日雇い労働者のつくりかた

第2回 仕事に行く

■第2回です

前回でも触れましたが僕の日雇いデビューは2003年3月18日でした。朝センターに行き、手配師に声をかけるなり声をかけられるなりして仕事に行く、それまでの経験や知識からそういう段取りは一応分かっています。しかしそれは漠然としたものです。やっとことないことはわかりませんし、わからない(未知である)というのは恐怖でもあり、恐怖というのは嫌悪にも繋がります。まずはこの未知に対して僕が抱いた恐怖と嫌悪の過程について紹介することにします。

■寝る時間に起きる

18日の朝、というより17日の深夜と言った方がいいかもしれません。僕は午前3時半に起きました。テレビでは「寝る前の火の元注意」のテロップを流していました。「このあとはやる気なさげな天気予報混じりの系列局のレビューや夜景が映り、カラーバーが表示されるのだ」と思うとうんざりしました。大体普段だったら「もう遅いしそろそろ寝ようか」という時間です(註1)。

朝食(?)をとったのち、前日に買いそろえた服装に着替え(註2)、自転車でセンターへ向かいました。僕の家から釜ヶ崎までは自転車で30分程度かかります。センターに着いたのは4時半を少し過ぎたころでした。

センターからは少し離れている知り合いの店(もちろんシャッターが降りています)の向かいに自転車を止めてそこからは歩いてセンターへ向かいました。まだ夜空です。歩いているとちらほらとセンターへ向かう人が認められました。センターに近づくにつれて人が増え、求人のものと思われる車が停まっているのを見つけました。どうしましょう、とうとう早朝のセンターに来てしまいました。

ここから先何をどうすればいいのかまったくわかりません。「わからない」というより話しかけたこともない手配師という人たちに話しかけ、行ったこともない日雇い労働の現場に行く勇気をどこからひねり出せばいいのでしょう。とりあえず来たもののその「勇気」を出せずに「うろうろしたあげく帰るだけ」になったら馬鹿です。一人で誰にも話しかけずうろうろして帰ってくればやっぱりコスプレです(註3)。

■出会いがある

求人の車がやってくると人がわーっとたかります。なるほど、仕事に行こうと思うなら車が来たらすぐに駆け寄って車に乗り込まなければいけないのか、そう思いました。それをするだけの思い切りをつけるのはしんどくて嫌になりそうです。車が来るのを待ちながらうろうろしていると30歳そこそこくらいの人に話しかけられました。何と言って話しかけられたかはよく覚えていません。

「俺も今日初めて仕事行くんや」と言います。彼は最近広島からやってきたそうです。釜ヶ崎で仕事を探すのは今日が初めてなのだそうです。僕は「釜ヶ崎で ―」も何も、仕事を探すのが初めてです。彼は今までも日雇いの仕事をやりながら方々を渡り歩いてきているそうでした。

「初めてだから誰かツレが欲しかった」「見つかったらいっしょに行こうや」と言ってくれたのでここは彼に甘えることにしました。とは言ってもまさか僕が本当の本当に素人だとは思っていないでしょう。せっかく仲良くなっても「何だお前全然使えねえな」と呆れられて見捨てられたらと思うと寂しいです。

5時になってセンターのシャッターが開くとシャッターの前に停まっていた車が前進していきます(註4)。それまでセンターの周りでうろうろしていた他の人たちもセンターの中に入っていきます。

それから2人でセンターの中を回って車のワイパーにかけてある求人票を見たのですが「現金」は見つかりません。残っているのは「契約」の車ばかりでした。「契約」とは10日あるいは20日、30日というふうに一定の期間の実働契約を結び、飯場という宿泊施設に入ってそこで寝起きしながら仕事に行くような形態をいいます。「現金」は一日限りの契約で、その日働いた分の日当をその日に受け取ることができます。この日僕が探していたのは現金でした。

■お世話になる

こりゃあ今日はアブレたなと思っていると彼が「○○さんところ行ってみよう」と言います。その人は彼が昨日センターを下見に来た時に知りあったという手配師(註5)でした。「何とかしてくれるって言ってたから」と言って僕のこともいっしょに頼んでくれました。

