野宿者支援の社会学

第8回 野宿者へのアプローチ

 今回から支援者による野宿者へのアプローチについて考えてみようと思います。「今回から」と言ったように、このテーマは複数回続くのだと思います。

 しかし、一体どこから書きはじめて良いやら分かりません。というのも、ちょっと考えてもらえれば分かると思うのですが、何か野宿者の抱える問題解決の手伝いをしたいと思って、いざ野宿者にアプローチしようとした時、どうやって話しかけたらいいだろうかが分かりません。

■口実を作る

 支援ではありませんが、僕自身が初めて野宿者に話しかけて、話を聞いた時のことを思い出してみます。その人は神戸市の長田区にある野球場の裏に住み着いていました。この時、大量の荷物が雑多に積み上げられた中にたたずんでいるその人の姿を見て、一目でホームレスなのだろうと思いました。

 この時、僕は卒論の調査のフィールド探しに北九州から関西にやってきていて、野宿者を探しているわけではなかったのですが、気になったものにはとりあえず勇気を出してアプローチしてみようと考えていました。

 というわけで、いざ話しかけてみようと思ったものの、なかなか踏ん切りがつきません。もし話しかけてみて、実際はホームレスじゃなかったら気を悪くするだろうなとか、変なことを気にしたりします。

 事前に近所の商店の人にこの人のことを尋ねて、やはりホームレスらしいことを確認しました。「最近一緒に野宿していた人が亡くなって落ち込んでいるから、話を聞いてあげて」と言われました。話を聞かせてもらったら、お礼に渡そうとパンと牛乳を買っていきました。

 かなり勇気を出して話しかけたのですが、名前と年齢やらを尋ねたくらいで、5分も経たずにお礼を渡してお別れしてしまいました。

 興味本位で話しかけようにも、自意識が邪魔して根掘り葉掘り聞けなかったりするし、話を聞きたいなら聞きたいで、目的意識や何を聞きたいかをはっきりさせておかなければ、会話が続きません。

 もちろん、これが支援である場合は、支援という口実があります。口実というより目的そのものです。しかし、支援者が野宿者にアプローチする際も、それなりの心構えが必要です。

■アプローチの心構え

 目的は野宿者の抱える問題解決の手伝いをすることなのだから、「何かお困りのことはありませんか?」と話しかければ良さそうなものです。何しろ、困っていないはずはありません。

 しかし、どこの何者か分からない人間から、そんなことを言われて、渡りに船、地獄に仏とばかりに飛びつく人がいるでしょうか。確かに困っているとして、いったいどうやって救済してくれるというのでしょう。どう見ても怪しい話だと疑うのが普通だと思います。

 また、実際のところ、支援者の側も、困りごとを解決する手段を持っているわけではありません。おにぎりを握って配るくらいはできたとしても、家を借りるお金を貸してあげたり、仕事を紹介してあげたりできるわけではありません。もちろん、生活保護を受けたり、医療にかかるために付き添って行くくらいのことはできます。未だに行政の水際作戦というのもあるので、これも立派な支援と言って良いでしょう。

 それにしたって、第4回に出てきたように、生活保護を受けさせて自前の物件に入れて保護費を取り上げる悪徳業者もいるので、油断がなりません。

 ある人が「ホームレスに声をかけてくるのは怪しい人間ばかり」と言っていました。「うまい話には裏がある」と言いましたが、世の中にそんな親切な人間ばかりなら、こんな苦労はしていないでしょう。

 また、同じものを提供するにしても、欲しがる人と欲しがらない人、望む人と望まない人がいます。見知らぬ人間に話しかけてきても、警戒されるのは当たり前です。支援者が野宿者にアプローチする時には「警戒されても当たり前」あるいは「拒否的な態度にあっても当たり前」という心構えが必要です。

 また、そのような反応が返ってくることを念頭に置きつつ、自然なやりとりができるような話しかけ方を心がける必要があります。

■適切な話しかけ方

 このようなアプローチの心構えは経験則として身につけられるものです。僕は一から野宿者支援を始めたわけではないので、全く先例のない時に、最初に始めた人が何を考え、どんなアプローチをしていったのか知りません(今回の最初に見たようにかろうじて、自分一人で恐る恐る話しかけた経験はあります)。きっと手探りで、怪しまれたり、反感を持たれたり、無視されたり、失敗を重ねながら、アプローチの仕方を身に付けていったはずです。

 すでにある支援団体に後から参加する場合なら、とりあえず先輩支援者に学ぶところから始めることができます。しかし、声かけして返ってくる反応そのものに大きな違いはないのではないかと思います。

