野宿者支援の社会学
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第10回 意外な場所での彼との再会 路上での出会いは儚いもので、ちょっとした事情や状況の変化にさらわれてしまいます。可能性としては常に一期一会で、いつか何かあった時に頼りにしてもらえるように、支援者は定期的な夜回りを繰り返しています。そのような信頼関係を作る機会は限られていて、その機会自体、道端ですれ違う偶然のようなものです。 その機会を最大限活かせるような戦略が、「アプローチの心構え」であり、「適切な話し方」として現れるものです。しかし、これらは、あくまで戦略であって、大まかな方向性、実際に行動する際の方針に過ぎません。他者理解と関係作りがこの方針の目的ですが、これがうまく行くとしたら、それは、すでに野宿者側の協力があるからです。 ほとんど初対面であるにもかかわらず、彼とのように話し込めることは、そう多くはありません。それが可能になるのは、前回触れたように、野宿者の側にも支援者理解が成立しているからです。 もう少し、彼のことをお話ししたいと思います。 ■それからしばらく 年が明けてからしばらくは、僕が回った時にはおられなかったり、体調不良で夜回りを休んだりといったことがあって、僕自身がその姿を見ることはありませんでした。1月頃までは、ほかのメンバーから彼を見かけた、話したという報告を受けることはあって、その公園で寝ている様子だったのですが、それ以降、僕が彼に会うことはありませんでした。 それでも僕はずっと彼のことが念頭にありました。寝るところを変えてしまって、しばらくは会えることもないのか、それともこれっきりなのかと、気にしていました。それだけ彼のことは印象に残っていたのだと思います。 ■半年ぶりの再会 彼と再会したのは思いもよらぬ時に、思いもよらぬ場所ででした。正確には半年以上経っていましたが、彼がその公園を離れたであろう時期から数えれば、半年くらいのものです。 2018年7月21日(土)、場所は釜ヶ崎のあいりん労働福祉センターの3階でした。前回も出てきたように、釜ヶ崎は大阪市の西成区にある日雇労働者の街で、センターは日雇求人の紹介場所です。一般にセンターと呼ばれますが、あいりん労働福祉センター、大阪社会医療センター附属病院、市営住宅などが一体となった巨大な建物全体を、あいりん総合センターと言います。 センターの建物1階部分は、大きな円柱に支えられたフロアで、5時から18時の間、外周のシャッターが上がると通り抜け自由な、吹きさらしの空間になります。センターの1階は日雇求人を行う事業者が訪れる「寄せ場」です。求人のピークは早朝ですが、そのまま夕方まで、センターは自由に利用できます。 3階には労働者の労働と生活にかかわる重要な施設があり、センターの開館時間中には1階と3階の行き来があります。南北に長いセンターの3階の両端、北側にあいりん公共職業安定所、南側に西成労働福祉センターがあり、その間のフロアはまた1階同様の広大な空間になっています。 1階と3階は、多くの人たちが日中の時間を過ごす溜まり場のようになっています。3階は人通りも少ないので、段ボールに布団や毛布を広げて休んでいる人の姿もあります。 僕たちは毎月第三土曜日に「センターの日」という取り組みをセンターでやっていて、そのビラを配りながら、センターを利用する人たちの話を聞いて回っていました。寝ている人のところにはそっとビラを置かせてもらい、起きている人には1階でやっている「センターの日」の案内をする形で話を聞いていきます。基本的には夜回りの時と同じようなスタンスです。
これが僕と彼が会って話した通算3度目のことになります。 ■再会の意味すること 彼ときちんと話をしたのは前年12月の1回だけだったし、この時、僕は最初、連れの人とばかり話していたので、彼に意識が向いていませんでした。また、彼の方も、すぐに確信を持って僕のことを思い出せたわけではなかったようです。 「信頼関係を作る機会を最大限活かす」などと言いながら、うかつな話のように思われるかもしれませんが、暗いところで数度会っただけの人の顔をすぐさま思い出せるものではありません。また、大阪城公園の夜回りで出会った人に、まさかセンターで再会することがあろうとは思ってもいなかったということもあるでしょう。しかし、彼の方も僕のことを覚えてくれていて、そのことを口にしてくれました。 この再会は僕にとってとても嬉しいことでした。釜ヶ崎でやっていることと、普段大阪城公園でやっていることとが、思わぬ形でつながったことに新鮮な驚きがありました。それに、これは僕だけでなく彼にとっても、演技めいたやりとりを越えたところにある予想外の出来事だったと言えるでしょう。 また、このことは単に釜ヶ崎と大阪城公園がつながったということではないと思います。大阪城公園でやっていることと、釜ヶ崎でやっていることは、もちろんどちらも野宿者支援の活動の範疇です。しかし、それぞれの目的意識や取り組みの内容は異なっていて、やっている当人たちの中でも切り分けられています。彼にしても、もちろん大阪城公園の近くの公園も釜ヶ崎も、野宿生活をする上で活用可能な場所の一つでしょうが、二つの場所に必然的なつながりがあるわけではありません。 二つの場所のつながりに意味があるとしたら、僕たちのどちらにとっても、僕たちの関係以外にはないわけです。ちょっと大げさな言い方に聞こえるかもしれませんが、野宿生活とか野宿者支援といったことを越えて、僕たちそれぞれの人生が、この街で重なり合って、出会ったような感慨がありました。(2021年8月26日(木)更新) ■別に読まなくていい今回の独り言 1)何から説明していけばいいのだろう。多分、何からでもいいのだろう。大切なことはいずれ説明しなければならない。ここに求められる大切なことを出し尽くすために、この書き方がある。ならば、僕が何を書きたいかを考えればいい。一番書きたいことから書き始めればいいのだろう。 2)囚われながら進むことの苦しさ、囚われながらでなければ見えてこないもの、これはそんな道だということを理解して書く必要があるのか。 3)こういう出来事を指してエピファニーというのだろうか? ちょっと読み返さないといけないかも……。 4)今回も悪くはないけど、やっぱり記述に取り込まれ、現れる主体の水準についての整理が肝になるだろう。単なる「いい話」に終わらせず、解釈に説得力を持たせるための仕掛けだな。でも、それを書くとしたら何回目だろう。この感じだと、「センターの日」についての説明はさらっとしたものでいいはず。西成特区構想とか、具体的な背景に触れる必要はない。 5)主体の水準についての整理とはどのようなものになるだろう。フィールドワーカーとしての関わりのスタンスを解釈の部品として組み込むのかな。主体の水準があると言っても、結局、全体の記述をまとめ上げるのは分析の主体で、分析の主体と、その他の、記述に現れる主体とのからまりようを自覚的に説明するということなのだろうか? 支援者、フィールドワーカーの野心、市民的な主体、そうか、分析の主体という記述の最上位にあるはずのものより、問題関心としては上位にある主体を、どう扱うのかという問題なのかな? ちょっと違うな。やはり整理できていない。整理する余地があるということだ。あー。この辺ももちろん先行研究はあるわけだけれど……。 |
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