえてきそうです。やっぱり、飯場労働の場合にのみ起こりうる問題があるのではないでしょうか。そもそも飯場や日雇い労働者や寄せ場というのが「特殊」だと思われるようなものでなければ、僕の書いたものなんて誰も読んでいないはずです。

 まず、基本的なことから考えてみましょう。寄せ場とは路上求人が慣習化している場所のことを言います。その場所に行けば労働力を必要としている人が来ていて、仕事に行くことができます。そして、ここで紹介される仕事は基本的に日雇い労働のような短期的な雇用によるものです。そもそもなぜ路上求人などに頼るかといえばその日急に人間が必要になったからで、正規のルートで探していては間に合わないので場当たり的に解決を図ろうとするからでしょう。人手が足りないからその辺にいる人間に声をかけてとりあえず引っ張っていくわけですね。このような場所とやり方が大きくなって、定着すると釜ヶ崎や山谷のようになるのでしょう。

 だんだんやり方が大きくなると、人を集める人間と、集められた人間を実際に使う人間が一致しないということが起こってきます。後者はこの読み物でいうところの「使用者」ですが、前者は「手配師」とか「人夫出し」と言われる中間業者で、「人材派遣業」のような役割を果たすものです。ちなみにこの「人材派遣業」は違法なので、寄せ場や飯場の労働者は違法な手続きの下で働いています。要するに、約束事など最初から「なあなあ」です。

 しかも、使用者の方は「人材派遣業」の業者がその辺の約束事をきちんと処理してくれているものと思い込んでいたりします。その結果、現場に行ってみると労働者はいろいろ理不尽なことを言われながら働かなければならなくなります。そもそも、使用者は労働者が飯場や寄せ場といったところから働きにきていることを知らないし、飯場や寄せ場といったものがどういうものか、あるいはその存在すらも知らないかもしれません。

 同じ非正規労働でも、学生のアルバイトや主婦のパートなどの場合、労働者がどのような存在であるかはあらかじめ知られています。ステレオタイプ的な見方があり、また彼/彼女らのような労働力は決して少数派ではありません。彼/彼女らは奨学金や仕送り、(おそらくは正規雇用の)配偶者の収入を基本として生活しており、そのプラスαとして働いていると見られいるし、本人たちの多くもそのつもりで働いていると言えるでしょう。つまり、彼/彼女らの働き方はわりと一般的なものなのです。

 寄せ場のことを「隠蔽された外部」といって、一般社会から隠され外部に追いやられながらも一般社会のために利用されている場所だと位置づける議論があります。その存在を隠されていたり、知っていても見なかったことにしながら、利用するだけ利用しているという構造を問題視しているわけです。

 「隠され外部に追いやられながらも一般社会のために利用されている」という構造が、実際の労働現場ではどのような状況を生み出すのかをこれから見ていきたいと思います。(2010年6月26日(土)更新)



第13回 使用者の認識と飯場労働者の実態のすれちがい

別に読まなくていい今回の独り言

1)別にそうは考えてなかったけど、「怠け者の社会学」を書き進めれば書き進めるほど、僕がやっていることは「日雇い労働者のつくりかた」の続きで、むしろ「日雇い労働者のつくりかた」を本気で完成させようとしているように思えてくる。7年前から決まっていたのかな?……つか、7年も同じことやってるのか。

2)そもそも僕の方法論は個別具体的で特殊な事例をねちねちと細かく見て逆に一般性を確保しようというもののはず。

3)正規雇用に就きたくてもつけないフリーターや派遣労働者になると似たような問題の構造ができあがると言えるのかもしれないが、単純に寄せ場とフリーター・派遣労働者をひっつけて論じていいのかな?