 少しマニュアルチックに書くなら、声かけする際は「こんばんは、夜回りです」などというふうに、何か目的があって話しかけていると伝わるようにした方が良いでしょう。相手が寝ているか起きているかによって、声かけの仕方を調整する必要もあります。起きている場合は、近寄れば相手も気付くので、相手が意識し始めるくらいの距離から最初の声かけをするのがいいと思います。ぐっすり寝ている人は無理に起こさず、声かけせずに活動案内のビラを置くだけにしておきます。眠りが浅かったり、気配は察知しても目は閉じたままで様子を窺っていることも考えられるので、そんな場合はいくらか小声であいさつして様子をみるのが良いでしょう。

 この声かけの言葉は、通行人に道を尋ねるくらいの態度で行います。何気なく、当たり前のことをしているように話しかけるのがいいと思います。要するに、見知らぬもの同士が自然と会話を始められるような態度を心がけるということです。

 この時点で迷惑そうに手のひらを返して追い払う仕草をする人もいます。「◯◯という団体で、定期的に回ってるんですけど……」と説明を始めて素性がわかると、「いらんいらん」と言われて、門前払いを食らうといったこともあります。そのような場合は素直に引き下がります。

■拒否的な態度の意味すること

 このような拒否的な態度にあうと正直凹むこともありますが、ここには一つ重要な理解が成り立ちます。それは、その人がすでに支援者という存在を知っているということです。野宿生活を続けていれば、この社会には、野宿者を支援しようという奇特な人間がいるらしいことに気付かされます。

 このことを支援者は心得ておく必要があります。つまり「野宿者の多くは、支援者という存在が話しかけてくることを知っている」ということです。そして、このことを知っている野宿者の方も、支援者への対処法を心得ていることが予測できます。

 話しかけてみなければ、どんな反応が返ってくるかわからないし、話を聞いてみなければ、その人がどんな人なのか分かりません。しかし、支援者はありえそうな野宿者の反応や人物像を念頭に、どのようにアプローチすべきかを考えています。言うなれば、野宿者へのアプローチの指針となる「一般化された野宿者像」のようなものを想定しているのです。

 そして、野宿者の方も「支援者というのは、そのような「一般化された野宿者像」を想定して話しかけてくる」と想定しているのだということも言えます。もともと野宿者という立場自体、野宿者を「見る」人間がいて成立するもので、野宿者の方もそのまなざしを意識することで、野宿者である自覚を抱くようになります。

 そのような「一般的な野宿者像」を批判的にとらえて、問題解決の手助けを要する対象としてイメージし直したのが、支援者が想定する「一般化された野宿者像」です。

 回りくどく感じられるかもしれませんが、ここまで整理しただけでも、野宿者の置かれた状況というのが、非常にややこしいものであることが分かると思います。関係性の中で生成された野宿者が、社会の厄介者を忌避する野宿者問題として成立し、支援という立場からは、野宿者を手助けを要する存在としてとらえた野宿者問題が見出されます。さらに、支援者が野宿者にアプローチする際に想定される野宿者像があり、野宿者の方も想定される野宿者像を想定しているというわけです。

 こんな面倒くさい考え方をするのは、それだけ野宿者の実体がとらえにくいからです。ゆえに野宿者をめぐる議論はなかなか噛み合わず、野宿者問題は不安定なものなのです。

 さて、ようやく基本的な理解の枠組みが完成したようです。次回からは、実際に野宿者と支援者とが関係を持つ場面へと踏み込んでいきましょう。(2021年8月23日(月)更新)

第9回 彼のこと

 

■別に読まなくていい今回の独り言

1)んー、なんか止まった。書こうと思えば書けるけど、その先に話を広げていくビジョンが見えない。見守りの支援の話で終わってしまう。先行研究読み直さないと危ない。

2)これまでの研究との違いは空間という切り口なんだろうけど、そこもまだうまく仕込めてない。

3)それから、インサイダーとアウトサイダーの問題。これを論じようと思ったら、大阪城公園の事例だけを扱っていては不可能だ。「センターの日」の事例とつなげる必要があるけど、何をどうやってつなげればいいのか。

4)山北本を2冊読み直した。目指すところも明らかにしたいことも違うのだから、似たような記述も思い切って書き直して行こう。

5)お、本当に8回目で理論的な整理が終わった。マジか。すげーな。

6)でも、じゃあどんな事例をどんな順番で見ていったらいいのだろう。