日雇い労働者のつくりかた

第4回 道具を応用する

お久しぶりです。前回の更新からずいぶん時間が経ってしまいました。「次回は体の頭の良さについて道具を応用するという面から見ていく」と予告したので、今回のタイトルは「道具を応用する」です。

■土方の必需品――ラチェット

ラチェットと呼ばれる道具があります。これは通称です。ラチェットというのは爪車(つめぐるま)という機構のことを言います。gooの国語辞典では以下のように説明されています。

鋸(のこぎり)歯状の歯をもった歯車。逆転止めの爪と組み合わせて、一方向だけに回転するように作られている。置き時計のぜんまい巻き軸、貨車のハンド-ブレーキの逆転止めなどに用いる。ラチェット。[goo辞書]

戻す時には持ち手だけが回転して、効率よくがりがり閉めていけるドライバーやレンチがありますよね。土工の必需品であるラチェットはレンチです。製品名は「曲シノ付きラチェットレンチ」であるようです。このラチェットレンチの持ち手の端は尖っていて、少し曲がっています。これが「曲シノ」にあたる部分です。これは番線という長い針金のようなものを縛る際に利用します。縛り方については説明しません。面倒だから。

日雇い労働者は大概ラチェットを持っています。使わない場合でも専用のケースに刺していつも腰からぶら下げている人もいます。ラチェットは日雇い労働者にとって数少ない「必需品」なのです。「プロの日雇い労働者」であることを象徴するものとして誇らしげに身につけられます。僕もラチェットを持っています。これは一緒に働いて仲良くなった人にいただいたものです。「土方やったら持っとかんといかん。重い方のやつやけどな」と言って、予備で持っていたのでしょう、彼のラチェットをくれました(感動するところです)。

ラチェットレンチが活躍するのはまずは単管を組む場合です。単管というのは長い鉄パイプのことで長さは1メートル程度の短いものから5メートルを超す長いものまであります。単管を組む蝶番としてクランプというものを用います。クランプにはナットとボルトが付いていて、単管に固定する時にボルトを締めます。この時にラチェットが活躍します。単管を高く組んで立てたものを「伊達足場」と言います。現場の外縁に沿って立てられた伊達足場には防音・防塵のためにシートを張ります。また二つの「ウマ」に上下2本の単管を渡して柵を作る場合があります。この「ウマ」にもクランプが付いていて、ラチェットでボルトを締めて単管を固定します。

伊達足場と柵の組み立て・解体は日雇い労働者の仕事です。これは建物の施工に直接関わらない作業です。また、特殊な技術は必要ありません。日雇い労働というのはこうした熟練が必要でない作業が基本になります。大した作業ではないけれども、しかし、これは日雇い労働者の仕事です。このためにその日日雇い労働者は雇われるのです。当たり前にこなせるのが日雇い労働者というものです。だから日雇い労働者は常にラチェットを用意しておきます。

■番線を縛る

面倒だから説明しないと言ったくせにやっぱり番線の縛り方を説明することにします。

ラチェットを使うのは単管を組むためだけではありません。「シノ」を使って番線を縛ることもできます。番線は1メートルくらいの針金を二つ折りにしてあります。一段で組まれた伊達足場に金網を縛って固定するような場合を考えてみましょう。金網の鉄枠と単管をくっつけ、二つ折りの番線を渡して手前で交差させます。番線の折れて山になっている方にシノを突っ込み、交差したもう一方の端にぐるぐる回して縛っていきます。シノは先端が尖っているので簡単に抜けます。これが尖っていなかったら一緒に縛られて抜けなくなっちゃいますよね。

説明してみると案外簡単でしたね。番線を縛るのは難しいことではありません。一度見たらできます。しかし、番線を縛るという簡単な作業の動作にも僕のような素人は作業ロスを発生させてしまうのです。

伊達足場に補強のためなのか、桟木(さんぎ:2.5cm×6cmの角材)を固定するという仕事がありました。一日がかりで延々とやりました。2人で桟木を持ち上げ、単管にあてて一定間隔で番線をくくりつけます。「番線なんてもう慣れたものだ」と問題なくこなしているつもりだったのですが、側で見ていた雇主にひとこと言われました。

「右利きなら時計回りにした方がええで」

時計回り、つまり、上から下に、右(手)側で回した方が楽だということです。利き腕で、上から下に回し、いったん抜いてまた上から下に回す。下から上へ「あげる」よりも、上から下へ「さげる」方が楽なのは当たり前です。ところが僕は一度ラチェットを刺したら刺したままぐるぐる回し続けていたのです。なんてアホなのでしょうか。

まあ、番線縛るくらいどうやったって構わないっちゃあ構わないのですが、一日中延々とやることを考えれば少しでも効率のいいやり方をするべきでしょう。「誰にでもできるような仕事」であるのに、「バカじゃできない」という言葉の意味はここに表れています。

