怠け者の社会学

第2回 誰が怠け者か

 体験談を交えながら分かりやすく書くが売りであるはずの「日雇い労働者のつくりかた」なのに、第1回目は概念整理的なものになってしまいました。頭にああいうものを持ってきて果たして読者はついてきてくれるのだろうかと不安になります。しかし、概念整理としてはまだまだ不十分な気もしています。いったい第2回目は何を書けばいいのだろうかと多少途方に暮れていたのですが、「『怠け者』がどういう人間を指すのかについて、飯場労働者の事例をもとに検討して 」いくと書きましたので、そういうことにします。

■どういう人間が怠け者か

 寄せ場の労働者には怠け者イメージがあります。寄せ場という言葉になじみのない方はいわゆる「ホームレス」の人たちを思い浮かべてもらった方がわかりやすいかもしれません。「ホームレスは怠け者だ」とか「先のことを考えずにきたからホームレスになったんだ」という言説は巷に溢れています。日雇い労働者についても、何の本に紹介されていたのか忘れましたが、土方仕事をしている労働者を見かけた母子の会話で、子どもに対してその母親が「真面目に働かなかったら、ああいうふうになるのよ」と言い聞かせるという話がありました。「努力を怠ったがためにみじめな思いをする」という典型的な事例として日雇い労働者やホームレスの人達が見られていることがわかります。

 また、彼らは現在の暮らし自体、怠惰に過ごしていると思われがちですが、実際は怠けていてはホームレスは飢え死にしますし、日雇い労働で生計を立てていくのはそれなりに大変なことです。前の「日雇い労働者のつくりかた」で触れたように、〈現金〉仕事に行くためには午前3時とか4時に起きなければならないし、仕事が終わって宿に帰り着くのは20時過ぎということにもなりかねません。空き缶や段ボールなどの廃品回収で稼げるのはよくて一日1,000円そこそこということです。

 こういうことを言うと「でもあの人たちはそういう暮らしが好きなんでしょ」という反論が聞かれます。また「ああいう暮らしも自由でいいとも思う」と理想化されて語られることもあります。「組織に縛られていない」という点がよっぽどメリットに思えるのでしょう。

 「ああいう暮らしも自由でいい」という言葉は、あたかも「個人の選択の自由の行使権」を認める中立的な立場であるかのように聞こえます。「あの人たちはそういう暮らしが好きなんでしょ」というのも、相容れないまでもその在り方を認めているようです。しかし、それならなぜ「真面目に働かなかったら、ああいうふうになる」という蔑みの対象になるのでしょうか。

 違う考えをもった人のそれぞれ異なる意見だからと言ってしまえばそれまでです。しかし、よく考えてみると「ああいう暮らしも自由でいい」と言っている人も、実際に自分が同じ暮らしをしたいとは思っていません。この人たちはみんな日雇い労働者にもホームレスにもなりたくないのです。「彼ら」は「自分たちとは全く違った価値観や考え方を持った存在」として理解されているに過ぎません。

 これに「努力を怠ったがためにみじめな思いをする」という見方を加味すると、この人たちは「自分自身も怠けるとああなる」と考えているという構図が見えてきます。また、どこかで「怠けたい」という欲求を自分自身持っており、しかしそういう自分を認めてはいけないという恐怖感のようなものがあるのではないでしょうか。

■それでも彼らは怠け者かもしれない

 このように理解すると、日雇い労働者やホームレスを自分自身の恐怖心を包み隠すためのスケープゴートにしている(排除している)という構図が見えてきます。

 しかし、もしかすると彼らは「本当に怠け者かも」しれません。彼らは「我々とは違う人間」である可能性は捨てきれません。これを検討するためには彼らの実態に迫ってみる必要があります。

 そこで、ここでは彼らが労働現場でのどのような仕事にどのように取り組んでいるかについて見ていきたいと思います。言ってみれば、彼らの勤務態度を査定してみようというわけです(なんという上から目線)。

■何を評価するか

 さて、「彼らの勤務態度を査定する」として、この査定というやつはどのように行えばいいのでしょうか。査定というものは評価基準を設けた上で、その達成度を測るものです。それならまず、評価基準を明確にしなければなりません。

 我々が注目するのは、彼らが仕事を怠けているのか否か、怠けているのだとすればどの程度怠けているのかという点です。

 「怠ける」というのは「やるべきことをやらない」ということなので、「やるべきこととは何か」が問われねばなりません。そして、「やるべきこと」というのは使用者(実際にその労働者を使って仕事をする人。雇用者)が決めることです。

 そこで、まず使用者は労働者にどのように働いて欲しいと考えているのかを探っていきましょう。(2009年8月22日(土)更新)

第3回 使用者の基準

別に読まなくていい今回の独り言

1)「彼らの勤務態度を査定してみよう」などとわざわざ露悪的な書き方をしてしまうのは何となくその方が楽しいからだが、何が楽しいのだろうか。「査定してみよう」という上から目線で入っていった方が、その思い上がった態度がひっくり返る時に痛快だからかな。

いや、そもそも、人のことを「怠け者」ということ自体が上から目線を含んでいて、「査定」という言葉を使う方がその構図をはっきりさせられるからかな。

2)結局今回も体験談までたどり着いていないけど、まあこの辺が話のテーマ的に区切りとしてちょうどいいから仕方ないか。