2024年5月16日(木)
最初にひとこと申しあげておきたい。これからの話はごく一般化されたもので、あなたやわたしがそのとおりに行動するとはかぎらない。個々人の行動すべてが、人類一般の行動原則どおりであるはずがない。だが話を進めるためには、例外をとりあげるのではなく、ごく一般的なパターンに着目しなければならない。
もうひとつ、わたしは「政治的な正しさ」をめざそうとは思わなかった。自然は、男と女がともに働くようにつくった。だからといってわたしは男も女も同じだなどというつとりはない。同じではないのだから。その違いについて、進化論的、生物学的な説明をしたつもりである。[ヘレン・E・フィッシャー(吉田利子訳) 1992=1993『愛はなぜ終わるのか――結婚・不倫・離婚の自然史』草思社: 3]]
結局のところ、性別のカテゴリーで一般化を志向する研究は、偏見を作り出すか、薄めるかしかできないのかもしれない。
2024年5月15日(水)
考えがまとまらない。やらないといけないことはたくさんあるが、一つずつしか仕上げられない。
セクシャリティの問題はとりあえずプライベートの範囲かなあ。
経済、社会運動、セクシャリティ、〈臨床の知〉。
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こういう人びとの持っている自由をどうとらえるのか。ジプシーなどは土地の所有権さえ認めないわけですから、「盗む」のではなく「発見する」と考えている。現実にはひどい目にあいながらも、彼らの思想はまことに自由です。[網野善彦・阿部謹也、1994『対談 中世の再発見――市・贈与・宴会』平凡社: 35]
違うかもしれんけど、権力構造を別にして考えれば、条理空間に対して平滑空間を創造しているみたいに言えたりしないのかな。
もちろん、それを押しつぶす反作用があり、その強度は抗えないほどのものであれば、どれほどの波及力を持つかは別として、そこに波及する可能性を持った作用を想定することはできる。
2024年5月14日(火)
うーん、なんか不安だ。
2024年5月13日(月)
嫌なことなんていくらでもあった。
2024年5月5日(日)
やはり世界を見る意志であるってことだろう。
2024年5月1日(水)
ソシュールの言語学というのは、僕がフィールドワークのデータの解釈を組み立てる時の視点に近いんだなあ。
また、構造主義はどこか進化論に似ている。人の意思を超えたところで、意思そのものも拘束するような超越的な力が働いている。しかし、それは遡及的に本質化されるにすぎない。
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