日雇い労働者のつくりかた

第8回 どうしてできるようになるのか/前編

大阪で出している『明日のロジョー』というフリーペーパーで「日雇い労働者のつくりかた」を加筆修正して連載してもらうことになりました。

紙媒体なので、Web版のように際限なく文字を連ねるというわけにはいきません。「長い回はどうするんだろうか/前後編とかにすればいいのか/じゃあ根本的な問題ではないな」などと考えていたのですが、今回と次回は既に前後編です。どうするのでしょうか。

■人はどうして何かができるようになるのか

僕は今「人はどうして何かができるようになるのか」という問いに取り憑かれています。

日雇い労働を始めて間もない頃、ベテランの労働者は初心者の僕に「そのうち慣れる」とよく言いました。「慣れる」とはなんでしょうか。「慣れる」というのは「その作業に従事する時間が蓄積されれば可能になる」ということです。しかし、これはどうしてできるようになるのかを説明していません。

これは「なんだかわからないが、難しい事を考えなくてもやっていればそのうちできるようになるからやれ」ということです。何と身もふたもない言葉でしょうか。しかし、この身もふたもない言葉をとりあえずの手がかりにしてみましょう。

「なんだかわからない」くせに、「難しい事を考える必要はない」とは一体どういう事でしょうか。難しく考える必要がない程度のことなら「なんだかわからない」とか言わずに説明して欲しいものです。結果オーライでごまかしている問題がここには埋まっています。いったい何がごまかされているのでしょうか。

しかし、「そのうち慣れる」は真実でもあります。誰にでもこのように言われこのようになった経験が思い当たるのではないでしょうか。「時間が蓄積されれば」「なんだかわからないが」「できるようになる」ようですが、「なんだかわからないが」では困るので、今回はこの「なんだかわからない」をわかるようにしていきたいと思います。

というわけで、実際に「時間の蓄積」によって「できるようになった」事例における「なんだかわからない」の部分を元にこれをわかるようにしていきます。

■整地という作業

このあいだ僕はまた<現金>に行って、その日は「整地」という作業をしました。建物の壁部分にあたるコンクリートを「立ち上がり」と言います。鉄筋が組まれ、仮枠で囲われた部分にコンクリートを流し込んでいきます。床部分のコンクリートを「ベースコン」と言いますが、ベースコンを打つまでにはもう少し工程があります。

まず、掘り返した地面を一定の高さに合わせて、プレートという機械で固めます。これを「床打ち」と言います。次に、砕石(小さな石、砂利)を撒き、これも一定の高さに合わせてプレートで固めます。この作業が「整地」です。そして、少し荒めのコンクリートの「捨てコン」を打ち、その上に鉄筋を組んでベースコンを打つことになります。

床打ちと整地は似たような作業ですが、ここでは整地を例にします。整地は、「レベル」という高さを見る道具で目印となる高さを出しながら作業を進めます。街かどで、三脚(というか正確には四脚ですが)の上に設置された短い望遠鏡のようなものを覗き込んでいる人と、その反対に背丈より長いものさし(スタッフ)を持って立っている人という組み合わせを見かけたことがあると思います。どういう理屈かは知りませんが、その二人はその器具で高さをみています。建物の基礎が傾いていてはいけないし、排水路も排水口に向けて高くなっていては困ります。

そして、整地は、レベルを使って所々に出した高さの目印を元に、目印と目印を繋ぐような形でスコップやレイキ(クシに長い柄がついたような、土や砕石をかく道具)を用いて砕石を広げ、全体の高さを水平に合わせていきます。僕はこれが苦手でした。何度か見たこと、手伝ったことはあるものの、やれと言われると尻込みしてしまう程度の習熟度でした。しかし、この時の<現金>のおかげで、次回からは一人でもこなせると思えるようになりました。僕はできるようになりました。

■整地ができないのはなぜか

では、なぜできるようになったのか。まず、なぜ尻込みしてしまっていたのかを考えてみましょう。目印と目印を繋ぐような形でスコップやレイキを用いて砕石を広げ、全体の高さを水平に合わせていく。一番の難点は「水平に合わせていく」という部分だったと考えられます。ちゃんと水平になっているかどうかなかなか自信が持てなかったのです。

これは捨てコンの時でしたが、作業中に「あっちが低いからあっちに(コンクリートを)やれ」「あっちが高いからこっちにもってこい」と言われます。しかし、僕には高かったり低かったりする「あっち」や「こっち」がどこを指して言っているのかさっぱりわかりませんでした。つまり、僕には土や砕石、コンクリートの表面の凹凸が見えてこないのです。

もちろん、大まかにはわかります。整地するところにユンボのバケツやトラックの荷台から砕石が降ろされた時には山になっています。山を崩して全体に広げるまではよいでしょう。しかし、その後の「微調整」という段になると表面の凹凸が「見える気がしない」のです。

こないだの<現金>で整地をやった時は、メンバーは僕も入れて4人でした。そのうち2人は60代の労働者で、あらゆる手元作業に精通しているふうで、整地もお手の物だったのだと思います。その点は心強かったのですが、この2人がどちらもリーダーぶろうとする人物で、しかもお互いがお互いの言うことを聞いておらず、正反対の指示を立て続けに交わすという最低な作業現場でした。二人とも、何度スコップで殴り倒してやろうかと思ったことか。

