怠け者の社会学

第7回 怠け者の創出

■集団的な現象として見るとはどういうことか

 前回は「怠け者というのは実際にその人がどうであるかということとは無関係に作りだされている」ということについて確認しました。今回は怠け者を作り出すことを集団的な現象として捉えます。

 集団的な現象として捉えるというのはどういうことかと言いますと、「自分たちとあいつ(ら)は違う」という認識をお互いに共有しようとする実践として怠け者の創出を見るということです。

 何だか却って難しい言い方になっているような気がします。別の説明の仕方を考えてみましょう。

 誰かが「あいつは怠けてばかりだ」と不満に思っているだけだったらそれだけで終わりです。しかし、「あいつは怠けてばかりだ」と他人に語りかけ、「怠けるのはいけないことだよな?」という合意を取り付ければ「じゃあ、あいつは仲間はずれにしようぜ」という排除の基盤が出来上がるわけです。集団内に他者を排除する準備が出来上がるのです。

 ここには2つの意味があります。1つは怠け者を排除すること。もう1つは自分たちは怠け者ではないと確認することです。怠け者を排除する主体となることで、怠け者ではない「勤勉な主体」が立ち上がってきます。そして、この「勤勉な主体」は「勤勉であらねばならない」という規範を背負った主体でもあります。

 やっぱりわざわざ難しい言い方をしてしまうのですが、ここは大事な所なのである程度ややこしい言い方をしておきます。

■誰が怠け者になるのか

 すでに述べたように、怠け者とされる者たちは実際怠けているとは言いがたいようです。実際に怠けているか否かが解明されたわけではないのに、一方的に怠け者ということにされてしまいます。

 誰が怠け者とされるのかについて第2回と第3回で検討しています。労働者は使用者の段取りの曖昧さや不測の事態を補う責任を一方的に負わされており、この責任を果たそうとしなかったり果たせなかったりすると勤勉さを欠くものと評価されてしまいます。

 つまり、段取りの中の穴を適切に埋めることが求められており、それがうまくいかないと責められてしまうわけです。前回、給油車待ちをしていた僕が「サボっていた」とからかわれた事例を紹介しました。この事例が典型的だと言えるでしょう。倉田さんの例にしても「仕事について来れないこと」を一方的に批判する際には「怠け者」を見るまなざしが用いられています。

 「仕事について来れない」要因には個人の資質の問題以外に、適切な判断を下すための情報が与えられているかどうかとか、指示は適切かどうかとかいろんなものがあるはずです。しかし、そういった使用者側の責任を追及することが飯場労働者には出来ないため、結局、飯場労働者間でも「怠け者の批判」という形でスケープゴートを生み出すことでつじつまを合わせているのです。

■怠け者批判の抽象化

 怠け者を生み出すことは必ずしも具体的な出来事についてのみ起こるわけではありません。特別何か失敗をしたことについて責められるのではなく、漠然とバカにされるということが起こります。「こいつは怠け者」ということが決まっていて、別に何もしていない時でもバカにされてしまうのです。これはいじめみたいなものかもしれません。

 柿田さんという労働者がいました。年齢は40歳前後くらいに見えました。元々は運送屋の運転手をしていたそうで、通いで飯場で働きはじめてそう長くは経っていないようでした。最初、2人で同じ現場に行ったせいもあって、その後も彼とは結構仲良くやっていました。

 ちょっと神経質っぽいところがあって、仕事中に「わし、いろいろ言われたら頭がイライラしてわからなくなるんや」と愚痴を言っていたことがありました。基本的に真面目に働く人でしたが、判断がもう少し行き届いていない印象でした。この点については他の人も感じていたようで、いくつかエピソードがあります。