■道具を応用する

誰にでもできるような仕事でもその実際を見ていくとさまざまな場面で工夫や応用が必要になります。

コンクリートを流し込んで固めるために「仮枠」が組まれます。コンパネ(コンクリートパネル)というツルツルの板に桟木が釘で打ち付けられたものが仮枠です。仮枠は鋼管という四角い鉄管を専用の金具で固定して組まれます。コンクリートが固まったら仮枠は解体していきます。ところがこの鋼管や金具の回りにコンクリートが飛び散ってそのまま固まっていることがままあります。鋼管に飛び散るくらいだから、周囲の床にも飛び散って固まっています。飛び散ったコンクリートを砕いて掃除するのも日雇い労働者の仕事です。

飛び散ったコンクリートはハンマーで砕きます。ハンマーというと両手で振り下ろすようなものが想像されますが、ここでは普通の金槌のことです。金槌以外の何ものでもないように思うのですがハンマーと言います。金槌というと釘を打つためのものです。釘を打つという用途から逸脱したものをもはや金槌とは呼ばないのかもしれません。或いは類似したものとの区別のためかもしれません。

クリッパーという道具がありますよね。片手で使えるハンドクリッパーと両手で抱えて使うボルトクリッパーがあります。どっちもクリッパーですが、ハンドクリッパーは「番線カッター」と呼ぶのが一般的です。番線を切る時に使うことが多いためです。「どうしてクリッパーと言わないのだろうか」と不思議に思っていたのですが、ボルトクリッパーと区別するためだということが働いているうちにわかりました。ボルトクリッパーは単に「クリッパー」と言います。ボルトクリッパーと区別するためにハンドクリッパーは「番線カッター」と言うのだと思います。

また、ハンマーにもいろいろあって、両手で振り上げて使う木製の大きなハンマーは「大ハンマー」と言います。鉄頭の部分が大きくて、片手で使うハンマーは「セットハンマー(あるいは略して「セット」)」です。単にハンマーと言えば金槌のことです。

本題と関係ない話が長いですね。

飛び散ったコンクリートを砕こうにもハンマーが見当たらない場合、いちいち探してもいられないのでラチェットで叩いたり、その辺に転がっている木片で叩きます。建設現場には木片というのがその辺に転がっています。ラチェットや木片で砕けないほど大きかったり固かったりするコンクリートであればハンマーなりセットハンマーなりを使います。その場にあるもので済ませてしまうか、きちんとした道具を使うかは、その作業の緊急性(すぐやらなければならないことなのか、それとも別の機会に改めても構わないのか)、作業の規模・頻度(一つ二つのコンクリートを砕くのか、仮枠にこびりついたすべてのコンクリートを取るのか)に応じて臨機応変に判断して行動しなければなりません。

日雇い労働者は作業の緊急性、規模・頻度を考慮しながら働く必要があります。その日の作業ノルマというものだってあります。手で拾えば済むチリ一つのためにわざわざほうきとちりとりを取りに行ったりしませんよね。スコップがあればスコップですくってしまえばいいんです。

■まとめ

建設現場では道具の応用が重要なキーになっているように思います。大げさに言い立てるほどのことではないのですが、この小さな応用力が現場の作業を細切れにつないでいっている、その意味で無視はできない。無視ができないという意味で重要なのです。

夏場に大きな現場で働いた時、冷水機が設置されていました。コップが見当たらないので直接口を近づけて飲んでいたら、ユンボの上で休んでいた人に笑われました。「そのフタ使えばええやん」と彼は言いました。「どのフタ?」とクビをかしげました。彼が言ったのは側に置いてあったポリタンクのフタでした。別に直飲みしたっていいじゃねーかとも思いますが、僕の思い込みの主張とは別に、ポリタンクのフタをコップに応用するという知恵が働かないというのは「ぶざま」なことになるんだと思います。

僕は負けず嫌いなので「そんなの別に大した知恵じゃないじゃないか」としつこく文句を言いたくなるのですが、小さな知恵をその場その場で思いつくことが建設現場では当たり前のこととして織り込まれていて、また、期待もされているのです。建設現場の労働者の一員である日雇い労働者は応用力を持たねばなりません。この応用力はどんな場面でも発揮しなければなりません。「応用力がある」ことに証明書や免許証はありません。常に小さな応用を試み、試みられた小さな応用の結果によって絶え間なく自身の「応用力」を他人に見せて証明しなければならないのです。自分の体一つを頼みに生き抜いていくとはそういうことでもあるんだと思います。

■次回はどうするのか

今回はわりとすらすら書けました。書きながら「おお、面白いじゃん」と自分で面白がっていたのですが面白いですか?つまらんですか?僕は「どうしてこのことを修論を書いている時に思いつかなかったのだろう」ととても口惜しく思っています。もともとこの連載は修論のネタ作りになるかもと思っていたのに。ことが後先になりました。

さて、次回ですが、どうしましょう。予告をするとどうしても予告通りに書かなければならないというプレッシャーを勝手に抱え込んで書けなくなってしまう傾向にあります。しかし、次回予告があった方が連載として格好いいという思いもあります。ここのところ、仕事の話が続いたので生活面について書くことにしましょうか。

ということで次回は飯場についてです。