野宿者支援の社会学

第2回 野宿生活とはどのようなものか

 前回のおさらいです。野宿者支援とは何かということを考えていくと、そもそも野宿者とは何かということを考える必要が出てきます。支援というのは、何らかの問題を抱えている人たちに対して、その問題解決の手助けをすることです(ここに計画性という要素が加わりますが、それについては、ひとまず措いておきます)。

 したがって、野宿者支援といった場合、困っているのは野宿者であり、野宿者が抱えている問題の解決の手助けをするのが野宿者支援ということになります。ところが、ここでの支援の対象である野宿者とはどのような人たちかということを考えると、本人の生活状況が恒常的な野宿生活であることが第一の条件ではありますが、それだけでは野宿者とは呼ばれません。ここでポイントとなるのは、誰がその人のことを野宿者と呼ぶのか、言い換えれば、誰がその人を野宿者(ホームレス)と認識するのかです。

 何らかの事情で恒常的な野宿生活を送る人がいたとして、その人が自分の生活に問題を抱えていると感じているかどうかはわかりません。大体、生活する上で何の問題も抱えていない人というのは、厳密には存在しないのではないでしょうか。誰しもが、多かれ少なかれ、生活上の不満を抱えていて、しかし「不満ばかり言っていても仕方ない」と自分の中で折り合いをつけて暮らしているのが実際だと思います。

 野宿者支援における野宿者とは、解決の手助けが必要となるような問題を抱えている人たちであることになります。しかし、前回見たように、実際には、困っているのは野宿者ではなく、その周囲の人たちの方かもしれません。野宿者支援と言いつつ、実際には野宿者の周囲にいる人たちの抱える問題を解決するために、その問題の元凶である野宿者の存在を無くしてしまおうというのが野宿者支援なのであれば、それを野宿者支援と呼ぶのは語義的におかしな話です。

 とはいえ、野宿生活には、個々人が折り合いを付けられる範囲を超えた問題、支援を要するような問題があるかもしれません。というわけで、野宿生活とはどのようなものなのか、困ることがあるとすれば、どのようなことであるかを、次に考えてみましょう。

■野宿生活で困ること

 野宿生活をしていると、いろいろ困ることがあります。例えば、これは野宿生活に限った話ではありませんが、人間が生きていく上で、水とトイレの問題はわりと優先順位の高いものです。水はまず飲料として必要不可欠ですし、料理をしたり、洗い物をしたり、顔や身体を洗うためにも必要です。普通に暮らしていると、蛇口をひねれば出てくるものなので、私たちはその重要性を普段意識しません。裏返せば、重要かつ根本的な問題であるがゆえに、普段意識せずに済むくらい、問題が起きないような整備が成されているのだと言ってもいいでしょう。

 トイレの問題も同様です。人間は生きているだけでお腹が減るので、食べ物をいかに確保するのかというのも重要な課題です。一般に「衣食住」と言われるくらいですから、食の問題は生活の基本的な要件ととらえられているのでしょう。しかし、生きるために食べたり飲んだりすると、好むと好まざるとにかかわらず、数時間後には排泄を行わなければなりません。外出先でトイレが見つからず困った経験というのは、誰しもあるのではないでしょうか。たかだか数時間でも、住んでいるアパートが断水して水洗トイレが流せないのはストレスを感じる状況です(都市で生活していれば、トイレというのは水洗トイレのことで、これは下水道ですから、これもある意味水の問題なのかもしれません)。

 というわけで、どこかで野宿をするとしても、水とトイレが近くで利用できる場所を選ぶ必要があります。ただ寝ているだけでも、夜中に何度かトイレに行きたくなるものです。その辺でこっそり済ませてしまうこともできるかもしれませんが、臭いが残るし、自分が出したものといっても不衛生であることは変わりません。公衆トイレや何かの施設のトイレが使えるとしても、歩いて5分、10分もかかる距離だと落ち着きません。

 先ほど「衣食住」という言葉にふれて、食の問題に言及しました。これらは生活の基本的な要件だと考えられているのだとすれば、野宿生活は、そもそも「住」というところに難を抱えているものと言えます。しかし、ここであえて水とトイレの問題をあげたのは、この二つが、野宿生活において個人の努力では解決が難しいものだからです。家賃を払うほどの収入がなくても、衣食の部分はいくらかのお金があれば何とかなります。食べ物や着る物は、選ばなければ、捨てられたものから調達することもできます。住の部分も、野宿という形で金銭的にはクリアできるのです。

