野宿者支援の社会学

おわりに

 勢いで書き始めた『野宿者支援の社会学』でしたが、書きたかったことを何とか書き切ることができて、自分でもびっくりしています。「すごく簡単に説明できそうな気がするのに、どうやっても説明ができない」ようなことを語るのに、この「日雇い労働者のつくりかた」形式の読み物は、かくも有用であることを確かめることができました。

 繰り返しいっているように、支援者などといっても、本当に役に立てる場面など、ほとんどありません。万が一役に立てる時のための、9割無駄になる下ごしらえをしているようなものです。

 日々そんなことをしていると、野宿する一人ひとりに魅力を覚えたり、思いもよらない出来事を面白がったりすることがあります。野宿者は生きるための当たり前のことをしているに過ぎないのだけれど、路上で当たり前のことを成し遂げるたくましさに、惚れ惚れする時があります。

 また、路上で成し遂げられる「当たり前のこと」は、当たり前を超えたものを宿しているように思えます。

 僕は野宿者のそんな人生を応援したいし、本人が望む以上は、野宿生活を肯定したいと思っています。ゆえに、いかなる意味でも追い出しには反対します。

 センターの建て替えも、いずれ強制排除が起こることは分かっていても、その日は先延ばしになってきています。本当なら、センターで野宿する人たちの意見をまとめて、代替地の提供をも含めた追い出し反対の運動を起こすべきなのかもしれません。

 もちろん、何か可能性を探りたい、きっかけを作りたいという思惑があっての「センターの日」ではありました。いくらか見えてきたことはなくもないけれど、そこまで行き着くのはなかなか容易ではありません。

 それなら少なくとも、強制排除が起ころうとも何があろうとも、彼らの人生に付き合って、立場は違えど、同じ場所から同じ問題に向き合うことをやめるわけにはいきません。煮え切らない支援の繰り返しでも、可能性を探っていくことを放棄しないくらいはできるでしょう。

 この社会はもともと平等ではないし、不条理に溢れています。不条理だらけの社会を変えて行こうと思えば、矛盾にまみれながら進まなければならない時があります。理屈ではまちがっているとわかっていて、あえてまちがったことをしなければならないこともあるのです。

 最後に、第9回の冒頭で述べた、「野宿者支援の社会学」にまつわる背理についてお話ししておきたいと思います。

 このやり方でしかつかめない真実がある、誰かがそれをやらなければならないし、僕ならそれができるかもしれない。そう思ってこの研究を始めました。我ながら、なんて思いあがった考えだろうと思います。しかし、このやり方は、手間がかかるし、つまらないから誰もやりたがらない、やろうとも思わないだけで、別に難しいことではないのです。

 飯場の研究を始めた時、僕は自分自身の感情をデータに組み込みたいと考えていました。正確には、自分の感情を手がかりに考察を深めたいと思っていたのです。それがどんなものになったのかは『怠け者の社会学』を読んでもらえればいいし、集大成として『飯場へ――暮らしと仕事を記録する』という本をまとめることができました。

 「このやり方」とは、基本的には飯場の研究でやったのと同じことです。ただし、野宿者支援の研究でやったのは、それをさらに推し進めたものでした。そんなことをしたら危険だということは分かっていたけど、そうした危険を冒さなければ説明できないことがあり、しかし、そうした危険を冒せば説明できるだろうということに、研究者としての野心を感じた部分もあったと思います。

 そうした危険とは、たとえば研究としてまとめあげる際のデータの処理に手こずるだろうということがあります。方法論的な位置付けも結構面倒だろうなと感じていました。しかし、それは野心の範疇で、やりがいととらえてもいいくらいのものです。本当の危険は、研究者としての倫理にかかわること、それどころか、支援者として、人として根本的にまちがったことを、それと分かっていて実行に移したということです。

 この研究は、何か僕自身がショックを受けたり、大きな感銘を受けるような出来事がなければ、まとめることのできないものだったのです。僕は研究者であると同時に、支援者として本気で運動にかかわっていました。ふつう、そこは意識的に線引きを行うべきところでしたが、僕がやったのは逆で、むしろ意識的に線引きをしませんでした。真剣に野宿者にかかわり、野宿者のための反排除の支援を考える立場から見えるものをデータにしようとしたのです。

 意識的に線引きをしなかったと言っても、研究するためには、どこかで線引きする必要があります。線引きするタイミングは、たとえば運動が挫折するタイミングです。いろいろ頑張ったけれど、どうにもならなかった、仕方がなかったというところまで行って初めて、その出来事を分析し始めることができます。

 もちろんこれは、運動の勝利でも良いわけです。いろいろ頑張った結果、思いもよらぬ勝利を収めた、これまで不可能だと思われていたことを達成したという結末でも構わないし、むしろやる以上はそういった結末を目指して努力したつもりです。要するに「これで一区切り」と自分が思えるようなところまで頑張る必要があったのです。

 「これで一区切り」と自分が思えるようになるには、それなりに時間がかかるだろうし、いつそれが起こるか予測もつかないことも、危険と言えば危険でした。しかしまあ、これも、成功すればそれだけ価値のある冒険というものです。

 結局、僕にとって「これで一区切り」と自分が思えるような出来事となったのは、思いがけぬ彼の死だったのです。僕は僕で、理想を思い描きながら、全力で野宿者支援に取り組みました。それは、出会う一人ひとりの野宿者と愛情を持って関係を結ぼうとするものでした。

 その気持ちに嘘はありません。しかし、嘘がないだけに、より罪深いことだと思います。僕は、それがいつになるかはともかく、いずれ何かが起きることを待っていたのです。それが何であるかは誰にも知りえないことです。しかし、それが訪れることは決まっていたし、望んでもいたことなのです。

 つまり、僕は、彼が路上で非業の死を遂げるのを待っていたことになります。

 「理屈ではまちがっているとわかっていて、あえてまちがったことをしなければならないこともある」という意味では、僕はまちがったことをしたし、それはあえて犯したまちがいでした。そして、これまでのことを振り返ってみると、もしかすると、個人的にはその報いを受けた部分もあったのかもしれません。しかし、それでもなお、背理は背理なのです。

 正しいことは批判されることではありません。しかし、誰もが正しさを目指し、それが奨励されることが、結果として排除を生み出したり、排除を強化することがあります。ことわりがまちがっているのなら、理に背きながらでしか道を切り開くことはできません。

 野宿者問題とはそのような問題であり、野宿者はそこで抗う存在であるなら、僕たちがはたすべき役割が何であるのか、そろそろ気付いても良いのではないでしょうか。(2021年9月2日(木)完成)