 例えば、前回の事例にも出てきたコンクリ打ちの作業で、その時は柿田さんが軽トラの運転手をしていました。コンクリ打ちの作業は丸一日続くこともあって、朝から夕方まで何回かミキサー車に折り返してコンクリを運んでもらっていました。折り返すと30分くらい時間がかかるし、コンクリ打設作業そのものにも一定時間がかかります。コンクリが切れてミキサー車が折り返すタイミングが昼食休憩にかかりそうな場合やすでに昼食休憩時間に食い込んでいる場合、作業再開を休憩明けまで遅らせる必要があります。

 この確認をされるのは必然的に軽トラの運転手になります。その日は昼前の微妙な時間に一度ミキサー車が空になりそうでした。そのまま折り返してもらうと昼食休憩中まで作業が食い込んでしまうので、昼食休憩まで多少時間が空いていたとしても、13時再開にするべきだったのですが、柿田さんは12時半からにしてしまい他の仲間から不評を買っていました。

 小宮さんは10年以上この飯場で働いている古株の労働者であり、前回述べたようにこの現場では「職長」を任されており、労働者の仕事の振り分けの決定権を持っていました。

 今やっている作業が終わったら柿田さんを連れて車でリングロード外の資材置場にメッシュを切りにきてくれと小宮さんに言われる。作業をしていると僕だけ先に小宮さんの車で行くようにと追加の指示を受ける。森さんが「あいつ(1人だと)道が分からんのやないか」と言う。「柿田さん結構方向オンチですからね……」と僕が言うと、「返事だけは威勢いいけどな」と小宮さんが言った。

 とにかく僕は行くことになるが、15時だったので先に休憩になる。休憩所に向う車中で、「あいつ(柿田さん)○○(同じ現場だが、仕事がきついと言われている別の会社)に回したろうか」と小宮さんがポツっと言う。

 休憩所には苅田くん、桜井くん、浅井さんがいた。苅田くんと桜井くんと小宮さんがかき氷を賭けてジャンケンしていて、桜井くんが負けてかき氷をおごらされていた。職長会でもジュースを賭けてジャンケンをするらしく、「でも一番弱いのは鶴田さんや。2,000円とんでった〜とかよく言っとるで」と小宮さんが言う。3人のやりとりを黙って聞いていたら、「わしは1,000円しか持ってないけどやるで」と小宮さんが僕に向かって言う。「強気ですね」とコメントする。

 小宮さんがまた「(こいつは)すぐ休もうとする」と言ってからかってくる。「柿田といっしょになってな」と小宮さんがさらに言うと、苅田くんと桜井くんが一緒になって笑う。 (2004年8月5日(木)のフィールドノート)

 ここでの「すぐ休もうとする」は「サボろうとする・怠けようとする」というニュアンスで言われています。給油車待ちで「サボっていた」と揶揄されて以降、また揶揄されるようなことには覚えがありません。また、僕と柿田さんは一緒に作業する機会が多かったものの、一緒に休んだりサボったりしたような事実もありませんでした。

 柿田さんが今ひとつ気が利かないということについて話をしたばかりだし、僕と2人でいる時に小宮さんは柿田さんに否定的なコメントをしていました。柿田さんとセットにして「すぐ休もうとする」とからかうのは、明らかに僕を侮蔑しようとしています。

 また、これが僕と小宮さんとの個人的な関係で起こったことではなく、飯場の他のメンバーがいる前で行われたということに注目したいと思います。「賭けジャンケン」を目の前でしたあと、ふいに筆者を対象としたからかいが投げかけられ、賭けに参加していたメンバーから笑われました。賭けに参加していたメンバーにとって、僕と柿田さんは仲間外の存在であることが暗に指摘されていたわけです(賭けに誘われないということも暗に仲間と仲間以外の線引きを目の前でされていると解釈することもできます)。

■「われわれ」と「やつら」

 契約を終えて、荷物をまとめて飯場を出て行く労働者の姿を見かけて倉田さんが何度か「3、4日もすればまた戻ってくるわ」と言っていました。いい意味では言ってないなと思って、「パチンコで負けたりして?(すぐに有り金を使い果たしてまた飯場に入ってくるという意味ですか?)」と訊くと、「そうや、俺は分かる」という答えでした。

