日雇い労働者のつくりかた

第6回 仕事の話

えー、今回はー、仕事の話です。

僕は飯場のことというと仕事のことばかり思い出します。「飯場の生活について教えて下さい」と言われてもピンと来ません。飯場の生活といっても、部屋は個室だし、所詮は10日ないし一ヶ月で出て行くすれ違う関係です。仕事が終わって生活の場である飯場に戻ってきても、ごはんを食べて洗濯をして風呂に入っていたらもういい時間で、一息ついている間に眠くなります。ツレ(一緒に飯場に入る仲間・友だち)でもいれば話が違うんでしょうけど。

僕のコミュニケーションが下手で集団に入り込めなかったんだろうかとか考えてもみますが、やはりそういうわけではなかったように思います。そういったわけで飯場の仕事というのは僕の飯場経験の中で大きな位置を占めています。

■早起き

前回すこし書いたように、飯場では朝早く、大体5時くらいには起床します。ある飯場では古びたプラスチックのボードに「6時起床」と書いてありましたが、実際には5時起床が暗黙の起床時間でした。6時過ぎに出発というような現場もありましたし、6時に起きてそれから準備をしていたら例え7時の出発でもバタバタしてしまいます。それに飯場には40人以上の人間が狭い食堂で食事するわけですから、多少時間差を設けて行動する方が効率がよいのです。

考えてみれば僕の入った飯場はとても「統制のとれた」飯場だったように思えます。「大人だから当たり前」なんでしょうか。みんな物わかりがいいというか、もめ事を避けている、あるいはもめ事を起こさないように振る舞っているというか。こんな中で我が成すままに行動していたら思い切り浮くでしょう。

しかし、建設業の現場仕事は基本的に朝早いものなんだと思います。早く起きるのも仕事のうちです。

■末端の労働力

日によって現場が違うのが日雇い労働の常です。なぜなら、日雇い労働者は補助的な労働力としてどこかの会社に派遣される埋め合わせ的な存在だからです。たまに穴がぼこぼこ空いていて毎日のように呼んでくれる現場というのもありますが、日雇い労働者の仕事というのはそもそもそういうものです(註1)。

学部生(大学生)の頃、デパートとかイベント会場の荷物の搬入・搬出のバイトをやったことがあります。陳列棚とかショーケースとかをリースする会社だったんでしょうか。これは搬出の例ですが、陳列棚とかショーケースとかもろもろを台車に乗せたり、もともと付いている車輪を使ってゴロゴロ転がしたりして、エレベーターまで運んで下ろしてトラックに積む。トップに会社の人がいて、これ運べあれ運べと指示を出します。同じ学生バイトでも経験の長い人は社員に代わってそういった指示を出していました。

この仕事の場合、僕たちバイトは現場の手足のようなものでした。本当は陳列棚やらショーケースに手足が付いてて勝手に動いてくれればいいんでしょうが、そうもいかないので手足を雇います。陳列棚やショーケースの数と想定される作業時間に応じて必要とされる手足の数は増減するので、集めやすく切り捨てやすい学生バイトは都合が良かったのでしょう。

■初心者はどうやって仕事を覚えていくのか。

日雇い労働は末端労働ですが、だからといって素人が何の苦労もなくこなせるものとは言い切れません。この辺りは「身体の使い方」「道具を応用する」を読まれたらわかってもらえると思います。この2つを読んでいると、あたかも僕が一人で苦労して仕事を覚えたかのようにとれますが、実際は異なります。

職業訓練の講習を受ける機会などないし、現場で直接的に教えてもらえることはあまりありません。OJT(On the Job Training)という言葉がありますが、僕たちはトレーニングしてもらえる立場ではないのです。この点に関して、よく「見て覚える」と言いますし、「やってみて覚える」とも言います。西澤晃彦さんの『隠蔽された外部』という本に、鳶の格好をして鳶だと嘘をついて仕事をした人の話が登場します。危なっかしい話ですが、この仕事をすることは「見よう見まね」というやつの本質を理解することになります。

しかし、同じ日雇い労働者同士でなら仕事を教えてもらえることは多いと思います。みんな、ぶっつけ本番の中、苦労して仕事を覚えてきたので、初心者の苦労はわかっています。「誰にでも初めてはある、わしもそうやった」ということなんです。

なかにはくどいくらい教えてくれる人もいます。最初は親切な人だと思ったものの、教えてもらうまでもないことまで事細かに教えてくれるのでうんざりしたという経験もあります。彼らは初心者に仕事のことを教えるのが娯楽になっているんではないかと思います。

僕より仕事を知らない人なんてめったにいないのですが、それでも僕より初心者がいたら僕も親切な先輩になってしまいます。

■仕事の楽しみ

日雇い労働者は「この一杯のために仕事をしとる」とよく言います。確かに一日肉体労働したあとのビールはおいしいです。しかし、これは仕事の楽しみというより、仕事の後の楽しみです。「土方なんか最低の仕事や」と彼らは言います。では日雇い労働は何の楽しみもない仕事なのでしょうか。

毎日現場が変わるので、「自分がこの建物を作った」と胸をはって言い切れるほどの関係を持つのは難しいかもしれません。しかし、その日だけの作業であっても、作り上げた満足感はあります。最初のころ、「これを僕が作っちゃったんだ」という信じられない気持ちがなんとも言えず気恥ずかしかったのを覚えています。また、複数人で協力して一日作業をやり遂げた時の充実感も気持ちのいいものです。

キツい仕事に比べればサボれる仕事の方がよいように思えます。しかし、サボれる仕事というのはつらいものがあります。ショッピングモール建設の仕事で、広い構内でゴミ拾いをしながら終業時間を待つという状況もあります。しかし、17時になるまでそうやって時間を潰すのは実は結構つらいのです。

キツ過ぎず暇でない仕事が一番ですが、そんな虫のいいものはありませんね。そういう意味では、めったにありませんが、「やりきり」という形式の仕事があります。その日やることが決まっていて、その作業が完了したら早く終わっても一日分の日当が支払われるということです。これだと、がんばって早く終わらせようという気になりますよね。

■まとめ

このコンテンツも今回で6回目で、ようやくターニングポイントを迎えました。月一更新しているわけでもないくせに6回目でターニングポイントでもないんでしょうけど、6回ぶんもあるとようやくコンテンツらしくなってきましたね。

あと6回はテーマの予告をせずに書いていこうと思います。この連載を始めたのが2004年で今が2006年ですから、この連載が終わるのは2008年ですか?

……そういうことにならないように、今年中に完結させるつもりで書いていこうと思います。どうかお付き合い下さい。

※今は年度末で仕事が多い時期なので、日雇い労働を体験してみたいという人はこの機会にどうぞ!

註1
建設業の特徴を表す言葉として「重層下請け構造」というものがある。元請−下請関係というのはどの産業でも見られることだが、建設業では「重層」というくらい下請の列が長く、大きなピラミッドが形成されている。下に回す時にはマージンをとる。そのマージンで設けるために積極的に下請けを利用するということも商いのテクニックとしてあるかもしれない。時に「今日はこんなに人夫がいるだろうか」と不思議に思うような日があったが、それはこういった事情による影響もあったのかもしれない。

参考文献
西澤晃彦, 1995『隠蔽された外部―都市下層のエスノグラフィー』彩流社

2006年2月27日更新