 お金がないということは、現代社会で生きていく上で、さまざまな問題を引き起こします。ホームレス問題は失業の問題であると言われることがあります。これも、お金を得る手段としての仕事を失ってしまうと、いずれ家を失い、路上に放り出されるからで、結局はお金の問題なのです。

■問題解決の手段としての野宿生活

 野宿生活は、このお金の問題を解決する手段の一つであると言えなくもありません。まず、野宿すれば、家賃を払う必要がないので、その分のお金が浮きます。私たちの生活で、収入の何割かが家賃や光熱費に注ぎ込まれていることを考えると、思い切って野宿生活をするのも悪くないかもしれません。

 とはいえ、家がないことで困るということもあるはずです。まず、路上生活で持ち歩ける荷物の量は知れています。リュックを背負って、両手に持てるバッグくらいが、人間がその身体を使って持ち歩ける最大限の荷物でしょう。この三つの荷物のサイズや重量は、それを持ち運ぶ人の体力次第ということになります。

 もちろん、馬鹿正直に自分の身体のみを用いる必要はありません。自転車があれば、前カゴや荷台に荷物を載せることができるし、ハンドルや車体に袋を吊り下げることもできます。台車やカートなどを活用する場合も考えられるし、リアカーに載せてもいいかもしれません。ただし、車両が大きくなればなるほど、目立つようになるし、一緒に移動することも困難になるでしょう。

 荷物の問題を解決する抜本的な手段は、テント小屋を建ててしまうことです。テント小屋まで行かなくても、公共施設の軒下や雨風をしのげる橋や高架の下などを寝床にしてしまってもいいと思います。こうしてしまえば、生活はずいぶん楽になります。着る物にしても、季節の移り変わりに合わせて、使い分けなければならないし、洗濯したり入浴したりすることを考えると、着替えを持っておく必要があります。布団や毛布などの寝具も、寒暖に合わせて調整しなければなりません。

 荷物を置ける場所があるかないかは、野宿生活の質を大きく左右します。持ち運べる荷物の上限があり、生活に必要なものをその都度、入手しては捨てるなどしていては、大変なコストがかかります。対処できる範囲も限られてくるでしょう。テント小屋は、野宿生活を人並みの生活に向上させてくれるのです。

 もちろん、テント小屋はどこにでも建てられるというわけではありません。私有地に建てればすぐさま警察を呼ばれてしまうでしょうから、公園や路上、河川敷、先ほど述べた公共施設の軒下や雨風をしのげる橋や高架の下などの公共空間、すなわち、個人のものではなく、所有が曖昧な領域のなかから、あまり人の目が届かないところに目をつけて住み着く戦略が必要になります。確保できたのがトイレや水を使いやすい場所であれば、言うことはありません。

 荷物を置くだけなら、必ずしも寝床にする必要はありません。寝床は水とトイレが使いやすいところに設けて、荷物置き場をどこかに見つけるのもありでしょう。しかし、そうすると管理が疎かになってしまいます。盗難の恐れもあるし、何かの機会に処分されてしまう危険も考えられます。また、いちいち荷物を入れ替えるのも面倒だし、日頃目の届くところに置いておくのがベターだと思います。

■野宿生活は強いられたものか

 「野宿生活で困ることには、どんなことがあるのか」というところからスタートして、「実は野宿生活は問題解決の手段と見なせなくもない」という話をしました。とはいえ、野宿生活で困るのは水とトイレだけではないでしょう。安心して寝る場所が得られるのかとか、そもそも食べるものが得られないといったことは、すでに問題なのかもしれません。「野宿生活に陥ること自体が困っているのだ」というわけです。また、病気や怪我をした時に、お金や保険証がなくて医療にかかれないことも問題かもしれません。しかし、よく考えると、医療にかかれないのは野宿生活だからではありません。野宿をしていなくてもお金や保険証がなくて医者にかかれないという人はいくらでもいます。過酷な野宿生活は体力の低下を招き、健康を損ねやすくなるということはあるかもしれません。