最初は僕も自信がなかったので黙って二人の指示を聞いていました。二人の指示が一致していることもあります。しかし、うんざりすることにこの二人はわかりきったことまで指示してきます。地の土が見えていて、明らかに砕石が及んでいない所に砕石をやることくらい僕にもわかっています。ただ、そこまで作業の流れが及んでいないだけです。次の作業を意識しながら今の作業を進めている時にこれをやられるとうっとうしくて仕方ありません。

そもそも、人に指示を出す前に自分が率先して動くべきなんです。そうすれば習熟度の劣る人間もそれに倣って作業の流れを作り出していけます。口を出して流れをひっぱろうとだけして、自分は作業の流れの下手から動こうとしないおっさん2人。おっさんらどんだけ偉いのか。本当に殴り倒してやればよかった。

うるさくてあんまりに苛々するので、仕舞いにはこいつらの言葉の一切は基本的に無視だという気分になりました。どうせこいつらはわかりきったことしか言わない。

■どんなことをしなければならないか

最後には無視を決め込んだものの、教わらなければピンと来ないこともいくつかありました。大雑把に砕石を広げた後、まずは目印を中心に、角スコップを立てて放射状に砕石を広げていきます。こうして、もう一つの目印まで、あるいはもう一つの目印からも同じように砕石を広げて「砕石の平面」を繋げていきます。目印を中心に角スコップで放射状に砕石を広げるというのは、「平面を繋げるための技術」というわけです。

次に、スコップよりも幅広で、力加減のできるレイキを用いて微調整をしていきます。ほとんどはもうスコップの段階で済んでいます。もしかするとレイキという道具はいらないのかもしれない。しかし、場合によってはレイキとスコップを使い分けた方がやりよい。例えば、スコップを立てて使う場合、目的とする部分との目線が近くなって全体が目に入らないが、レイキを使う場合、ある程度の距離を置いて、全体を見渡しながら作業ができます。

第3回「身体の使い方」のところで、スコップで「すくうためにはすくえばいい」という禅問答のようなことを言いました。整地も、要は平面を作ればいいんですね。ただ、平面を作るためには(1)レベルで目印を作り、(2)目印を中心に平面を広げていき、(3)最終的な微調整をするという三段階があって、その中味はもう少し複雑です。そして、状況に応じて道具を使い分けていくという難しさもあります。

道具というのは「使い分ける」ものであって、必ずこの道具を使ってやらなければならないというものではありません。「状況」と「使い分け」は密接に結びついていて、どちらから見ても双方のつながりは同じかもしれませんが、状況が主であり、使い分けが従であるという認識は大切です。最終的に何かを作り上げるという目標を達成するためにはどうやっていけばよいのか、そのためにはどんな道具が必要であるのかというのが思考の方向です。

「この時にはこの道具を使う」といったふうなマニュアル的な認識から入ってはいけません。ある程度の理解が進んだ後のガイドラインとしてマニュアルは有効です。しかし、まっさらな状態でマニュアル的な認識は作業工程の理解を阻害します。自分が成し遂げることは何であるのかを知り、そのためにどのようなことが行なわれるのかを知り、それをどのように行なうのかを考えるという思考様式を身につけていかねばなりません。

■断片的な情報の蓄積と整理

それでは、そのような思考様式はどのようにして身につけていくことができるのでしょうか。最初は、言われるまま、怒られるままにやっているうちに情報が断片的に入ってきます。それは作業の意味であったり、道具の使い方であったりとさまざまです。これら断片的な情報を「何をするのか」「そのためにはどうするのか」「どんな道具を使えばよいか」という思考の流れに当てはめていかねばなりません。

整地で言えば、「何をするのか」にあたるのは、「砕石を一定の高さでそろった平面にする」です。「そのためにはどうするのか」では、まず砕石を入れなければならない。次に砕石を広げなければならない。最後に砕石をならしていかなければならない。そして、「どんな道具を使えばよいか」となると、砕石を入れるのはユンボのバケツを用いるか、トラックの荷台からそのまま流し込むと考えられる。しかし、場合によってはどこかに堆積してある砕石を人力で運んでこなければならないかもしれない。そのためには、一輪車が必要である。砕石を広げるにはスコップが必要だ。もっと広範囲に広げるのであれば、いったん一輪車に載せてから運んだ方がよい場合も考えられる。まだ山が大きい時にはレイキで広げるには重すぎるので、スコップを使った方がよい。しかし、ある程度なだらかになってきてからはレイキで「浅く広く」広げていった方がいい。最後に、ならすにはプレートという定番の機械を用いる。

このように断片的な情報が整理されて初めて「できる」ようになります。常に状況は変わるが、「何をするのか」に立ち返り、一番「楽ができる」方法を考える。マニュアルは平均的、あるいは典型的な状況を想定して作られるものだから、どこかしら現実には合わない。「できる」ということは、「何をするのか」が認識できて、「そのためにどうすればよいか」を考えていけるということです。

ここまでくれば、「なぜできるようになるのか」という問いにも答えが出そうです。しかし、もうすでに結構ながながと書いたのでその答えは次回に譲りましょう。

2006年9月25日更新