正直この日はもう仕事に行くのは無理だと思っていました。僕1人であれば無理だったでしょう。そもそもこの日は出だしが遅かったのです。翌日4時にセンターに着くようにしたら現金の求人も何件か残っていて、選ぶ余裕もありました。この日は4時半に着いていたことを考えるとたった30分で仕事が見つけにくくなるということになります。4時にセンターに着けばこちらから声をかけなくても「現金行かんか」と声をかけられます。苦労はしません(註6)。

日雇いの経験がないということについてどんな顔をされるか不安でしたが、彼は少し驚いたふうだったものの、「わからんことがあったら助けてやる」「難しいことは俺がやるし、なるべくいっしょの作業につけるようにしよう」と言ってくれました。

■まとめ

彼のおかげで僕は現金の仕事にありつくことができました。当初の目的通り日雇い労働の世界へ一歩踏み出すことができたわけです。彼のおかげで僕は二歩目を、二歩目に続く三歩目を踏み出すことができる場所を得ることができたのです。今では誰の助けを得なくても仕事を見つけられるし、飯場に入ることだってできます。

僕の場合は幸運にもこうした出会いに恵まれました。出会いは偶然なので「よい出会いを求めることが仕事に行く方法だ」などとは言えません。仕事に行く上で実際的に大切なのは作業服を着て朝4時にはセンターに行くことです。そのうち声はかかります。一度も仕事に行ったことがなく、どうすればいいのやらまったく分からないという人はまずこれを実践しましょう。思い悩んでも仕方ありません。

とはいえ仕事の無い時期はどうすればいいのかとか、仕事に行くのはいいが日雇い仕事が自分にできるのかとかあとに続く問題はたくさんあります。そういったことについては次回以降で考えていくことにしましょう。

(註1)
逆に考えれば「普通寝るような(寝てるような)」時間に起きてあぶれるかもわからない仕事を探しに行くような生活を「日雇い労働者」は送る。

(註2)
3月といってもまだまだ冷えるので僕は高校の頃使っていたハーフコートを着ていきました。他のコートでは周りから浮いてしまうように思えたからです。他のコートでは「作業服」のイメージを打ち消してしまうように思えました。自分のこの判断にはひっかかるところがあります。僕は「労働者らしい格好」というのを想定しているようです(それは第1回が「服装」から始まることにも特徴的です)。「若ければTシャツ・ジーパンにビーチサンダルで歩いていても声をかけられる」と言う人もいます。僕は自分の中のどこかで「労働者」像というようなものを作っており、その枠に自分を近づけようという志向性があるように思えます。「日雇い労働者」という実体はそのように想定されてよいのでしょうか。しかしそんなことを言ったらこの読み物の「日雇い労働者のつくりかた」というタイトル自体成り立ちません。文章を書くということは枠を作るということであり、枠を作るつもりがなくても文章を書くことの必然として枠組みが生まれてしまうものです。また枠組みを作らなければ語ること自体が不可能であるということでもあります。そうであればこの連載は僕が自分の中で勝手に描いている「日雇い労働者」になるためのプロセスであり、読者を「日雇い労働者」に作り上げる「つくりかた」であるということかもしれません。

(註3)
コスプレ自体は個人の趣味で別にとやかく言うようなものではありません。ただ僕の場合はもともとコスプレじゃない(第1回参照)ので、それがコスプレになったらやっぱり馬鹿でしょう。

(註4)
センターは5時に開場になる。。

(註5)
手配師とは労働者と会社との仲介者のようなもの。もっと正確に言うと会社に労働者を紹介している飯場と労働者の仲介が手配師。

(註6)
ただし、これは筆者が「若い」ということを考慮しなければならない。仕事がある時期であってもある程度、労働力の選別というものはあるだろう。高齢者は声をかけてもらいにくい。「若い」ということは有利に働く。「ただ若いというだけで声をかけてくる」というところがある。筆者のようなズブの素人でも若ければ構わないようだ。「経験のない若者」より「経験のある年寄り」の方が現場では使えるように思うのだが。