 いつも難しいなと思うのは、この辺の理解をするときに、必ず飛躍がともなうことです。野宿生活を送るには、大変な苦労がともないます。安心して眠れる場所を見つけるのは大変だし、せっかくいい場所を見つけても、そこから追い出されたり、嫌がらせを受けることもあります。激しい気候や雨風をしのげる場所は限られているだろうし、体力や健康も損なわれて、苦しい思いをするとなれば、野宿生活にいいことなどありません。問題解決の手段としての野宿生活と言ってみたところで、それはもともと苦しい状況にあった上での、苦肉の策と言った方がいいかもしれません。「家賃払うの嫌だから野宿生活を始めよう」と考えられるほど楽な道ではありません。これらは野宿者に対する同情的な見方であり、その可哀想な境遇から抜け出す手助けをしたいというのが人情というまのでしょう。

 しかし、やり方によっては野宿生活には、やはり良い面もあるわけです。水道やトイレが利用できる公園で、しっかりしたテント小屋を作れば、暑さはともかく、寒さや雨風をしのぐことはできます。そこから会社に通うということは難しいかもしれませんが、何らかの手段で現金収入が得られれば、家を借りて、家賃を払うためにあくせく働く必要のない、わりとマシな暮らしができるかもしれません。

 「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」という法律があり、この法律では、全国の自治体が取り組まなければならないホームレス対策が定められています。その中に、就労自立の支援というものがあります。ホームレス問題はそもそも失業問題であるなら、家を借りて暮らせるだけの収入が得られる仕事に就ければいいわけで、そのような状態になることを「就労自立」と言っているわけです。

 もし本人が「野宿生活なんてまっぴらだ。まともな仕事をして家を借りて、安心して快適に暮らせるなら、それに越したことはない」と考えるのであれば、就労自立の支援は必要です。しかし、家賃や光熱費にかかる支出というのはバカになりません。「あくせく働いてギリギリの暮らしをするくらいなら、十分に整った野宿生活を続ける方がいい」と考える人がいても、不思議はありません。また、ホームレス自立支援センターのような施設に入所して仕事探しをしたとしても、「まともな仕事」が見つかるかどうかはわかりません。必死で仕事を探しても、どうにもならなかった上で野宿生活をはじめた人にとっては、支援すると言われても、就労自立に前向きになれなくとも不思議はありません。

 断っておきますが、「十分に整った野宿生活」を達成できるのは、野宿者のなかでも一握りの人たちだと思います。条件の良い場所は限られているし、野宿生活をしながら必要なものを手に入れられるようになるには、それなりの才覚や努力、それに運も必要になります。とはいえ、築き上げた野宿生活の継続を望む人がいる可能性は否めないわけです。

 「そういう人もいるかもしれないが、野宿生活はそんなに良いものではないはずだ」という意見もあるかもしれません。しかし、その人にとっては野宿生活の方が現実的かつ合理的な選択なわけだし、誰しもが、「不満ばかり言っていても仕方ない」と自分の中で折り合いをつけて暮らしていることを考えれば、それも一つの生き方として認められてもおかしくはありません。

■野宿生活とは何か

 このように見ていくと、野宿生活とは、一つには、まともな仕事に就けず、十分な収入が得られない人が住居を失うことで強いられるものです。望んでいないものを強いられるのは、その社会のあり方に問題があるからです。私たちはこの社会のあり方を見直していく必要があるでしょう。これは野宿者支援というより、社会変革を志向することです。

 もう一方で、野宿生活はオルタナティブな生き方の一つであると言えます。野宿生活を強いるような苦境に追い込まれた人が、そうした苦境を転換し、自分らしい生き方を実現する手段ということになります。

 この二つはどちらも野宿者が置かれた状況について妥当する解釈であるはずです。このように、野宿生活とは、野宿生活を送る人が置かれた状況によって、相反するほど、解釈の幅があるようなものなのです。野宿者への対応を考える時、この解釈の幅を矛盾なく埋め合わせることは難しく、それゆえ、一方の見方が一方の見方を等閑視するような飛躍が起こってしまいます。

 「野宿者支援の社会学」では、飛躍の前にとどまって、この解釈の幅の背景にあるものを理解して行きたいと思います。そのために次に考えたいテーマは、実は今回の冒頭に示されながら、未回答のままになっています。すなわち、「誰がその人のことを野宿者と呼ぶのか、言い換えれば、誰がその人を野宿者(ホームレス)と認識するのか」です。(2021年8月16日(月)更新)

第3回 誰がその人を野宿者とするのか