野宿者支援の社会学

第9回 彼のこと

 ずいぶん長い前置きになりました。ようやく実際の事例に入って行くことができます。ようやく、というところなのですが、何をどこから書いていけばいいものなのか分かりません。

 このやり方でしかつかめない真実がある、誰かがそれをやらなければならないし、僕ならそれができるかもしれない。もちろん、本当にうまくいくかどうか不安なところもありました。しかし、そこはリスクを承知で引き受ける価値がある。そんなふうに思ったのでした。

 リスクとは、何かを選んだ時に、それを選んだ主体に起こる可能性が予測される、好ましくない出来事です。どんなことが起こるかまで予測できることもあれば、どんなことかまでは分からないが、いずれ苦労はするだろうという認識にとどまるものもあるでしょう。

 やっていく上でいろいろ苦労はあったし、予想通りに途方に暮れることにもなりました。しかし、そうなること自体は、僕自身が選んだ道であり、そんなものは自分が乗り越えていくコストを払うかどうか、払えるかどうかというだけの話です。5年の歳月をかけて、今になって僕は、このやり方に必然的につきまとう背理があったことを理解しました。

 実は、最初から何か危ないことに手を出しているという予感はしていました。話は野宿者支援云々を超えてしまっていますが、このこともいずれ整理しなければ、この読み物の主題を語り切ることはできないと思います。

 彼について起こったことを通して得られた気づきがありました。彼のおかげでようやくたどり着いた理解、このことについての理解を形にするために、僕はずっとこの調査を、野宿者支援のフィールドワークをやって来たはずでした。

 僕が書かなければならないのが何を措いても彼のことであるなら、この際、回り道などせず、僕は彼のことを書かなければなりません。

■彼との出会い

 彼と初めて会ったのは、大阪城公園に接する大きな公園でした。2017年11月23日(木)の夜回りでのことです。この公園にはまだ、テント小屋が数軒残っていて、ひっそりと新しくテントを張る人もいます。樹木が多く植えられており、それらに隠れるように露宿(テントを張らずに野宿すること)する人たちもいます。大通り側に公衆トイレがあり、そのわずかな軒下は、人の入れ替わりはありますが、定番の野宿スポットになっています。彼はその日、このトイレの軒先で野宿していました。

 前回、整理したような心構えのもと、横になっている彼に話しかけたのだと思います。昼間この公園で休んでいることはあるが、夜寝るのは初めて、ここは寝やすいと言っていました。

 僕が参加している夜回りは2週間に1回の頻度で行われるので、次に彼にあったのは、1回空いた4週間後、ほぼ一ヶ月ぶりの12月21日(木)のことでした。この時一緒に回っていたメンバーは、最初に彼に会った時とは別の人で、僕だけが彼と再会する形になりました。

 この公園のテントで暮らしている人から「藤棚のところにも誰かおったぞ」と教えてもらって、立ち寄ったところ、段ボールを敷いた上で寝袋にくるまっている人の姿がありました。

 「お休みのところごめんなさい、大阪城公園の夜回りです」と声をかける。起きなかったらビラを置くだけにしようと思ったが、パッと起きた。「大阪城公園の夜回りの人だね」というので、話してみると、こないだトイレ横で声をかけた人だった。[2017年12月21日(木)]

 声をかけたところで「パッと起きる」というところで、彼が、野宿している時に起こりうる事態を想定しており、また、反射的に対応できるような心構えがなされていることが推測できます。

 彼の頭の中には、野宿している時に起こりうる事態一般についての想定と、その日寝る場所に固有の想定とが、その都度紐づけられていることと思われます。ここで野宿していれば、僕たち大阪城公園の夜回りがやってくる可能性があることをあらかじめ意識しているはずです。

 もしかすると、彼らにすれば、休んでいるところに不意にやってくる支援者の訪問は、煩わしいことなのかもしれません。当面困っているわけではないし、会いたい時に会えるわけでもなく、大した資源を持っているわけでもない支援者との付き合いは、野宿生活をすでに生き抜いてきている当人たちにとっては、中途半端な存在です。

■支援者との付き合い

 また、支援者と話すことのできる話題というのも限られたものです。支援者の方は支援者の方で、何とか自然に会話が進展するような心構えを持って、話しかけ方を工夫しているのですが、それにも限界があります。天気の話からはじめて、通りいっぺんの世間話をすることもできますが、たまたま居合わせた人同士の、作りものでない社交上のやり取りというわけではありません。どうしても「何か困っていることはないか」「最近、変わったことはないか」といった話になってしまいます。

 このような事情は話しかけられる野宿者も同じです。支援者と野宿者が会話を深めようと思えば、野宿者の側もそういう背景を踏まえて、話を合わせる「協力的な」対話がなされる必要があります。

■探りを入れる支援者

 この日の対話を振り返ってみると、僕たちの方は僕たちの方で彼の生活状況を探ろうとしているし、彼の方は彼の方で、僕たちが信用のおける団体なのかどうか量ろうとしていたことに気づきます。

