野宿者支援の社会学
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第1回 野宿者支援とは何か とりあえずの前書きを書いて、とりあえず書き始めてみようとしたところ、まず第1回目のタイトルを考えなければならないことに気づきました。「野宿者支援の社会学」だし、初回は「野宿者支援とは何か」でいいのではないかと安易に考えて、もしかしてと思って「怠け者の社会学」を見直してみたら、「怠け者の社会学」の初回も「怠け者とは何か」でした。昔も今も同じくらい安易なようです。 ■野宿者とは誰か さて、野宿者支援とは何でしょうか。字義通りにとれば、もちろん野宿者を支援することです。では、野宿者とは何でしょうか。これもまた字義通りに取れば、野宿者とは野宿する人です。しかし、一人バイクでツーリング中にテントを張ってキャンプしているとか、終電を逃して仕方なく駅で一夜過ごす人たちのことをわざわざ野宿者とは言わないでしょう。野宿者は、ある程度恒常的に野宿生活を送る人たちのことです。 また、何らかの事情で野宿以外の選択ができない、あるいはしない人でしょう。お金が十分にあるなら、何も野宿しなくとも、ホテルや民宿などに泊まればいいことです。帰る家があって、帰ることができるなら、帰って休めば良いだけの話です。それが出来なくて一時凌ぎで野宿をするということはありうるかもしれませんが、それだけではわざわざ「野宿者」という肩書きを背負ったり、そのように名指されたりすることもないでしょう。 ここまでのところを整理すると、野宿者は、何らかの事情で野宿生活が恒常的になっている人であり、また他人からそのようなカテゴリーを当てはめられたり、自分自身がそのようなカテゴリーを引き受けなければならなくなった人ということになります。 ■野宿者は社会の厄介者 野宿者はなぜ野宿者というカテゴリーを当てはめられるのでしょうか。それは、この社会でそのような生活を送る人の存在が珍しいからで、そのような生活を送る人たちへの対応に、野宿者ではない人たちが困るからでしょう。そう考えると、野宿者とは社会の厄介者で、存在自体が否定的にとらえられている人たちであることになります。 今の日本社会では、このような人たちは野宿者ではなく、ホームレスと呼ばれます。野宿者が社会の厄介者であるとしても、自分の生活に関わりがなければ、対応を考える必要はありません。例えば、自分の家の庭だったり、玄関の前に野宿している人がいれば、さすがにぎょっとするのではないでしょうか。病気で行き倒れているのだとすれば、救急車を呼んだり、安否を確かめることを考えるのではないでしょうか。 しかし、事情を聞いてみれば、単にお金がなくて、泊まるところや帰る家がないので、たまたまそこで寝ているのだとしたらどうでしょうか。 親切な人であれば、ごはんを食べさせてあげたり、自宅に泊めてあげたりすることも、もしかしたらあるかもしれません。しかし、ずっとそうしてあげるというわけにはいきません。何か事業をしていて、ちょうど働き手を探していて、その人もその仕事がしたいというなら、渡りに船で一件落着ということもあるかもしれませんが、普通そんなことはありません。 「こんなところで寝られたら迷惑だ!」と追い出したり、場合によっては警察を呼ぶ人もいるかもしれません。そこまで行かなくとも、どこか他所で寝てくれるようにお願いするというソフトな対応もありうるでしょう。しかし、それは問題の先送りないし、たらい回しに過ぎません。その人が公園に移動したり、公共施設の敷地内や軒先で野宿するようになったとしても、それを迷惑に感じ、追い出そうという人は、どこに行ってもいるでしょう。 あるいは、役所に行って福祉を受けることを勧める人もいるかもしれません。生活保護という制度を知っていれば、生活保護を受けることを勧めるでしょう。 ■支援とは何か では、支援とは何でしょうか。野宿者に、どこかへ行ってくれとお願いするのは支援ではありません。それは単に問題を遠ざけたいだけです。ご飯を食べさせてあげたり、泊めてあげたりするのは支援でしょうか。追い出すことに比べると、その人の事情を慮って、手助けしていることになりますが、単に手助けすることを支援とは言わないでしょう。迷子になっている人を道案内することは、親切ではありますが、支援とは言いません。 それが支援とは言われるためには、何が必要でしょうか。まず、単なる親切は支援ではありません。親切はあくまで、心情的な動機でなされることだし、困っている人の存在に気づき、自分の裁量で行う偶発的な手助けです。迷子になっている人に道案内をしてあげたいから、道に迷っている人を探しに出かけていくなどという人はあまりいないでしょうし、それは親切というより自己満足に近いように思われます。 もちろん、自己満足で人助けをするのが悪いわけではありません。動機が何であれ、誰かの役に立つために計画的に行動するようになれば、それは支援と言っていいかもしれません。ボランティアは自分のためにやるものだなどと言いますし、ボランティア活動の目的が誰かの抱える問題解決に寄与するところにあるなら、それは支援と言っても良いはずです。 ■野宿者支援とは何か 野宿者支援は、そのような意味で野宿者を支援する活動のことです。これまでの話では、野宿者とは、何らかの事情で野宿生活が恒常的になっている人であり、そのような生活は、野宿者ではない人たちから迷惑がられるものです。そのような生活から抜け出す手助けを計画的に行うことが野宿者支援ということになります。 さて、これは本当でしょうか。◯◯支援と言った時、支援とは、◯◯に入る人たちの手助けをする活動であるはずです、手助けが必要なのは、その人たちが困っているからです。ところが、今言ったことをよく読み直してみると、この文章では、実は困っているのは野宿者ではなく、野宿者ではない人たちであり、野宿者のことを野宿者ととらえる人たちであることに気付きます。これでは野宿者支援とは言えないのではないでしょうか。 もっとも、「何らかの事情で野宿生活が恒常的になっている」こと自体が本人にとっては、すでに問題なのかもしれません。本人も社会の厄介者扱いされるような生活から抜け出したいと思っているかもしれません。もしそうなら、そのような生活から抜け出す手助けを計画的に行う活動は、野宿者支援と言っても良いでしょう。 ここで確認しておきたいのは、野宿者を野宿者という「厄介者」ととらえ、対応に困っている人たちの問題を解決するための活動は、決して野宿者支援ではないということです。 このようなややこしい話をしなければならないのは、私たちが普段、野宿生活をしている人たち、野宿者について深く考える機会がなく、この人たちについてほとんど知らないからです。 野宿者支援について考えるためには、どうやら、まず野宿者とは何なのかをもっと深く考えてみる必要がありそうです。(2021年8月15日(日)更新) |
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