 倉田さんに限らず、固定層は流動層のことを苦々しく思っている所があります。頻繁な出入りをくり返す流動層は仕事の現場をかき乱す存在でもあるからです。流動層にそのつもりはないのでしょうが、現場について知らないために足をひっぱったり、勝手な判断をしたりするので、固定層は迷惑を被ることが多いのです。その現場での留意事項を説明して、ようやく理解してきたかという時期には契約を終えて出て行くのですから、固定層の気持ちも分からないではありません。

 しかし、人夫出し飯場という制度自体がそうやって日々の人員調整をすることで利益を得ているのですから、流動層を責めるのは筋違いなことです。少なくとも、これは流動層に責任があるわけではありません。

 それは分かっていても、やはり実際に現場で気になるのは流動層の働きぶりで、「もうちょっと何とかならないのか」と固定層は思ってしまいます。これは固定層/流動層の問題というよりは、その現場において責任を負わされているか否かという問題で、固定層は流動層に比べて責任を負うポジションに置かれやすいということです。

 僕自身、いっしょに働いた〈現金〉の労働者が些末なことにこだわってしつこく質問してきたり、忙しい時に空気を読まずにのんきなことを言われたりしていらいらした経験がありました。もっとも、彼らが(こちらにとっては)「些末なこと」を気にするのも空気を読めないのも初めてきた現場のことがわからないからなのですが、そういった彼等の事情を斟酌して対応する余裕がこちらにはありません。仕事が増えて流動層が増える時期に、「だんだん言うこと聞かん奴ばっかりになってくるわ」と固定層の労働者がこぼしていたことがあります。「頼むから言われたことだけやっててくれ」「言われたことをちゃんとやってくれ」と思います。

 こうなってくると使用者が飯場労働者を使う際の事情に近づいてくるのが不思議ですが、この点については今は措いておきます。

 現場ではこのようにして問題が発生します。そして、その問題は個人が悪いわけではないにも拘らず、実際の問題が具体的な人間関係の中で生じるし、構造的な問題は目に入りづらい上に追及しにくいので、わかりやすく個人の責任に転嫁されやすいというわけです。

 固定層と流動層の間の意思疎通の困難は、出入りの激しい流動層の就労パターンから生じるので、流動層一般を「われわれ」とは違う「やつら」として対象化することにつながります。そして、「やつら」が仕事の円滑な進行を妨げる理由として「怠け者だから」というレッテルが貼られます。

■いよいよ大詰めか

 今回は怠け者が創出される背景について見てきました。怠け者の排除について、だいぶ説明できてきた気がしますが、まだいくつか説明できていない点がありそうです。

 まず、責任転嫁する際になぜ「怠け者」というカテゴリーが用いられるのでしょうか?別に「無能だから」とか「バカだから」とか、ネガティブな言葉はいくらでもあります。「怠け者」というカテゴリーが用いられるには何か合理的な理由があるのではないかと思われます。

 それから、これまで見てきたことはどのような意味で「怠け者の排除」だと言えるのでしょうか。確かに、怠け者が創出されるメカニズムや怠け者というレッテルは根拠を欠いていることなどは明らかにしてきましたが、怠け者が排除されるかどうかまでは語っていません。

 残りの回でこれらの問題を片づけていきましょう。(2009年9月23日(水)更新)



第8回 怠け者の効用

別に読まなくていい今回の独り言

1)あー。何かしんどいな……。

2)んー?いじめって何だ?どういう現象なんだ?

3)これ書くの何でこんなに時間かかるんだろ?この回に関しては書くべきことは比較的はっきりしているはずなのに、ものすごくしんどい。これが必要なしんどさなのだと考えれば、この議論そのものもそれだけ語り切る意味があると開き直れるけれど。

4)他の労働者のことを「判断が行き届いていない」とか書くと「上から見ている」みたいな批判が来るんだろうか。そんなこと言ってたら何も書けないんだけどね。

5)書いても書いても終わらん……。いつ終わるんだろう。