 僕はまず「今日はこっちで寝てらっしゃるんですね。前にトイレのところで別の人が寝ている時があったけど、最近多いのかな」と訊いています。トイレの軒下は他に寝る人もいるので、遠慮してこっちで寝ているということでした。23時前にトイレの電気が消えるのだいうことも教えてくれました。

 一緒に回っていたもう一人の支援者が「ずっとここで寝てはるの?」と聞くと、あちこちで寝ていると言って、具体的な公園の名前や交友関係、それらの公園の様子などを教えてくれました。

 僕は生計を立てる手段を探る意図もあって「特掃とか行ってるんですか?」と尋ねました。特掃とは、西成区にある日雇労働者の街・釜ヶ崎で55歳以上の人が登録制で働ける「高齢者特別清掃事業」というものです。釜ヶ崎になじみのある野宿者にとっては現金収入を得る貴重な機会で、彼は対象年齢を優に越しているように見受けられました。

 この質問は、相手が釜ヶ崎のことを知っているかどうか、また、55歳以上であるかどうかを探るものでもあります。彼は、もともと静岡にいたのだが、「静岡からこっちにきて、センター(釜ヶ崎の日雇求人の紹介場所のこと)から仕事に行っていた時期もあるのだが、西成で暮らすのが嫌になってしまって、こういう暮らしを始めた」と苦笑しながら語っていました。「こういう暮らし」というものの、アルミ缶を集めて暮らしているようには感じられませんでした。なぜなら、彼のそばには自転車が見当たらなかったからです。

■野宿者側からの探り入れ

 特掃のことを口にするということは、釜ヶ崎について知っているということです。支援者の発言の中からも、支援者たちの活動背景を知る手がかりが得られるはずです。

 もう一人の支援者が「着るものとか困ってない?」と訊くと、何か思い当たるものはあるようでしたが、「いや、自分で何とかしてやってけますから」と言っていました。「寝袋もあるよね」というと、寝袋は二重にしているそうです。

 僕が「カイロを足元に入れたらあったかいみたいですね」というと、足元には小さい毛布を入れて冷えないようにしている。「頭寒足熱いうやつですわ」と笑っていた。[2017年12月21日(木

 この流れからだったか、少し風邪気味であるようなことを言っていました。僕はたまたま自分用の風邪薬を持っていて、しばらく会話を楽しんだ流れもあって、数回分の錠剤をビンから分けてお譲りしました。

 僕「結構強いやつだから、飲むときは考えた方がいいかもしれません」と言い添えて渡す。彼はちょっと恐縮気味に感謝の言葉を述べて受け取っていた。[2017年12月21日(木)]

 風邪薬というのは安いものではないので、ばら撒くようには渡せません。彼の方もそういう認識はあったのではないかと思います。

 だいぶ話し込んだことと、風邪薬をお渡ししたことがあってか、最後に「連絡先とかありますか?」と訊かれました。何か気がかりな相談ごとがあるのなら、相談のパイプは残しておきたいところですが、僕たちには事務所があるわけでもありません。

 メンバーの一人は、生活保護を受けた後の元野宿生活者へのヘルパー派遣などを行っている福祉事業所で働いているので、そこの電話番号を教えることも考えられましたが、本人のいないところで勝手に教えるのもためらわれました。

 どうしようか思案していたら、この日の夜回りで配布しているビラは越冬(年末年始の特別な取り組み)の案内でした。連絡先としてそのメンバーの携帯電話の番号と、越冬の拠点の一つになっていた、その福祉事業所の地図を掲載してました。

 僕「この番号は、こないだ一緒に回っていた人だから、この番号にかけてもらってもいいし、ここに地図がある事業所に来てもらってもいい」と教える。いよいよダメだとなった時には相談したいとのこと。「大事なものは落とさないようにここにいれている」とポケットの中にしまっていた。仕事のこととからめて、年齢や名前を訊く。相談先を教えたので、本人の名前を訊いておいたほうがいいかなと思った。

 いろいろ話が聞けてうれしかったとお礼を言いかけると、自分こそ話しかけてもらってよかったと感謝されるので、気持ちが安らぐ感じがしたのを覚えています。

■何のための対話か

 僕たちは、夜回りを通して、野宿している人びととなるべく話をしたいと思っています。それは、僕たちにできることを探るためでもあるし、すぐさま手助けが必要な人があれば、対応したいと思っているからです。

 前回も触れたように、野宿する人たちは「ホームレスに声をかけてくるのは怪しい人間ばかり」だと警戒しています。相手が怪しくないかどうか、信用できるかどうかを確かめる必要があります。その手間をかけるのも面倒だし、手助けも必要ないから、関わりたくないという人もいるでしょう。

 実際には困っていることがあったとしても、得体の知れない人間にすぐに相談しようという気にはならないということもあるでしょう。支援者の方もそれは分かっています。だから、基本的な姿勢として、夜回りは定期的かつ持続的に行い、普段から関係を作っておくことが大切だと考えています。そして、普段のふるまい方も重要です。

