日雇い労働者のつくりかた

第11回 怪我をどう乗りきるか

前回見たように、怪我というのはその対処をめぐって気をもまなければならないことです。今回はそのような怪我をどのように乗りきるかについて、実例を元に見ていきましょう。

■やせ我慢をする

幸いなことに、僕はいわゆる大怪我をしたことはありません。「大怪我」というのは入院したり、病院に連れていかれるようなシチュエーションが付随するものをイメージして下さい。ここでは、「中」怪我くらいの話をしたいと思います。

「中怪我」というのはどの程度の怪我かという定義は難しいですが、こんな怪我は二度としたくないし、こんな怪我をしょっちゅうするようでは困るという僕の思いが込もっています。軽い怪我が絆創膏でも貼っておけば済むようなもので、「大怪我」が働き続けるのが無理な怪我であるとすれば、「中怪我」は「頑張れば働けてしまう」怪我です。

あれは忘れもしません、2005年の7月27日の<現金>でのことです。この日は内装解体といって、リフォーム前のマンションの部屋の内装を剥がして持ち出す作業でした。壁やら床やらを破壊していくのは解体職人がやるので、僕たちの役割はそれら破片をプラスチック製の水色のカゴに入れて外のトラックの荷台まで運び出すことです。

石工ボードというのでしょうか、平たくて固く、結構重たい板の破片が難物でした。カゴに満載にすると持ち上がらないので、ほどほどに量を加減します。しかし、あまり少量だともどかしいのでつい欲張ってしまいます。

欲張り気味にボードを詰め込んだカゴを持ち上げようとするその日の僕は、修論の調査を終えてから1年ぶりの日雇い労働に、意気込み充分だったのでしょう。もはや僕は素人というわけではないし、身体の使い方や段取りを見てとる能力も身に付いている??スマートに仕事をこなしてやるつもりだったのです。

「ほっ」とでもかけ声をして軽々と持ち上げるつもりだったカゴはめちゃくちゃ重かった。上昇しようとする下半身に対し、重量物に引っ張られて下降する上半身とが、腰という身体の重要な結節点においてありえない衝突事故を起こしたのでした(かっこよく言ってみた)。

これが15時過ぎてもう少しで仕事終わりという時ならともかく、まだ10時休憩にも間があるという段階でのことです。正直に言えば、「ごめんなさい腰やったので帰ります」と言って帰りたかった。しかし、あまりにも格好悪くてそんなこと言い出せません。「バカッ」って言われるだろうなあ、本当バカだよなあ、でも痛い。そんな時、僕の中に芽生えた言葉があります。

「例え何があろうとも(怪我をしても)、一日働ききって金をもらうのがプロの日雇い労働者だ」

例え仕事がきつくても音を上げずに最後まで働くとか、手を抜きながらでも一日働いて金をもらうとか、似たような言葉は誰かに言われたことがあるように思いますが、この根性論に満ちたスローガンは、おそらく、それらをアレンジして僕の中で生成されたオリジナルです。やせ我慢って恥ずかしいですね。

しかし、このやせ我慢で僕はこの日なんとか働ききったのだから、やせ我慢も捨てたものではありません。

■いかにして乗りきるか

腰に負担をかけない方法を全力で考えました。この時はまず、腰を一切曲げずに、足だけを動かして腰より上は垂直移動・水平移動させるようにしました。しかし、これだけではこの中怪我と作業内容には対処しきれない。

次に、できるだけカゴを持ち上げないようにしました。破片を詰めたカゴは台車に乗せて外まで運びます。怪我をする前は台車に載せる時に持ち上げていたのですが、怪我をした後はカゴを引きずって台車にひっかけ、台車を傾けてテコの原理でカゴを持ち上げ、最後にカゴを手前に引っ張って完了です。このテクニックは引っ越しのバイトでタンスや冷蔵庫のような重量物を台車に載せる場合から覚えていたものです。

その他、トラックの荷台に上げるためにどうしても持ち上げなければならない時は、カゴを引っ掛けるポイントを探しながら、カゴが中空にある時間を極力減らしました。また、持ち上げるしんどい作業は何食わぬ顔で他人にやらせて、自分はそれ以外の作業をしれっとするというのも大切です。嘘ではない。

休憩時間は腰に負担をかけない姿勢をあれかこれかと探し求めました。仰向けになるのは逆に負担がかかるように思うし、横向きに寝て体を屈曲させておくのがよいだろうか。いっそ壁にもたれて座っている方がよいようにも思う。その時自分がとりうる最善の対処法が何なのかわからず、気をもみながら休憩時間を過ごしました。

そうこうしてあれこれ考えて対処していると、どうやらこれでいけるらしいとわかり、後半は余裕を持ってクリアできました。仕事が終わった後、おそるおそる原付で帰宅し、シャワーを浴びてすぐに病院に行きました。

この時に患った腰痛は立派に持病になり、今でもたまに痛むし、何かをきっかけにすごく酷くなることもあります。その後、肉体労働をする時には常に腰に配慮して働くようになりました。重いものを持ち上げるときは決して腰で持ち上げることはせず、できるだけ膂力で持ち上げます。ああ、なんて不自由な生活……。

■怪我を乗りきらせるもの

先ほど「例え何があろうとも(怪我をしても)、一日働ききって金をもらうのがプロの日雇い労働者だ」などと書きました。こういうやせ我慢のような、労働への意味づけが3K労働の3Kを反って呼び込んでいるような気もします。

前回書いたように、怪我をしていると知られれば仕事を休まされる恐れがあります。不可抗力の大きな怪我ならともかく、不可抗力であってもそれほどの怪我でなければ怪我をした本人が愚かなのだと受け取られかねないことが予想されます。そういった事情があって、「怪我をしていても仕事をこなす労働者」が賞賛されることになります。

考えてみれば、怪我をするのは「肉体」で、仕事が「肉体」労働ということになれば、怪我と仕事は地続きの同じ次元で発生することなのだと言えます。これが頭脳労働・デスクワークであれば、この二つは直結していないため、怪我と仕事の名誉とが繋げて意味づけされる度合いも少ないと考えられます。

もちろん、頭脳労働には頭脳労働の世界の意味づけがあるのですが、肉体労働においては、怪我が乗り越えるべきものとして強調されがちだということです。

■まとめ

2回にわたって怪我について書きました。

最初、膝を悪くしたとき、僕は「こんな小さな怪我で休みたいとか言うわけにはいかないだろうなあ」と思いました。また、「こんな小さな怪我を理由に何かができないと言っても通らないだろうなあ」と思いました。

次に釘を踏んだときは、これはかなりやばいんじゃないかと思ったものの、作業が差し迫っているという理由で言い出すことができませんでした。

ここまでは、消極的な理由で仕事を継続していました。ところが、最後の、腰を悪くした事例では、「怪我をしても働ききるのがプロ」などと、勇ましいことを考えています。「プロ意識」というと格好いいですが、ここで現われたような「プロ意識」は、状況に差し迫られた消極的な選択が醸造されていつの間にやらできあがったものです。

「休みにくい」、「言い出しにくい」という労働現場の根本的な問題は解決されないまま、僕は建設労働に適応しており、労働者の側の積極的な解釈が問題を乗り越えさせている。いいえ、正確には適応させられ、問題を放置させています。こうやって日雇い労働者は「つくられる」というわけですね。

次回は最終回です。2006年中に完結は無理でしたが、なんとか目処はつきました。

2007年1月10日更新