 といっても、特別なことをするわけではありません。むしろ「特別なことをしない」で、日常的な営みの一つとして夜回りに取り組むようにします。最初は得体の知れなかった「支援者」が、2週間に一度、素っ気なくしていても懲りずにやってきて、ただおしゃべりをしていくとなった時に、ようやく「ちょっと話し相手をするくらいはいいか」という存在として受け止められます。

 野宿者の方も、そういう支援者のありように慣れて理解が進めば、前回出てきたような、支援者が想起する「一般化された野宿者像」に対して、「一般化された支援者像」を想起して、対処方法を考えられるようになります。この「一般化された支援者像」の中には、支援者が抱く「一般的な野宿者像」がどのようなものかという理解も含まれてきます。僕が「特掃とか行ってるんですか?」と尋ねる背景には、野宿者と釜ヶ崎とのかかわり、釜ヶ崎の日雇労働者にとっての特掃の位置付けといった「一般化された野宿者像」に含まれるバリエーションがあると理解されることでしょう。

 支援である以上、支援者と野宿者という非対称的な関係を入り口としなければならないのは、どうしようもありません。非対称的な関係からは、なかなか会話が弾みません。しかし、何とかして対話を深め、関係を作っていく必要があります。支援者にとっては支援の基礎にある戦略ですが、この戦略は野宿者の側からの歩み寄りがなければ、決して上手くはいきません。

 このように言うと、なるほど支援というのは他者理解と関係作りに力を注いでいるのだなと思われるかもしれません。もちろんそれはその通りだし、そのように書いてきたのですが、支援者は何も支援のためだけに関係を作ろうとしているわけではないと思うのです。ただ、野宿をしている人たちのことが知りたい、関係を持ちたいという欲求が、どこかにあるように思います。

■演技から生まれるもの

 彼が「一般化された支援者像」を想起しながら、支援者に話を合わせてくれていることを、僕は分かっています。そうでなければ、こんなにスムーズに会話が進むわけがないのです。彼の方も、支援者というのはこういう関心を持っていて、こういう話をしたがると分かって、やっています。では、ここで行われていることは、お互いにお互いの一般的イメージを元にした演技に過ぎないのでしょうか?

 もちろん、そんなことはない、と思います。もともと僕たちが普段、誰かとしている会話も、相手に対するイメージを元にして、相互に即興で行なっている演技であると言えなくもありません。しかし、その演技を通して、僕たちは相手のことを推し量ったり、やりとりそのものから楽しみを見出しているのです。

 僕と彼が、最後にはお互いに「話せて良かった」と感じて何か満たされた気持ちになっているのは、決してお芝居によって作られた虚構のものではありません。

 ただ、それが路上や公園で行われているということだけが特別なのです。しかし、路上や公園のようなシチュエーションでも、当たり前の人間関係が成り立つ、そういう関係を持てるということ自体が、不思議なことではないでしょうか。ここに何かすごく大切なことが秘められていると思うのです。(2021年8月24日(火)更新)

第10回 意外な場所での彼との再会

 

■別に読まなくていい今回の独り言

1)文体の工夫。告白体による記述とでも言ったところか。リスクを取る書き方。あらかじめ用意されたものを語るのとは意味が違う。結果オーライで帳尻を合わせてしまうやり方。レクチャー形式もそうだな。書いている時には実はわかっていないのに、何もかもわかっているかのようなふりをして書き進めることでしか書けないことを書く。

2)また勝手に形式的なところから全体の構成について考えてみるなら、最後の2回はまとめ的なものになるはずだ。すると、今回を含めて、第9回から第13回までの5回が事例ということになるのかな。……結構多いな。間に「センターの日」の位置付けをする回が1回入って、「センターの日」と大阪城公園とを行ったり来たりして、事例を書き進めていく感じか?

3)やはり、支援者であることと研究者であること、フィールドワーカーであることの重なり合いを、事実を読み解く仕掛けとして整備する作業はどうしても必要だ。解釈に厚みを出さないと、ゴールまでたどり着けない。

4)どこかで僕たちは非対称的な関係を突破するのだろうか。あるいは非対称的な関係が薄れゆく地平が現れるのだろうか。

5)「センターの日」は支援かと言われると、支援ではないのだと思う。関係作りですらないのかもしれない。よろずの活動があって、「センターの日」があることの意味、「センターの日」の位置付けが実はかなり特殊なものであるということを示す必要が出てくるだろう。そして、「センターの日」を特殊なものにしたのは、言ってみれば僕だし、どのような特殊なものであるかを語れるのは僕しかいないのかもしれない。というより、「センターの日」の特殊な位置付けなど、他の人には意味のないことかもしれない。「センターの日」を特殊な位置付けで解釈して意味を引き出せるのは、僕だけなのかもしれない。しかし、そんなことが社会調査として可能なのか。これを社会調査として飲み込ませるためには、そのための仕掛けがいる。その仕掛けを生み出せるかどうかにすべてはかかっている。

6)おおお、けっこう核心を突くようなところにやってきたじゃないか。当たり前のことが特殊なシチュエーションで成立すること自体の特殊性、それが特殊でないことに特殊な意味合いがあるというわけだ。面白い。

7)書いてる本人も先の展開が読めないものが面白くないわけがないよな。